深緑の森-小さな箱庭-

深緑の森-小さな箱庭-

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「手記があれば何があったか分かりやすい。幾ら物忘れの多いお前でも、書いておけば大丈夫だろ」 余計なお世話だこの野郎。とは言ったものの、確かに日々の出来事を書いておくのは良いかもしれない。重要なのは書くこと自体を忘れてしまわないかどうかだ。見知らぬ世界で起きたことを、不定期で日記に収めていこうと思う。

黎明の国に到着後、僕達は二手に分かれた。「じゃあなハゲ。そういえば、これは全部夢って知ってたか?」 こいつは何も変わってない。昔のままだ。態度に馬鹿の一貫性が伺える。いつもと同じように言い返してやったけど、こんな奴でも、いざという時は頼りになるわけで。「シラタキ、何か食べ物くれ」 「早く行け。オレの苛立ちが募る前に」 行動開始までの間、街の見物をしてひつまぶし。暇潰し。蒸気自動車が走る光景が面白くて、森に隠れているヨモギ達が出てくるんじゃないかと冷や汗を流した。ドードーだろうがドラゴンだろうが、目立つに決まっているし、遺跡に行くまでは別行動って言い聞かせておいたけど、一緒に居たのはレオとシガーヘッド。奴とムササビが抑止力になれるわけがない。危ない橋を渡る思いで、何日かを遊んで過ごした。

黎明の王様との交渉は上手く纏まったらしく、遺跡踏破の許可が下りた。やっとのことで何をすればいいのかを聞かされる。エネルギー結晶体の回収だってさ。急にファンタジーな展開になってしまって、戸惑いを隠せない僕ら。目的の場所、アヴァロン遺跡は、何十年もの間、絶対に入ってはいけない場所として封印に近い扱いを受けている。入れば戻ってこられないという噂から、帰らずの遺跡と呼ばれ、王家の人間でも入り口付近までしか進むことを許されない。「頑張って取ってこいよ」 軽すぎだろ。そういうことはもう少し重々しく言えよ。その結晶体の用途は教えないというから、僕らはそれを取ってきて詳細を知りたい衝動に駆られました。人の動かし方、というか、バスターズの動かし方をあいつ以上に心得ている者はいないでしょう。最深部に眠るという宝物を探すため、僕達は行動を開始しました。

「いいかお前達、僕の指示は絶対に守らなければならないものじゃない。是非は各々で判断するんだ」 咄嗟の判断は皆に任せた方が良い。命令通りに動くだけでは打開できない場面も必ずあるはずだ。そして何よりも、まだ正確な指示をする自信がなかった。「言うこと聞かない奴は自分が噛む。名付けて、ウルフ噛み」 お前はいつから狼になったんだ。はっきり言って、電波みたいになれるとは思わない。アレは色々とおかしいんです。他の門下生も、素の状態が反則みたいな野郎だって口々に話していました。大いに同意します。馬鹿だけどな。ここだけの話、次に会う時までにもっと腕を磨いて、奴を絶望させることが目標だったりする。「春坊、準備はいいか」 シラタキ、次また略してハーボって言ったら殴ります。「行くぞ、はげ」 口元を上げて笑う小型犬を見て、特に緊張することもないなと思いました。

都の兵士からの指令が伝わり、門番が退く。七人はアヴァロン遺跡の最奥を目指し、歩を進めた。内部は切り立った岩があちこちに並び、複雑に入り組んでいる。人工物を土台にして起きる超自然現象、バスターズの面々は岩の製作者が何者であるかを窺い知ることはできなかった。薄暗い遺跡の雰囲気に反して皆が浮かれ歩く様は、滑稽にも見える。「ブレーメンの音楽隊みたいだべさ」 「兄貴、ウェーザー川が見えてきた」 「ドイツの?君ら地元の方ですか」 春は二人を見もせずに合いの手を入れる。シガーヘッドは天井近くを飛び回り、道案内の役割を担った。「気を付けろ」 ヨモギが何者かの存在を感じ取る。下の層に潜るにつれて岩の数が増え、内包するエーテルの力が強まっている。岩の中心部分は黄金に輝き、脈動していた。「シガー」 ムササビは滑空し、春の肩に飛び乗る。春の前方を岩が通過する。攻撃の主は遺跡だ。地を伝い、岩にエネルギーを送り込んでいる。バスターズは走った。自分達が誘導されているとも知らずに。

最奥までなんとか辿り着いた彼らは、この遺跡の核となる部分を目の当たりにした。大きな球状の空間に乗り場を思わせる岩が並んでいる。否、浮かんでいる。七人は下を覗き込んだ。奈落の底を垣間見るような感覚。落ちれば掠り傷では済まない。辺りを見回すと、岩の製作者達がこちらを凝視していた。銅像が後ろ手に結晶を背負い、半円を描くように並んでいる。結晶の放つ黄金の光は銅像の足元を伝い、闇のなかへ消えてゆく。遺跡を巡り終えた光は銅像の深く被る兜を経て、再び結晶へと流れ込む。さながら循環を思わせるその光景は、彼らに自分達が魔物の体内に足を踏み入れてしまったことを想念させた。「…選べ」 地響きのような声が鳴り響く。「お前達の欲するもの、解する。我はモノリス。与え奪うものなり」 七人の前方にある巨大な石碑が言葉を発した。それに追随し、方々から銅像達の囁く声。「アヴァロンの光輪に立つことを許されし者共、この遺跡の主を知らないとは言わせない」 右前方に居る銅像が自らの肌と同じ、青銅色の涙を流した。「主は孵ってしまわれた」 シラタキは総毛立った。こいつら、憑かれてやがる。「しかし、守り手としてこれを渡すわけにはいかないのだ」 「おお悲しきかな、汝らには滅んでもらわなければなりません」 主君の命に従い結晶を守り続けた銅像達は、遂げることのできない思いが淀みとなり、良くないものへと変貌した。侵入者の排除のみを行う残忍な人形。彼らはアタラクシアと呼ばれ、創世からここで任務を全うし続けている。「どいつもこいつも似たような装備ですね」 春は真紅の銃を握り締めた。中央の像が微かに呻く。その瞳、やはり似ている。「モノリス、試練を」 七人と向かい合うように置かれた石碑は、三つの宝石をぐるりと動かし、バスターズを視界に捉えていた。「御意」 周りに浮いていた乗り場が沈む。逃れられないようにするというよりも、邪魔が入らないようにしたという印象を受ける。「お前達が欲するものを手にすれば、必ずや主に近付けるだろう」 「動くことのできない私達とは違ってね。あはは」 危険だ。イエティ兄弟の動物的な勘が働く。しかし時すでに遅し、七人は周囲から放たれた岩壁により、一点に集められてしまった。足元から光の柱が上がる。「試練、この試練を受けた者は、選択を迫られる」 モノリスが重々しく呟くと、鳥の羽撃くような音が聞こえてきた。遠い、いや、近いか。ヨモギはその場に居た誰よりも早く、音の方向を突き止めた。「昇ってくるぞ」 モノリスの背後、奈落の底から、結晶の鎧を着た怪鳥が現れた。長と思わしき中央の銅像は、その鳥に持っていた石の様なものを喰らわせる。「チェザよ、この寂れた庭に久々の上客がやってきたぞ」 こいつは、まずい。「お前達には死に神に見えるだろうな」

僕はこの時、もう他の皆に会えなくなると思いました。電波が遺跡にこんな奴が居ると知っていて僕らを向かわせたのだとすれば、相当な鬼、鬼だあいつは!!何が手記だかな。これ読んで反省しろ。おい、覚えとけよ。

モノリスの課した試練とは怪鳥を倒すこと。しかしチェザと戦う前に、七人はある選択を迫られる。それは 「その光に囚われている者の数だけ、チェザの力を制限する」 つまり、外に出るのが一人であれば、チェザの能力は限りなく低くなり、一人も残らず全員で出れば、まさに死に神に相応しい力を持つ怪物と戦うことになる。この選択の決定権は当然のことながら隊長の春にある。春は仲間の顔を見て、迷いに迷った。一人で奴を倒せるか、二人なら、四人いれば。どの程度の制限が付与されるのかも分からない。ケイティが大振りに弾丸を装填する。「春隊長、おれ達兄弟にはこれ、一択にしか見えねぇべ」 「ぐわはは、さあ笑えお前ら」 シラタキが腕にエーテルを集中させる。 やはりこいつらは、面白い。ヨモギはドードーの姿を解除し、天高く啼いた。自分の倍はあろうかという怪鳥を睨み付けると、完全なる臨戦態勢に入る。「さあ、隊長、一言どうぞ」 テイティは思い切り虚勢を張る。「はげ、あいつぶっ飛ばすぞ」

春は覚悟を決めた。この戦いを終えた時、彼らはまた一つ上に行ける。「死ぬとか生きるとかどうでもいいですよね。売られた喧嘩は買うと決めている。僕も、電波も」 目の錯覚か、オレにはこの時の春坊が電公に見えたんだ。春が本物の隊長として産声を上げた瞬間だった。

アウタラクシ、アタラークシ?とか言う銅像達が言っていたんだけど、確かこのチェザってやつは、ハーピーっていう石を食う鳥の眷属なんだってさ。エーテルを取り入れ無限に等しい時間を生き続ける。時を越える鳥か。まあ化け物でしたね。強かった。本当に強かった。ここまで負けるかもしれないと思った相手はランプとか牛の群れ以来だった。しかし僕らが勝った。というか僕の荒ぶる風が奴の動きを止め、どこかから拾ってきた電気の銃で。結局はあいつの攻撃が最も有効という不甲斐ない結果ですが、勝ってもバスターズ、負けてもバスターズ。この勝利は皆で得たものだ。肝心の結晶体の使い道ですが、どうやらあれは何かの燃料になるみたいです。少量で充分と言うから、相当なエネルギー量なんだと思う。すべてを持ち帰れば遺跡の機能が停止するし、彼らはずっとそこに居るというので、少しだけ貰って街に帰りました。合流して結晶体を受け取った電波は、僕らに暫しの休息を言い渡し、アヴァロン遺跡と対になるという場所に向かった。結晶を守るあの鳥を知っていたのかと訊くと、無言で頷いた。おめぇ僕が元気だったら。伝承にある程度で確証は無かったというから、居ると決め付けて向かわせたのだと悟る。獅子は子を谷に落とす、か。

この野郎、まあいいや。良い修行になったし。「任務ご苦労さん。俺ら四人で乗り物を掻っ攫って戻ってくるからよ。さあ行くぞお前ら」 「ハゲさん助けて下さい」 アルジ、お気の毒に。予測でしかないけど、あの遺跡と対になっているってことは。次の日記はシガーヘッドに書かせよう。きっと斬新な出来になるはず。レオ先輩が邪魔をしに来たので、そろそろペンを置くことにする。おわり

「表に出ろ!自分が相手をする!」 「寝惚けてるな!わかるぞ!」
あの国はまるで霞の様で、探れど探れど本体に辿り着けない。「鳥だと?」 「はい。恐らくは彼らの移動手段ではないかと思われます」 始祖鳥という名の怪鳥に乗り、空を飛ぶ姿を目撃した。鎧の様な鱗に覆われていて、ともすれば羽根の生えた蛇と見紛うかもしれない。流石は固有種の砦といったところか。我々の国のデータベースに登録してあるエーテル物質。その上位に並ぶものの多くをこの国で見付けることができる。角や牙の、持ち主の姿を。広大な土地と、極めて原始的で野生的な空気感。居住区域の建物から察するに、普請の技術は我々の国のそれと変わりないと言えるが、密林に石材の家々が建ち並ぶという、異質な物同士が併存している光景には、寒気を覚えずにいられなかった。ここ数十年で黎明の技術は発達し、海中を進む船の開発に成功した。そしてバル王の意向により、長らく切れていた手綱の先にあるものを見に行くこととなった。朧が近付くにつれ倍々で海洋の獣に襲われる危険度が増し続けるため、損害無く潜入できたのは奇跡に近い。到着後、竜蹄という街を訪れる。この国の現状を目にした所感を物に例えるならば、起爆薬。いつ戦になってもおかしくない状態だと、判断した。闘技場の歓声と共に現れたのは一国の王。凶王、クルエル。名前だけは聞き及んでいた。白雲とは付かず離れずの関係を保ち、不定期で協議しては情報を与え合っている。あの国がどこまで朧を知っているのかは分からないが、少なくとも我が国よりは本体に近付いていることは確かだ。

容貌を知っていたわけではない。得物が彼を王だと教えてくれたのだ。紫黒の長物。ジルコニアの槍。怖気を震い足が竦む。クルエルは槍を手に、自国の武人達と向かい合った。相手は六人。使者はその数を見て絶対的に不利であると感じ取った。武人達もそれぞれが相当な強さなのだろうが、相手が悪い。猪が突進する先には、子供が空想で思い描いたような化け物が立っていた。クルエルは槍を地に突き刺すと、唸りを上げて繰り出された拳をいとも容易く蹴り上げた。氷の様な瞳の色に目を奪われていると、次の瞬間には数メートル先で大男が薙ぎ倒されていた。歓声が強まり耳鳴りに変わる。早くここを離れなければ。使者は闘技場を後にする。あれが朧の王。奇しくもこの国と黎明が衝突した末に、どちらが生き残るのかを思い知らされる形になってしまった。黎明の兵士達に勝ち目があるとは到底思えない。戦に対する備えなど、随分と前から滞ったままだ。交流が絶たれれば心配は無いという考えは甘かった。甘過ぎる考えだった。

彼らには攻め込む手段がある。後は戦う理由さえあれば、如何様にもなり得る。使者はその後も朧で潜伏を続けた。そして場面は彼らの運命を一つにする決戦の地に移る。額の血を拭い、六体の巨大な獣を退かせたあの者。否が応にも闘技場で目にした光景が重なる。彼ら三人の足跡を辿ることは出来なかった。扉は崩れ、残骸すらも砂となり、元の深深とした森の様相へと戻る。どこから来たかは考えるまでもない。境界の向こう側、もう一つの世界から来たのだ。人だけが住む世界に、ワイスと渡り合うどころか、単独で捻じ伏せるだけの実力を持った者達が存在するとは。特にあの男。あれは現象の力と見て間違いない。それも凶王と同じ、雷の力。万物に等しき一撃を与えるという、相克を逸脱した力。威力次第では対抗策による有利不利も覆されてしまう。あの状況下で敵に対して雷の力を使わなかったことが、使者の士騎に対する印象をクルエルと対極に位置するところへと押し遣った。もし二人が衝突したらどちらが勝つか。クルエルに勝てる者がいるとはどうしても思えない。しかし、私個人の判断では器差を示してしまう可能性が高い故に、断言することもできない。「報告は以上です」 「うむ」 「バル王」 「よく無事でいてくれた。早々に帰還せよ」 「バルバロッサ様、もしかしたら我々に残された猶予はあと僅かかもしれません」 その者達のことは忘れよ。そう言いたかった。知らぬ間に時が満ちていたのかもしれん。考えなければならないことを後回しにし続けた付けが回ってきたか。仮初めの平和を根こそぎ刈り取る大鎌を、あの国は今にでも振るおうとしているのかもしれない。ほんの数週間前の記憶が蘇り、事態が容易ならないところまできてしまっていることを、危機感として改めてその身に受け取る。兵士を鍛えたところで、ワイスの軍勢に立ち向かう大勇を得ることはできない。何か、誰か、士気を高める要素が必要だ。平穏な昼の光が差し込む部屋が、やけに暗く見える。扉をノックする音を聞き、バルバロッサは入るよう促した。「王様、目安箱を持って参りました」

この日の会所は特に人の出入りが多く、慌ただしかった。それもそのはず、つい先程まで白雲の貿易商との会談が行われていたのだ。鉄材の値段交渉が順調に進み、双方納得した上でお開きとなった。「あの男、荒事師として有名だが、存外いい仕事をするじゃないか」 「私は気に入りませんね。背後に騎士を並べて偉そうに。見ていましたか?ずっと睨んでいましたよ、あの二人」肩くらいまで栗色の髪を伸ばした女は、机に掌を叩き付けた。書類が何枚か下に落ちる。「頭まで鉄みたいに硬い連中に、値切りが通用するなんて思いませんでした」 書類を拾い上げながら、正面の扉に視線を流す。「疑念の一つもなければ良いように利用されるのがオチだ。あれくらいで丁度いいんだよ」 無骨な大男。「パトリックさん、早く王様に報告しましょう。きっと喜ばれますよ」 商談自体は上手くいった。しかし、何か腑に落ちない。変わったことは起きなかったか、だと?罠でも仕掛けたんじゃあるまいな。

宮殿に到着してから数十分が経過した。士騎は会所を人混みに紛れながら隈なく探索し、兵士の総数の見当を付けた。百人前後、こんなんで守れんのか。そろそろ約束の時間になる。アルジの足取りは重かった。「無茶な注文をしますね」 数刻前。明らかに苛立っている彼を見て、ターバンが諫める。「そんなに怒るな」 「怒らずにいられるか!」 静かに騒げとはどういうことだ。「足音をさせずに走れみたいな感じですか」 フクロウが背筋を伸ばした。「内部の風景に溶け込み、充分に情報を得てから行動を開始する。二十分程度経ったらアルジが走るみたいな感じで」 「そんなこと言ってるとその通りにするぞ」 穏便に且つ注意を引き付けるために最適な行動。そんな顔をするなウィンドリット、これしか思い付かなかったんだ。「お母さん、あれってガーゴイルだよね」 人が集まってきた。アルジは架空の建築家集団を名乗り、仕事を請け負っていると受け付けの者に話した。昨日の内に下調べはしておいた。建築途中の建物が二棟、かなり大規模なやつだ。我輩の役目は陽動と時間稼ぎ。主役はあの人だ。信じてますよ、隊長。

空気の流れが変わった。「変身完了」 会所と宮殿の間には豪壮な渡り廊下が続いており、ここを進めば目的の部屋まで行ける。臣下を退室させたバルバロッサは、意見書の小山の前にある椅子に座った。扉の外では守備兵が忙しなく歩き回っている。何事かと訊く意思も今は無い。報告するに値する出来事であれば、自分の耳まで届いている筈。一つ一つ丁寧に封を開け、内容を読む。取るに足らないこと、賢人街の設備強化、蒸気自動車の走る道の整備など、様々な意見が書かれていた。どれもこれも聞き入れていたら切りがないが、やはり民の声を聞くことは大事だ。目安箱は王と都に住む者達との交流手段。この声の集まりを基礎にして、今後の方針を決める。一国の主とは国の代表であり、帆船の舵取りを行えるただ一人の人物。発言や行動には責任が必ず付き纏い、隙を見せれば揶揄される。そして批判や罵倒を恐れてばかりでは身動きが取れないという、何とも難しい立ち位置だ。これまで自らの采配や、妥協を許さない徹底した仕事で国民の信頼を獲得し続けてきたが、ここにきて王の心力に陰りが出はじめていた。一瞬で広がる闇が差し迫っている。為す術もなく崩れ去る日常の姿が目に浮かぶ。すぐにでも対策を練らなければならない。しかしその対策、対抗する手段がどうしても見付からない。使者の言葉に疑念が含まれていることは言うまでもないだろう。これは私にしか決められないことだ。朧と戦うという未来まで見据えて動かねば、王としての尊厳をすべて失うことになる。屍が舵を取る国で、誰が安寧と言えようか。王の心で火種が燻る。ふと意見書の束を見遣ると、他と比べて色褪せた、筒状の封書が目に入った。何かに巻き付けでもしなければ、こうはならない。触れた瞬間、電気が走るのを感じる。静電気にしては強く、思わず手を払いのけてしまった。意見書を読み終えた王は、結び付いた記憶を抱え込む。この文章が意味するものは、災厄と希望のどちらかが訪れることを意味しているのか。守備兵が王の部屋に急ぐ。こんなことがあってたまるものか。「王様、ご無事ですか!」

パトリックが王の居る部屋に着くと、息を切らした兵士達が王の周りを固めていた。「長官殿、侵入者です」 行き成り三宝、変わったことのお出ましだ。「侵入者だ?検問は何をやってる」 「それが、どうやらそいつは武器になるものを何も持っておらず、しかも、宮殿の礼服を着て我々の目を欺いたらしく」 「そこまで分かっておいてどうして捕らえられない」 守備兵長は明らかに恐怖した表情で大きく呟いた。「速いのです。とてつもなく」 「速い?」 「あれはテンだ。テンが化けて出たんだ」 兵士の一人が塞ぎ込んだ。「バル王、とにかくここに居ては危険だ。避難せねば」 王の耳に皆の言葉は届いていなかった。今日がその日、そういうことか。

窓の外が白い。雪が降っている。意見書にはこう書かれていた。雪の降る日に待ち人来る。季節は春、異常な天候に鳴り響く轟音。階下より投じられし槍は窓を粉砕し、王の頬を掠めて壁に突き刺さった。それは災厄の訪れを告げる鐘の音に等しい。階下に佇む男は、兵士から奪ったと思われる剣を携えている。男は瞬時に守備兵に取り囲まれるが、迎賓室に居る者達は状況の矛盾を感じずにはいられなかった。容易に突破される。その場に居た誰もがそう感じ取った。「貴様、何者だ」 王が声を荒げて言い放つと、男はよく通る声で己の目的を諭す。「もうすぐ俺の仲間が来る」 男は不敵な笑みを浮かべた。「その前に、邪魔者を消しておこうと思ってな」 パトリックや守備兵長、誰もが侵入者の正体に気付く。クルエルだ。奴に間違いない。「お前達、すぐに兵を集めろ」 「バル王、それが、会所の方でも不審な者達が暴れていて」 馬鹿な、何故こんな時に。渡り廊下の外壁が崩れ落ちる。侵入者同士の会合。二人の反応は、誰も想像できないものだった。「あ、居た」 「遅っせぇよ。それ後でちゃんと直せよ。タイミング悪いからついでに上の、あの王様が居るところもな」

事態は急速に収拾する。「なんとも、痛烈だな」 バルバロッサが苦笑いを浮かべる。「要はどの程度、守りを固められているか試してみたということか」 アルジが焦る。「王様、本当に済みませんでした。謝れ!」 「だから何度も謝ってるでしょうが」 「よいよい、彼の行動は理に適っている」 バスターズは予想とは裏腹に、手厚いもて成しを受けた。襲撃によって自らの正しさを証明するなど、空前絶後の行いだと王は笑った。硝子も渡り廊下の外壁も、一般のそれとは比べ物にならないくらい硬質であり、そう簡単に破壊できるような代物ではない。あれをいとも容易く打ち破るとは、どうやら希望の方も劇薬に分類されているらしい。兵士達は挙って彼らを捕らえるように進言したが、バルバロッサはその願いを聞き入れなかった。もし彼が本当にクルエルであれば、最初の一撃で自分は亡き者にされている。その言葉を聞くと、守備兵達は一様に引き下がった。凶王の名を聞き、怯えを見せた兵士達の表情を、バルバロッサは見逃さない。守備兵長を睨み付ける。「まだ喋るなと言ったはずだが」 「申し訳ございません。しかし、敵の大将に相当する人物の力、我らも知っておくべきだと思いまして」 まるでこうなることが定まっていたかのような流れだな。その晩餐は賑やかで、不思議な空気に包まれていた。「パトリック、それにマキシン」 二人が食事を止め、王の方を見る。「彼は朧の王と同じ、雷の力を持つ者だ」現実を突き付けられた後、その確証を得る。晩餐と共に、話は矢のような速さで進んだ。

「まず、はっきりと言ってくれ」 黙々と食事を続ける士騎のフォークが目標を外れ、皿に当たった。「何をですか」 緊張感が漂う。「君なら奴らと、どう戦う」 その言葉を聞くと、険しかった士騎の顔が少し緩んだ。「王様、あなたは王様だ」 アルジと守備兵長マキシン、寡黙なパトリックさえも疑問符を浮かべる。「俺が提案するのは助勢ではなく共闘です。そしてその共闘の枠組みには、もう一つの国も入っている」 「白雲、か」 士騎はカラビに小さな海老を食べさせた。「あなたは心のどこかで、この国だけを守れば良いと思っていませんか」 バルバロッサが押し黙る。他はどうなってもいいと、そこまで考えていたわけではない。しかし私は、この問いを否定することができなかった。何も考えていないようで、彼はすべてを自覚している。己に出来ること、やらなければならないこと、授かった力と、その使い道。強大な力は、制御の仕方次第で剣にも盾にも姿を変える。

「白雲と協定を結んで下さい」 パトリックの内にある重厚な秤が漸く、彼を信頼の置ける人物と断定した。「バル王、どうやら我らにも兆しってやつが訪れたようですな」 随分と猛々しい春風だ。バルバロッサの燻っていた火種は、燃え盛る炎に成り代わった。「貴殿の提案とやらを聞かせてくれ。我らも可能な限り協力することをここに誓おう」 一つの国の主君を前にしても、士騎の振る舞い方は変わらなかった。なんとも強引な会合の仕方だが、突破口が無ければ己で穿てと教えられて育った彼にとっては、これも当たり前のことなのかもしれない。

「この映像作品を見て下さい。そんで、これと似たようなことをここで実行したいんで、宜しくお願いします。あ、それと遺跡の」 小さな画面に映ったのは、金髪の少年が泥棒を撃退する映画だった。
壁には燕尾服の様な濃紺の外套が掛かっている。宮殿の礼服だ。士騎はターバンに宮殿とその周囲の見取り図を描いてもらうと、二人をカードテーブルに集めた。作戦は単純明快にして複雑怪奇。アルジは疑問を投げ掛けずにはいられなかった。士騎は宮殿に向かう日を目安箱の鍵が開く日と言った。そこに自分の書いた意見書が入っているという話だ。黎明の国へと続く境界が現れたのはつい先日のこと。その話が本当であるなら、境界が現れる以前に宮殿の会所を訪れたということになる。ここで先程の二人の会話が脳裏を過った。ターバンと士騎は既に接触を終えている。「電波さんは瞬間移動が可能ですか」 冗談混じりの一言に、士騎は真面目に答えた。「できない」 アルジの笑顔は一瞬で消えた。「ターバン!」 ターバンは士騎の後方にある帽子掛けの方を一瞥した。「その子が手紙を届けてくれたんだ」 フクロウが首を傾げる。彼の名はカラビ。殻火という巨大な固有種の生まれ変わりであり、ついこの間、士騎が名前を付けたばかりだった。「ヨモギに手紙を届けたのは誰だったか思い出せ」 手紙、救援を要請する手紙のことか。士騎の言葉を聞き、アルジは記憶を呼び起こした。

あの大きな戦いの時、カラビさんはどこに居た。そういえば、どこにも姿はなかった。彼を目にしたのは戦いの後。気付けば電波さんの右肩に留まっていた。士騎と春、空拳達と共に庭園に帰ってきたという見方をすると、ある憶測に繋がる。恐らくこれが答えだ。

「黎明まで飛んだというんですか」 士騎は頷いた。手紙は二通あったということだ。一つは朧に居る竜族のもとへ、そしてもう一つは黎明に居るターバンのもとへ届いた。後者に士騎の意見書と、意見書を会所の目安箱に投じることを依頼する文章が書かれていたとすれば、辻褄が合う。「身体は小さいが、カラビは殻火と同じ力を持っている」 闇を吐き、夜に紛れる。ヒドラの魔窟で鉱石を探していた時、殻火と出会った。あまりの強面に身構えたが、奴はただ遊び相手を探しているだけだった。それに気付くのに随分と苦労したがな。何度か急に遊びに行って驚かすことを試みたが、どの洞窟から地底湖を目指しても、必ずと言っていいほど先に見付けられてしまう。遊びを通じて、殻火はエーテルの差異を見分けられることがわかった。個々人の差、果ては強弱に至るまで。

朧に繋がる境界が現れる前、異世界へ救援を呼びに行くことが可能だったのは、その能力に因るもの。カラビは断続的に繋がる境界の、一秒に満たない繋がった瞬間を見計らい、朧へ向かった。影の功労者の存在を知り、バスターズがどのような者達の集まりなのかを思い知る。カラビさんの活躍がなければ、増援の一角が庭園の地を踏むことはなかった。士騎にヨモギの返事を届けた後、フクロウは単身、黎明の国へと向かう。これはすべて境界が完全に現れる前の出来事だ。一度人間界側へ戻ってきたのは、昼の空を飛ぶ危険性を考えてのこと。日が落ちてしまえば、闇に紛れて飛ぶことができる。そうしてターバンに手紙を届けた後、戦いが終結するまでに戦地へ急ぐことが、カラビの任務だった。士騎は緋色の目をしたフクロウに手を伸ばす。すると帽子掛けから士騎の手に飛び移った。

「こいつはちゃんと言葉を理解してる。もしかしたらハゲより頭いいかもな」 カラビがゆっくりと羽撃く。「さて、明後日の動きを簡単に説明するぞ」 ターバンは彼らの話を聞きながら深く考え込んでいた。手紙にアルジの名前が無ければ怪文書と判断してしまうような、あの内容。王の気を引くには充分かもしれないが、どんな意味があるのだろうか。目安箱が開錠され、バル王が目通しをなされるのは月に二度。気早な士騎さんに境界が合わせたとでもいうのだろうか。その類の情報は調べ尽くしてあるにしても、あまりにタイミングが良すぎる。「このテーブルは食事とトランプの兼用か。成る程」 何かこの人からは、並々ならぬ気配がする。背格好は人間なのに、大きな生物と向き合っているみたいな感じだ。実に面白い。アルジには後で色々と訊かなければ。まずはあの剣。あの、剣。

礼服を着た士騎がカラビと共に宮殿に忍び込む。アルジとウィンドリットは陽動を担当し、守備兵を分散させて攪乱する。「これって要するに強行突破ですよね」 「大丈夫、俺の意見書を読んでくれていれば、自然と話し合うことになるさ」 礼服を着て守備兵の目を掻い潜り、王様の居る迎賓室へ。目安箱が開錠される時間帯は決まっている。王様の規則正しさには定評があるため、狙いを外す可能性は限りなくゼロに近い。実に単純な作戦だ。上手くいくのだろうか。「この見取り図は正確だよな」 「ええ、勿論です」 ターバンはカードテーブルを食台にするための準備をしていた。彼が作戦に関与するのはここまで。あとはバスターズの四人の仕事だ。見取り図は後方に宮殿。前半分を会所が占めており、周囲は塀に阻まれて、猫の子一匹出入りする隙はない。空でも飛べれば何とかなるかもしれないが、それでは兵士に見付けてくれと言っているようなものだ。「守備兵と戦って捕縛されるなんて御免ですよ」 「暴れろなんて言ってない。ちょっと騒ぎを起こして、人の流れの向きを変えてくれればいい」 士騎の話では、人々の往来の激しい会所で、誰も彼も同じ方向を向くように騒ぎを起こせとのことだ。アルジは頭を抱えた。

「任せてくれたまえ」 「よし、取り敢えず明後日までは待機だ。作戦の最終確認は当日の朝に行う」 自分とウィンドリットに可能なことと言えば、あれしかない。翌朝、アルジはターバンの声で目を覚ました。「あの剣は何製だ」 昨夜は昔話に花が咲き、ついには訊きそびれてしまったことを目覚まし代わりに投擲する。アルジが素材を教えると、彼は飛び上がった。すばらしい。そう呟くと、マスクを手に取り探究室に閉じこもってしまった。他者の作品に影響されて奮起することはよくある。演算しているかの如く思考する癖、昔と変わっていないみたいだ。後で思い出したかのように色々と質問されるに違いない。

どうやら士騎とカラビは出掛けたようだ。黎明の国に戻って来た嬉しさはあったが、この地の行く末を思うと複雑な心境だった。ここが戦場になるなんて考えたくはない。扉の外ではウィンドリットが眠っていた。朝焼けと硬質な装甲がコントラストをなしている。機能を制限し、エーテルの消費を抑えた状態だ。この国ならウィンドリットも自由に行動できる。個体数が少ないとはいえ、エーテルで動くガーゴイルは都市内部の建設場などで目にすることができる。人間と足並みを揃えて歩いていても何ら不思議なことはない。通常、ガーゴイルは煉瓦の積み込まれた石車を引いたり、大規模な建物を建造することを目的として作られる。都から少し離れた場所にある煉瓦窯などでは、外敵を近寄らせない案山子の役割を担うこともある。野生の動物などはガーゴイルを特に恐れる傾向にあるようで、たとえ起動することは出来なくとも、そこに居るだけで意味があるのだ。人間では困難な作業を行う点では同じだが、都のガーゴイルとウィンドリットでは決定的に異なる部分があった。それは攻撃能力。簡単に言えばエーテルを纏う者と戦えるか否か。先の決戦において、鉛色の特殊鋼に身を包むガーゴイルは期待以上の働きを見せた。「お前の強化が我輩の課題だ」 更なる能力の向上にはターバンの力が必要になる。アルジは自分の考えを士騎に話してはいなかったが、何か変化があればすぐに勘付かれるに違いない。

それはそうと、あの二人はどこに行ったんだ。アルジは作戦の成否よりも何よりも、自分の部隊の長が黎明の王と面会しようとしているという事実に眩暈を覚えずにはいられなかった。彼は段階を踏むという言葉を知らないのだろうか。しかし、その果敢さが武器であることもまた事実。押後も一番槍も、あの人なら安心して任せられる。彼を敵に回した時の怖さをよく知っているからこそ、信頼できるのかもしれない。鬼に金棒を体現しているかのようなお人だ。もしかしたらと期待せずにはいられない。

見付けたぞ馬鹿隊長。それは我輩が昨日借りた自動車じゃないか。待て!降りろ!