ご覧くださりありがとうございます🍀
篠笛・和太鼓奏者&ダンサー
音のひと*ゆうな です(*´▽`*)
引き続き、
ゆうなの音楽人生を振り返るシリーズ♪
前回の記事はこちら
さてさて、
和太鼓演奏で舞台に立つことを通じて
自分の一番の特性ともいえる
「私は私よ!✨」
という我の強さが一気に開花したゆうなですが
吹奏楽や西洋楽器の経験によって
『ある調和のために自分を殺すこと』 と 『“整っていること”という種類の美しさ』 を知ります。
和太鼓と出会って3年ほど経った小学4年生(9歳)の終わりごろ、
金管楽器とパーカッションのみの編成で演奏をする金管バンド部(学校の部活動)に入りました。
はじめはトランペット担当、
一年ごとに楽器替えがあるので
6年生になってからはユーフォニウム担当をしておりました。
そしてこの時期に
ちゃんと五線譜の楽譜と向き合います。
もちろん音楽の授業で五線譜の楽譜は目にしておりましたが
先生のお手本や音源から音を捉えられていたので
楽譜読めなくてもリコーダーや歌などの
実技テストは優秀な成績を収める
→楽譜読めなくても音楽できるぜ!いえーい♪
→楽譜の読み方に全く興味なし
→筆記テストは悲惨な結果
という状況でした。笑
金管バンド部に入り、
楽譜を読むことと半強制的に向き合わされたワケですね。
そんなこんなで
楽譜を読みながら、見ながら、楽器の演奏をするようになります。
はじめてトランペットで曲を練習している時、、
本来 As (ピアノのラ♭) で吹く箇所を
運指に慣れていなかったからか間違えて A (ピアノのラ) で吹いちゃったのです。
その時のゆうなの脳内は
「あれ?譜面はこの音じゃないよな、、
でもこれおかしくないし、むしろなんかカッコいいからいっか!」
でした
“ 楽譜通りに吹く必要性 ”
が全く理解できていなかったのです。
そんないい加減なさらい方で個人練習して迎えたパート練習、
同じトランペットの人から
「ゆうな、そこ音違うよ」と言われ、
「え、でもこれカッコいいよ」
と自信満々に発言した私を
「は??」みたいな目で見つめる彼女の顔はとても印象深いものでしたね。
ま、そりゃそうですよ。
何のための楽譜やねん、となりますよ。笑
はじめてのパート練習、そして合奏、
“メロディ楽器を誰かと一緒に演奏する”
ということを経験し、やっとこさ
楽譜は音楽の地図で
地図通りに進めば迷子にならない
ということが理解できたのでした。
「え、楽譜ってすげーじゃん・・・!」
と感動する反面、
迷子にならず
みんなと音が合っていれば確かにキレイだけれど
「楽しいっ♪」 とか
「カッコいい!」 とか
「気持ちいいなぁ」 とか
和太鼓や自分一人で演奏している時のような高揚感が
“常にあるわけではない”ことを不思議に感じていました。
なぜなら
音楽は、そういう高揚感というか
目に見えないものを操っている興奮みたいなのが
“常にあるもの”だと思っていたから。
楽譜通りに演奏してもその感覚がない時に
何やってんだろ、わたし
という気分になったものです。
リズム、ハーモニー、ピッチ、テンポ、音色、音の粒、ニュアンス、、、
様々な要素が音楽にはあり
複数人で音を重ねる時には
それらを整え、調和させると美しく聴こえる。
でも、
美しいことと感動することは
イコールとは限らない
と、何故かわからないけれど根拠なくそれを信じていました。
みんなで演奏していて
音がばっちり調和した時の美しさを知ったと同時に
調和するためには
自分が 「こうしたいな」 とか 「これがいいな」
と感じたことを、我慢する必要があるということも知ったのでした。
小学校生活の後半は、
こういうことばかり考えていましたねー
根はマジメだから。笑
この世界は
楽しいだけじゃダメなこと“も”あるんだな
と、音楽を通して気づかされた気がいたします。
こうして管楽器デビューを果たすと、
和太鼓のグループの方で
「ゆうな、トランペット吹いてるなら篠笛もできるんじゃないか?
うちは誰も吹けないしわかる人もいないし、でも篠笛の音があるといいんだよなあ・・・。
まぁやってみてよ」
と、先生から篠笛を手渡され
なんの情報もないところからとりあえず練習し始めます。
次回は、、
『独学篠笛の始まり』
について綴ります🍀