前編で「抜根」の方法について議論してきたが、本編では、「根」そのものについて少し考えてみたいと思う。
太極拳は武術として当然ながら「根」が必要だ。少林拳なご他の武術流派の中に木の根っこのごとく足指で地面をつかむよう求められているのがあるが、太極拳とは考え方が異なる。
足と地面の関係については、太極拳は下記二つの機能が求められている。つまり、足と地面の一体化と地面からの跳ね返しの要求だ。前者は「邁歩如猫行」(訳:足を運ぶのが猫の如し)や「如履薄氷」(訳:薄い氷の上を歩く如し)、後者は「其根在脚,発於腿,…」(その根っこが足にあり、腿から発し、…)という古典理論の名句からそのニュアンスを感じ取ることができる。後者は大地の力を借りるということだが、《太極拳の「根」》の記事で詳説したのでここで省くことにする。
「邁歩如猫行」も「如履薄氷」も足と地面の接触状態を指すが、足指で地面をつかむことによって「根」をつくるのではなく、足ひいては体全体が地面と一体になることによって「根」を形成するのだ。一体になるには、足指の筋力によるものではなく、接地線のように、目に見えない「気」と地面の接合が必要だ。「気」だからこそ足の「鬆」が不可欠になる。それは重心が置かれている軸足でも例外ではない。「実非全然占煞,精神貴貫注」(出所:李経綸《五字訣》;訳:「実」というのは、筋肉が強ばるように全ての空間を詰めるのではなく、神気の注入が重要だ)の通り、軸足でも足の筋力を用いず「鬆」で地面と「気」が通い、一体化することによって「根」の形成を図るのだ。
足と地面との上記関係は呉式太極拳の慢架套路における、足を運ぶ動作の特徴からも窺える。足が地面を離れるのは地面から跳ね返された瞬間だけで、それ以外の時は足が地面に吸引されているような一体感だ。又、太極拳の動きは切れ目がなく綿々と続くので、こうして出来た「根」は動作ごとにあるよりは全ての時空にあると理解すべきだ。