#復活してほしいグループ[2人組] | HAPPY LIFE【言霊】✩.*˚~不定期更新

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HSP、更年期に突入し、気力や行動力の低下、倦怠感等の症状が重なり、現在、推し活もブログ更新も不定期更新。度重なる体調不良で、推し活どころじゃない現実。

復活してほしいグループ

私が復活してほしいなと願っていた、

2人組ユニットは、


7年もの月日を越えて、

めでたく、

復活しました。


お祝い復活!拍手


7年もの間、

音楽番組のCDTVの

[復活してほしいグループ]の

アンケート結果ランキングで、

いつも10位以内にランクインし続けていたのを、

見かけていました。


ボーカルとキーボードで結成された、

2人組ユニットでした。




ただ、7年もの歳月が流れれば、

私の見方や受け止め方も変わるもので、

昔は、

[2人で1つ、ニコイチ]

という見方をしていましたが、

時が流れ、

再結成した日には、

[ソロミュージシャン同士が、

久しぶりに出会って、

コラボしてる。]


そんな見方、受けとめ方の感覚に、

変わっていました。


ユニット活動していた頃は、

いついかなる時も、

2人で一緒に活動していることに、

意味や価値を見出し、

目も耳も心も惹かれていましたが、

7年もの月日が流れれば、

ちゃんと、1人を、

独立したソロのミュージシャンとして、

受けとめて見ている自分がいました。


不思議な感覚でした。


私自身の、

2人に対する見方や受け止め方は、

月日の流れにより、

変わりましたが、

2人の間に流れる空気感は、

7年もの空白を一切感じさせないもので、

7年ぶりに2人が出会ってからの会話を聞いていると、

7年もの空白の期間が、

嘘のように感じました。


一瞬で、

時計の針が

7年前に戻ったかのように、

感じました。


結果的には、

復活後に現在進行形で生み出され、

進化と変化を続ける音楽の形に、

私の感性がついていけず、

聴き手としての限界を感じたこと、


そして、

他の歌手様との掛け持ちでの熱狂的な応援は、

金銭的にも厳しく、

LIVE日程が近い日になると、

それぞれのアルバムを、

満足に消化しきれないまま、

未消化の中途半端な状態で、

LIVE参戦に挑むことになり、

イントロが流れてきても、

何の曲かがよく分からないなどの、

曖昧な感覚に陥り、

LIVEをきちんと楽しめていないような、

消化不良の不完全燃焼のような感覚になることも、

ありました。


結果、掛け持ちでの熱狂的な応援は、

大変だと感じ、

熱狂的な応援活動からは、

卒業したのでした。


中途半端な状態でしか、

音楽の世界観を楽しめていない自分を、

自分自身が許せない気持ちも、

ありました。


それでも、

7年もの月日を越えて再会し、

7年ぶりに再び、

一緒に音楽を作り

2人にしか生み出せない、

唯一無二の音樂の世界観を届けてくれたことが、

すごく嬉しかったです。


2人の再会は、

この先、もうない。

と思っていたので、

キーボーディスト様のファンクラブから届いた、

7年の時を超えての復活を

お知らせするハガキを見た瞬間には、

驚きの声を上げて、

狂喜乱舞してしまいました。


“ 自分で初めて知って、

感動したいだろうから”と、

初めて知った時の感動や衝撃、

衝動を大切にしてほしいからと、

私よりも先にファンクラブからのハガキを受け取り、

7年ぶりの活動再開の情報を知っていても、

あえてネタバレせずに黙っていてくれた

ヲタ友の気遣いと配慮にも、

感謝でした。


私の青春でした。

若き日の乙女だった私が、

生まれて初めて入った、

ミュージシャンのファンクラブ。

それが、

彼らのファンクラブでした。



[この2人だから好き。 ]

[この2人じゃなきゃ意味がない。]

という認識が、

活動休止前は強かった私ですが、

どちらかといえば、

作曲・サウンド、キーボードを

担当していた人のファンでした。


だからこそ、

ユニット活動を沈黙させた時には、

私の気持ちは、

キーボーディスト様の側にありました。


ボーカル様と離れる際には、

1人のボーカリストとしての

新たな門出、旅立ちを見送るような、

そんな気持ちや感覚に包まれました。


正直、寂しかったです。


寂しい気持ちが、

ジワジワと

押し寄せてきました。


気持ちは、

ついていく側ではなくて、

見送る側でした。


寂しいなと思う気持ちは、

ありましたが、

ボーカル様個人のファンクラブも、

新たに設立され、

彼個人のソロとしての歌手活動が、

本格的にスタートしたこともあり、

音楽活動を引退されるわけでもなく、

涙があふれるほどのショックが、

なかったのだと思います。


その後、

キーボーディスト様が、

次なるユニット活動始動に向けて、

新たなボーカリスト様を探し、

新たな仲間と出会い、

新しい音楽の形を模索されて、

新しく3人組ユニットで、

それまでとは違った、

新しい音楽の形を発表されました。


それでも、

やはり、

離れ離れになった彼らでしか表現出来ない、

唯一無二の音楽の世界観があったので、

その音源に触れても、

前ユニットと比較してしまう、

聴き手としての気持ちが、

心のどこかにあり、

いかんせん、

“パッとしないな ”と、

物足りなさを感じていた部分も、

正直、ありました。


私自身、

後続の新ユニットに対して、

同じくらいの熱量で熱狂的にハマる、

ということは、

ありませんでした。


3人での活動期の想い出を語らないのは、

語れるほどの熱量が、

なかったからです。

だから、

3人時代のことは、

語れません。

私には、

3人時代のことを語れるほどの、

濃い想い出がありません。


彼個人の作曲は大好きだから、

彼が関わった音楽作品のCDは、

全部、買い集めてコレクションするけど、

彼自身がメンバーとして活動に参加している、

グループ自体のコアなファンではなく、

あくまでも、

作曲家・プロデューサーとしての立場の個人が好き。

という感覚でした。


3人組としてのコアなファンになることなく、

聴き手として、

プロデューサーとして生み出した楽曲の数々を、

数多く愛でる日々を過ごしていました。


その中でも、最たるものは、

やはり、

滋賀県出身のボーカリスト様が、

圧巻の歌声と歌唱で歌い上げるものでした。



作曲家・プロデューサーとしての

個人のファンクラブには入るけど、

3人組のファンクラブに入るほどの

熱量はなく、

空白の7年間は、

熱狂的な応援というよりも、

滋賀県出身のボーカリスト様を挟み、

滋賀県出身のボーカリスト様の側から

少し間接的に??

距離を置いた形の応援となっていたのは、

確かでした。


私の感性を惹き付けるだけの魅力と吸引力、

私を夢中にさせて熱狂させるだけのパワーは、

滋賀県出身のボーカリスト様の方が、

圧倒的に強く放っていたのでした。


キーボーディスト様が、

ボーカルと2人でユニット活動していた時期と、

ボーカルとギターとの3人構成で、

新たなユニットを組み、

新たな活動をしていた時期では、

音楽の世界観が、

ガラッと変化したこともあり、

私自身の応援の熱量も、

全然、違っていたのでした。


やはり、

熱狂的に応援するにあたって、

ボーカルの歌唱が放つ魅力、

ボーカル自身が持つ、

歌声の魅力というものも、

私個人的に、

切っても切り離せないものなのだな。


と、そう感じたのでした。


曲だけが良くても、

歌声だけが良くても、

音だけが良くても、

私の感性は動かず、

どれもがバランス良く、

自分の感性とかみ合わないと、

私は、熱狂的にはなれないのだと、

実感しました。



 現在は、すでに、

熱狂的な応援LIFEからは、

卒業しているため、

ユニット名は、ふせますが、

今、久しぶりに聴いても、

やはり、懐かしく感じ、

血が騒ぐので、

当時大好きだった音楽の形は、

今、聴いても、大好きなんだなと、

しみじみと実感しました。


それと同時に、

時は、止まらないのだな。

と、実感させられるのでした。


7年もの時を超えて、

再会した彼らでしたが、

7年も経てば、

2人並んで一緒にいる姿を見るのが、

逆に、不思議な感覚になります。


あ、本当に復活したんだなと、

そう実感するのでした。


7年の時を超えて、

[おかえりなさい]

と思えたのは、

とても幸せなことです。


私に、青春をありがとうございました✨

 

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