今回、史実に忠実にする事を中心に意識して書くと、面白味に欠けるのと、何か情報に踊らされて、ミスリードしているのではと懸念して、思い込みで書くことにした。
生まれについて、多くの説があるが、自分は、天智天皇の兄という説をとる理由は、天智天皇の親百済に対してに、親新羅政策をとったこと、滅亡していれば当然?と思うが、蘇我系の皇族で政権を運営していて、渡来系百済人の排除、藤原鎌足の死後の藤原氏を断罪している。
斉明天皇と天智天皇が、百済系の皇族といわれている。
これには、日本人のルーツに東北アジアから3,4世紀に韓国を経由してその中に百済系渡来人と新羅系渡来人がいる斉明天皇の母が百済の血筋を色濃く、受け継いていたと言われている。
そして斉明天皇の前夫高向王が新羅の血筋と言われ、その間の子が天武天皇と言われている。
オーソドックスにいけば、乙己の変で中大兄皇子の系列(皇極天皇の係累)が権力を握り、大海人皇子が、かたちばかりの皇太弟となり、恋人を略奪され忍従の日々を送り、斉明天皇の崩御、白村江の戦いを経ても即位するまで、空位の時期が七年間と、それ以前にも即位出来る機会が何度でもありながら、何故即位しないのか(即位出来ないのか?)と疑問がのこる。
影でいろいろ、確執が存在しながら疑問が更に、一つ、何故天武天皇を弟と言いながら、天智天皇の自身の後の持統天皇をはじめとした娘を四人を嫁がせるのか?
そして壬申の乱、極論これは、侵略戦争ではないのか?aiは、皇族の皇位継承の内乱だと?
極論では、天武天皇の正体は、唐と新羅の執政官で、
天智天皇の近江遷都は、唐、新羅の連合軍に古代中国における、城下の盟(降伏宣言)の結果ではないかと?
そして、壬申の乱は、天智天皇の後継者大友皇子より、政権を奪い取った事実上の侵略戦争では無かったのか?そして天武天皇とは、簒奪した後に後世の誰かが遺した諡とか、それで持統天皇(天智天皇娘)が、天武天皇の系統を皇位につけなかったと?
何故、皇位につかなかったのか?娘を四人も嫁がせたか?(人質、略奪)。
辻褄があう、皇位につかなかったのではなく、つけなかった、席順が下で、乙己の変では、孝徳天皇、即位の為、次々と皇子を抹殺するが、皇位認証され無かった、即位できたのは、傀儡として。
娘の件は、敗戦の臣従の証。
その後の遣新羅使は、朝貢の為。
極論は、無しとして唐と新羅との関係については、非常にデリケートで使節を派遣して、否定の意見もあるが、戦を避けるため、朝貢に近い外交関係にあったと想われる、唐は外戚の勢力のつごう、国策が一貫したものでは無かったと想われる。
どちらかと言うと、三韓統一した新羅のほうが、要注意だと思われる。
頻繁に遣新羅使を派遣している。
新羅も中国唐とのあいだに確執が生じ、日本とは敵対しない態度をとるようになってきた事に助けられ、大陸間との争いを避けることができた。
我国の律令制の基本を整えた人、伝統として伝えられた主要な宮廷の儀式を整えた人。
天武天皇、調べれば調べほど二転三転する。
その過程で、謎の九州王朝倭国の存在が浮上してきたのと、古代日本は、四大王朝が存在していたとか、古代王朝における天皇の立ち位置不明。
政策も天智天皇の中央集権国家の継承、外交政策が時流に応じたもので変質した結果で、天智、天武天皇間は、天皇中心の政治、皇族が政治をとっていた。
次の持統天皇によって律令制の名の元に官僚を登用したことが、天皇中心から、官僚中心の政治に移行してゆく、藤原不比等の登場になり、やがて藤原氏の摂関政治に繋がる。
そしてもう一つ、天武天皇の国史編纂で当時の記録が忠実に遺っているかといわれると、その信憑性は、皆無で、その時代に応じて改編、改竄されて特に藤原氏の専制においては改竄されたとされている。
そのことが、政治的にどれほど重要なことか、私達は、忘れている。
現在の失われた30年、歴史は正確に伝えられているのか?心配になる。
かなり昔の1500年前の改竄を問題にしないが、失われた30年の改竄を人はどう思うのか?
正しく記録保存される。重要性をどう感じるのか?
何日にも渡って書いたので、どんどん内容がずれてきてる感がいなめない。
知らないことが多すぎた。
いろいろ勉強学習の余地がでてきた。
近年、桶狭間の戦い、長篠の戦い、鎌倉幕府の創立、そして、大化の改新、大和、飛鳥、奈良の古代日本の歴史、いろんな解釈、見解が、沢山でて、素人の私を悩ませる。体制側が洗脳する為、巧妙に創作する。
そして思い込む、どれだけ真実に近づけるか?
今回は、古代史を通して、真実はどれなのか、何なのかと、いろんな説を前に、歴史の不確実な面を実感した。
次回、更に長くなりそうな藤原不比等
謎につつまれた人物、律令制の立役者なのか、稀代の悪人なのか?
今回、乱文乱筆、改訂必須となりました。