結論から言えば、かなりのこじつけが必要、それこそ蘇我氏が、藤原氏並の長期政権を樹立すれば、厩戸皇子と蘇我入鹿を同一人物と記録がのこせるのでは?
というのも聖徳太子は、実在した人物ではないという事、初めて聖徳太子が世の中にでたのが、720年の日本書記の記述の中、つまりそれまで、誰の功績か記録が、曖昧だった。
そして、日本書記、最終的な編集者が藤原不比等、時の権力者、何か怪しさを感じる。
都合の良く歴史を改竄したと。
厩戸皇子でなく、聖徳太子と何故名前を変える必要があるのか?
厩戸皇子は、蘇我氏の血筋の濃い皇族で、それ以後、その血統は、粛清され乙己の変以降皆無となる。
(天智天皇、弟とされる天武天皇が密かに曽我氏の血統ではという説がある)。
ただ同一人物の根拠は、二人とも頭脳明晰と厩戸皇子が、活躍した時期、蘇我入鹿の記録事跡が不明(知らないだけ?)、ひたすら学問に精進?
そして、聖徳太子は、蘇我入鹿の從兄弟にあたる、父蝦夷の妹を母とし、妻も蘇我の一族。
反論すれば、実の子山背大兄皇子を殺し一族皆殺し、不可解すぎる、蘇我入鹿だけでなく他の皇族も関与していたにしても、自分の利益にならない、自分の手足を切り離す愚かなことをするはずが無い。
それと海外の記録中国の隋に厩戸皇子(皇族摂政の記録がある)と国交を締結した、あの有名な国書日出処の天子から日没する処の天子へという隋の史記にある。
少なくとも、臣下でなく皇族が政治を行ったという記録。
この時代、確かな記録がないので、誰の為した功績か、確証がもてない。
そこが難しい。
自分の一番記憶の残るところでは、NHKの歴史ドラマ本木雅弘主演聖徳太子の時代背景が鮮明。
当時の蘇我氏の権勢が明確に描かれていて多分、歴史史観の主流ではないかと想われる。
蘇我入鹿が歴史に登場する以前の話と思われる。
聖徳太子のスーパーマン超人的な能力は、それこそ創作で、人物像は、それこそ蘇我入鹿と厩戸皇子を足して2で割った人物なのでは?
厩戸皇子の超人的なキャラクターは、イエスキリストの日本版なのか?馬小屋で生まれたという記述はシルクロードより伝わった記録の引用か?
聖徳太子は、いろんな意味で政治に利用された理想の人物、複数の人と同時に会話出来る、藤原不比等の理想、そして鎌倉時代元冦、外国と対等に外交を行う偉大な政治家、明治時代は、仏教を広めた極悪人、戦後は、平和を唱えた民主主義の元祖と時代によって、視点が違う。身体的特徴から豊聡耳皇子とも、そして源平藤橘の他の家、豊臣家の元と言ったら誰のことかわかるだろう、太閤秀吉の新しく新設された家系、こちらは、観音の化身、大黒天の生まれ変わり等と神を意識した、時代において、本当に色々とイメージの変わる、日本書記の偶像である。
日本書記で、藤原不比等が行なったこと、蘇我氏を皇統から抹消して、藤原氏の出自を有耶無耶にしたことではないか?
中臣鎌足の出自、渡来系の帰化人と古来から祭祀を司る一族とか?
歴史とは、資料(記録、遺跡、)も大事だと思うけど、行動した軌跡、結果も大事だと思う。
資料から事実を辿ることも大事かもしれないが、実際に起こっていて、そんなことありませんという揉み消されるということもありうる。
故に人の死とか、地震、天変地異、戦等消せない記録を追って線で繋げるしか方法が無い。
書物、書置き、書状は、人の意志で捻じ曲げられる。
古代、中世期をみると、いろんな研究者が、さまざまな見解をならべて、どれが事実か解らないことがある、こちらは、架空の仮説フィクションなので、いろんな考えがあって、面白い。
ただ、その時代の命の重さ死生観、人の価値観は、現代の道徳、常識、価値観では、はかれない。
所詮、現代人の価値観でしか判断できない、ただ欲望と愛憎の人間の根っこの部分は不変だと思う。
ギリシャ時代でも、近頃の若い者はという言葉は存在するし、戦争と売春は、なくなっていない。
進化していないもの科学に対する人の心(例不老不死)
今回は、よほど無理がないとみとめられない、同一人物と肯定できない。
時間的、物理的不可能。
ただ、この時代の検証は難しいと解った。
人の願望、憎悪、戦、人の死が歴史のターニングポイントになると実感した。
そこだけが曲げられないので。
終わりにします。
次回大化の改新(乙己の変)、ありきたりにならないよう極論を取り上げるよう努力します。