佐藤彦五郎120回忌を迎えるにあたり、大昌寺での法要、墓参と新選組講演会を6年ぶりに催します。

 

《彦五郎120回忌 新選組講演会》

9月11日(日)

【第1部】

法要:10時30分〜11時30分/大昌寺(日野駅から5分)

   本堂で読経、講話。彦五郎、のぶの墓参。

【第2部】

講演:14時〜16時(開場13時30分)

会場:ひの煉瓦ホール(日野市民会館 小ホール)

講師:伊東成郎氏「京都新選組生活白書」

   伊東成郎先生のレジュメは、A4で16ページです。

   近藤勇、土方歳三らの京都での人物像、証言など。 

   芹沢鴨の暗殺の詳細。局中法度について。

   山南敬助 の切腹に関する異説。

   斎藤一に関すること、御陵衛士について。

 

講演:佐藤福子館長「土方歳三誤認写真の顛末」

     長年幻だった土方歳三と土方久元の取り違い写真が発見され、

     どういった経緯を経て当資料館で公開するに至ったか?

 

参加費:3,000円(記念品を含む。講演会終了後、資料館見学可。)

    ※記念品・手ぬぐいのイメージ画像あります。

 

服装は平服(普段着)でご参加ください。

第2部からのご参加も3割ほどおられます。(参加費は同額です)

 

下記のお電話、またはEメールでお申し込みください。

TEL:042ー581ー0370

Email:hiko56-shinsen@jcom.zaq.ne.jp

 

 

【新選組展の図録から「三南」を見つける!】

 

新選組展2022 福島会場でいただいた図録に、山南敬助について、三南と記してあるのを館長が見つけました。

 

福島県立博物館蔵・明治14年11月15日の記載。「新選組浪士始末」。

図録P166、222番資料写真 1行目「其頃之副長 三南三郎 仙台人 敬介と云う 柔術に達者之由」とあり!

 

日野では古くから、山南敬助さんのことを「やまなみ」とは言わず「さんなん」と呼んでいます。

佐藤道場の門人・古谷祐之助さんが書き残した「剣術帳」にも、万延元年の稽古記録が記されており、試衛場(近年、当時の文献には試衛場とあり、試衛館とは誤りであるとの記述があります)から出稽古で近藤周助、近藤勇、山南敬助、沖田総司が来た際にも、稽古相手の名前が何ページにも渡り、ずらりと書かれておりました。

その中に、赤文字で小さく「江戸」、墨で「三南啓助」とあり、稽古相手に名前を聞いたところ「さんなんけいすけです」と答えたので、そのように書き残したのでしょう。これによって、「山南(さんなん)」が正しいことが分かります。「やまなみ」という呼び名は小説などから生まれたものだろうと思われます。

歴史研究家の山村竜也さんが20年近く前に、仙台などで調査した結果、「やまなみ」という言い方は全くなく、「さんなん」が正解であるとの見解を示しています。

また名前の漢字も何種類かあります。新選組関連の書籍などでは「山南敬助」「山南敬介」と記されていますが、山南本人の署名の資料が残っていて、そこには「山南敬輔」とあります。

古谷祐之助さんの「剣術帳」には、他にも、近藤周助を「江戸・近藤宗助」と書いています。近藤勇はそのままでした。

なお「やまなみ」が正しくて「さんなん」がニックネームだと勘違いされてしまうこともあるようです。

 

「剣術帳」には他にも、土方歳三や井上源三郎さんの名前もあります。

小説、映画やドラマなどでは、「試衛館」の食客として、近藤勇さん、沖田総司さん、山南敬助さん、永倉新八さん、原田左之助さん、藤堂平助さんらと共に生活していたとされていますが、土方歳三と井上源三郎さんは日野に居ました。

近藤勇でさえ、近くに自宅があり、試衛場(試衛館)に通っていたとあります。

浪士隊募集の際、近藤勇一門の門下として土方歳三や井上源三郎さんも参加しているので、試衛場の食客として描かれてしまうのではないでしょうか。

歴史研究家のあさくらゆうさんによると、当時、農民の立場で江戸の道場に入門することが出来なかったとのことで、試衛館の食客は不可能だということです。

 

「剣術帳」に土方歳三の名前は日野宿に居たので沢山出てくるのですが、「土方年蔵」「土方歳蔵」と記載されています。

 

映画やドラマ、特に大河ドラマ「新選組!」は人気があり、リアルタイムで見られなかった若い人までもDVDなどで見たという話を聞きます。


大河ドラマを見た人の多くは、そこに描かれている人物、出来事が真実だと思ってしまうようです。例えば、山南切腹後、近藤と土方が肩を寄せ合って泣いたシーンが良くて、本当はそうだったんだ...とか、井上源三郎さんが試衛館でみんなにお茶を出したり(試衛館にも居ないし、源さんがみんなにお茶を出すなんて、ありえない!です)、彦五郎が情けないキャラクターで描かれていたり...(近藤勇への手紙で近藤を注意しているのに)それに彦五郎愛用の大きな刀(拵えも含め3kgもある刀)を使いこなしていたというのをみれば、どんな人物だったかが分かると思います。

 

真実は手紙や記録など、文書に残されたものから得られるもので、映画やドラマなどは、大まかな歴史の流れから脚本家を物語を考え、台本を書いたものです。

 

 

古谷優之助さんの剣術帳(古谷家所蔵)

 

彦五郎愛用の刀。実際に人を斬った刀で刃こぼれも激しい

 

 

 

令和4年(2022年)6月14日(火)

BSフジの番組『この歴史、おいくら?〜誠を尽くし士道を貫いた新選組〜』

新選組に関わる、例えば、池田屋事件などで、いくらお金が動いたかを検証する番組だそう...

 

収録の打ち合わせが2度ありました。

佐藤家に残っている資料で何かありませんか?とのことで、館長が土方歳三の美談と歳三が市村鉄之助に形見の品を持たせ、佐藤家に届けるよう命じた時、お金も持たせたことをクイズにしては?と。この企画が通りました。

 

収録当日は、龍馬伝で近藤勇役を演じられた原田泰造さん、東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんがお出でになり、佐々木恭子アナが進行されました。

狭い館内は、館長も含めて4人が展示資料を説明しながら収録をしていきますが、カメラや照明、ディレクターやカンペを出すADが二人、その他にスタッフやマネージャー等々、カメラの反対側はいっぱいになりました。

 

収録が終わって、原田泰造さんに、ネプチューンさんと同じワタナベエンターテインメント所属で、芸人の谷+1さんが近所にいることを何気に伝えました。八坂神社の奉納額に名を連ねる天然理心流の門人の子孫だとも。

 

フジテレビと言えば、まだ河田町にTV局があった頃、武蔵美の友人の紹介で、報道局に報道センターがあって、その中に報道タイトルの部門があって、フリップとかテロップ、スーパーなどは、当時は手描きで文字やイラストを描いていたのですが、そんなアルバイトをしていて、アナウンサーもスタジオに行く前に、よくニュース原稿の下読みをしていて、佐々木アナにそんな話をしたところ、佐々木アナは、フジテレビがお台場に移転した頃入社したらしく、僕はお台場移転前には既にやめていたので、世代も時代も場所も全く接点がないことが分かりました😓

僕がいた頃は、フジテレビ全盛期で「視聴率三冠王!」の張り紙があちこちにあって、八木亜希子アナや佐藤里佳アナとか、あとは...他にもいたけど今思い出せない...アナたちが下読みしていたのを憶えています。

 

フジテレビ局内で会ったというか見た人で、一番の思い出は、93年、通路でポールマッカートニーとバンドの人たちが歩いてきて、おお、本物だぁ〜!と感激しました☺️

あとマドンナが「ライク・ア・ヴァージン」で超ブレイク寸前、夜のヒットスタジオに出演したけど、最初の印象が、意外にも顔がでかかったナ...!でした。!(◎_◎;)

 

 

ここ数ヶ月、すっかり弱っていた老犬「鉄之助」が逝きました。

 

長年ありがとう。

 

何歳だったかな、人間に例えたら100歳くらいかな...

 

 

 

2022年1月16日(日)開館日、

2019年のミスター土方さんが来館されました。

もう何度か来られていますが、今回は、新年のご挨拶ということです。

ご丁寧にありがとうございます!

 

コロナの影響で、2020年、2021年と2年連続で「ひの新選組まつり」が中止になってしまっていたので、かれこれ3年間の長期「ミスター土方」ということです。

歴代の「ミスター土方」さんたちは、私の記憶が正しければ、洋装姿だったと思いますが、こちらの「ミスター土方」さんはダンダラ和装姿で登場した土方歳三だったのです!

 

2018年が双子妹の方がミスター土方に選ばれて、翌年は双子姉の方で、姉妹で連続ミスター土方に選ばれているんですから、、、今さらながら、ビックリ!ですな。

 

 

NHK「明鏡止水~武のKAMIWAZA~」の再放送は下記の通りです。

「四の巻 幕末の剣術」では天然理心流を取り上げています。

 

【MC】岡田准一、ケンドーコバヤシ

 

<総合>

明鏡止水~武のKAMIWAZA~「四の巻 幕末の剣術」※「沖田総司の肖像画」

【再放送日時】8/27(金) 前1:20~1:49 (※26日(木)深夜 )

初回放送日:2021/7/2(金)(29 分) 

 

<NHKプラス>※「沖田総司の肖像画」

・同時配信(※特別に同時配信を実施)

・早戻し

・見逃し配信(1週間)

 

<BSプレミアム>

明鏡止水~武のKAMIWAZA~「壱の巻 弐の巻」

【再放送日時】8/29(日) 前0:22~1:21(※28日(土)深夜 )

初回放送日:2021/3/19(金)(59 分) 

 

明鏡止水~武のKAMIWAZA~「三の巻 躰道」

【再放送日時】8/29(日)1:21~1:50(※28日(土)深夜 )

初回放送日:2021/6/25(金)(29 分) 

 

明鏡止水~武のKAMIWAZA~「四の巻 幕末の剣術」※「沖田総司の肖像画」

【再放送日時】8/29(日) 前1:50~2:19(※28日(土)深夜 )

初回放送日:2021/7/2(金)(29 分)

明治2年5月11日(1869年)は土方歳三が箱館戦争で戦死した日です。

歳三の命を受け、市村鉄之助は箱館五稜郭を脱出、船の中で出航を待つこととなります。出航したのが新暦の6月23日頃でしょうか。
中島登の記録には、市村鉄之助、行方不明とあります。

数日かけての航行で、6月末に横浜に着いたのでしょう。
到着後、間もなく質屋に立ち寄ったという記録があります。
当時、目的地に行くのも簡単ではない筈です。身を潜めながら佐藤家までやってくるとなれば、数日は要すると思います。

佐藤家に着いたのが、新暦の7月3日との説があります。
この時期は梅雨の真っただ中。
鉄之助は、歳三の命を受けて持ち運んだ遺品・・・写真、遺髪、刀、書き付け・・・
「使の者の身の上 頼み上げ候 義豊」
諱の義豊とあり、いつもの署名、土方歳三ではありません。
そして戦況を伝える手紙は書いていませんでした。



賊軍となってから、筆まめだった歳三が、そこから手紙を一切出さなくなりました。
父母のように慕った彦五郎やノブに、いらぬ嫌疑がかかってはならないと、証拠に残る手紙を書けなかった。何をやらせても、そつなく出来た歳三は彦五郎、ノブへの配慮も忘れませんでした。
北へ向かう会津、仙台、箱館。もっと手紙を出したかったことでしょう。そんな歳三の気持を考えると可哀想だったなと思います。
歳三の一番大切な身内への心遣いは、市村鉄之助に伝言としてもたらされました。

「われ、日野佐藤兄に対し、何ひとつ、恥ずるべきことなきゆえ、どうかご安心を」

当家は、歳三のすぐ上の姉・のぶの直系の子孫にあたりますが
弟思いだったのぶでしたので、市村鉄之助から歳三の戦死を知らされた時のことを思うと、可哀想でなりません。
歳三の冥福をお祈りいたします。

 

 

PAUL McCARTNEY「FRESHEN UP JAPAN TOUR 2018」ジャパンツアー『フレッシュン・アップ ジャパン・ツアー2018』

 

通算7回目の来日、今回は11月5日、両国国技館で行われたポール・マッカートニーの『フレッシュン・アップ ジャパン・ツアー2018』にコンサートに行ってきました!

コンサートの日の午後、ポール・マッカートニー展のチケットを頂いていたので、まずは恵比寿で開催されていた来日記念『WE LOVE PAUL!展』へ。まあ、ここはポールの貴重な品があったりするのですが.....心は早くも両国へ向かっていました!ワクワク...

早々にここを引き上げ、コンサート会場へ。

16時ころ両国駅に...降りるとすぐに国技館がありますが、舗道はファンでいっぱい!大相撲風の色鮮やかなポールの幟旗がたくさん並んでいて、ポール場所と化していました。

まだ開場していないので、舗道をうめつくていたファンと一緒にポールの来場を待つことに...

キャ〜〜〜!という歓声!があがり...ポールが会場入りだ!と思いきや、予想していた門と離れた入り口にポールを乗せた車は入って行きました。

 

 

この後が大変でした。国技館内に入るのに長蛇の列!...1時間以上かかってやっとチケット交換の入り口へ。引き換え券を出すと、ピッとバーコードを読み取りチケットを受け取りました。早い!

 

 

席はアリーナのBの3列目中央やや左。Aが10列なので13列目ということか...ステージからも結構近い!ヤッタァー!

両国国技館は狭い印象、ドームのような巨大モニター画面もありません。アリーナ自体、日本武道館よりかなり狭いです。

武道館が1万人のキャパなら国技館は7千人。3年前の武道館は10万、8万、6万、4万円チケットだったけど、国技館はすべての席が4万円!....ポールのギグ以外のコンサートでこの狭いキャパは初めてらしい.....

 

 

開演は前に行った武道館同様、予定より1時間遅れの19時半にスタート!....ってことは、ドームより演奏曲が5〜6曲少ないのかなぁ...?けど、ステージも近いしワクワク感が高まります!

午後7時半過ぎに「ア・ハード・デイズ・ナイト」で幕が開くと、熱気と歓声が響き、ポールの歌声は近年になく、よく出ていて驚きです。ステージのバンドと客席が一体になり、盛り上がっていきます!2曲目が終わると「コンバンワー!コクギカン、アリガトー」と日本語で挨拶!

その後も時々「ごっつぁんです!」とか「ドスコイ!ドスコイ!」とか相撲用語を交え、相撲の格好をしたり愛嬌を振りまいていました(笑)

 

 

「みんな素晴らしい!」「周りの客席を見回してみるよ。みんな素敵だ!」と言い、狭いせいもあって、すべてのお客さんの顔が見渡せているようです。

23曲目の「レット・イット・ビー」は、客席がスマホの懐中電灯モードにして、美しい灯りの海を演出、感動的な情景でした。次の「007 死ぬのは奴らだ」では、レーザー光線が炸裂し、爆発音と炎もこんな狭い会場でもやってくれました!

 

 

25曲目の「ヘイ・ジュード」では、曲の終盤の「Na〜na~na na na na na〜na na na na〜 Hey jude」観客による合唱が始まりますが、この夜のポールの歌声はクリアで、客席全体に照明が点いた中での大合唱、スマホのライトで一体になった音楽は、観客の気分を高揚させてくれました。

アンコール(6曲)では、今回会場で配られた赤、白、青のサイリウムによって、客席が光で埋め尽くされました。

「ゴッツァンデス。マタ、アイマショウ!」とコンサートが終わると、バーンと紙テープと無数の紙吹雪が会場に降り注ぎました!時間は22時前、約2時間半のステージでした。

『素晴らしいミュージシャンと観客の熱気との相乗効果で、魔法のような夜になった!』とは、ツアー・スタッフの言葉。

帰り、お腹が空いたので、マックに寄ってから帰路につきました。

 

 

2018年11月5日(月) 両国国技館公演 セットリスト

1. ア・ハード・デイズ・ナイト(ザ・ビートルズ)

2. ハイ・ハイ・ハイ(ウイングス)

3. オール・マイ・ラヴィング (ザ・ビートルズ) 

4. ワインカラーの少女 (ウイングス) 

5. カム・オン・トゥ・ミー(ポール・マッカートニー) 

6. レット・ミー・ロール・イット (ウイングス) 

7. アイヴ・ガッタ・フィーリング (ザ・ビートルズ) 

8. マイ・ヴァレンタイン (ポール・マッカートニー) 

9. 1985年 (ウイングス)

10. 夢の人 (ザ・ビートルズ) 

11. イン・スパイト・オブ・オール・ザ・デンジャー (ザ・クオリーメン) 

12. フロム・ミー・トゥ・ユー (ザ・ビートルズ) 

13. ラヴ・ミー・ドゥ (ザ・ビートルズ) 

14. ブラックバード (ザ・ビートルズ) 

15. クイーニー・アイ (ポール・マッカートニー) 

16. レディ・マドンナ (ザ・ビートルズ)

17. ファー・ユー (ポール・マッカートニー)

18. ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト(ザ・ビートルズ)

19. サムシング (ザ・ビートルズ)

20. オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ(ザ・ビートルズ)

21. バンド・オン・ザ・ラン(ウイングス)

22. バック・イン・ザ・U.S.S.R.(ザ・ビートルズ)

23. レット・イット・ビー (ザ・ビートルズ)

24. 007死ぬのは奴らだ(ウイングス)

25. ヘイ・ジュード(ザ・ビートルズ)

(アンコール)

26. アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア(ザ・ビートルズ)

27. サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (ザ・ビートルズ)

28. ヘルター・スケルター (ザ・ビートルズ)

29. ゴールデン・スランバー (ザ・ビートルズ)

30. キャリー・ザット・ウェイト (ザ・ビートルズ)

31. ジ・エンド (ザ・ビートルズ)

 

このあと、Kさんの案内で「市立函館博物館」へ向かいました。

7〜8年前に一度行きましたが、展示資料が記憶と違っていたので、ここだったっけ?と不思議がっていたら、Kさんが学芸員に訊いたところ「箱館戦争150周年ということで、史料をあちこちに貸し出ししている」そうです。

 

なぜか、本日は無料です。

資料を貸し出したから無料なの?と訊いたら、Kさんは笑いながら「そういうことではなく本日は無料みたいです」と。

 

(市立函館博物館の入り口)

 

ピストル、大砲の弾、軍服、箱館戦争の絵、いろいろと展示があったのですが、ここで面白かったのが、小さな部屋に上がるスペースがあって、箱館の明治前期?の連続のパノラマ写真が貼ってあり、当時の場所、建物が明記されてありました。

弁天台場も写っていて、港には多くの船が停泊?航行?しています。沼地のようなものが広がっていて、興味深い写真でした。

 

ここを出て、市内を回りましたが、栁川熊吉さんの墓参りをするため、實行寺に向かいました。

明日、ここで大法要がありますが、ゆっくり供養したいということでやってきました。

お寺の裏を登ったところに栁川熊吉さんの墓があります。

 

 

箱館戦争終結後、新政府軍から旧幕府軍の慰霊を行ってはいけないとの命令があり、箱館市中に放置されましたが、その惨状を見かねた熊吉さんは「死ねば皆仏」と実行寺の日隆住職などと、いくつかの寺に葬りました。その後、捕らえられ死刑判決を受けますが、新政府軍の田島圭蔵らの計らいで放免されたということでした。

 

 

1871年(明治4年)、熊吉さんは函館山に遺体を改葬しました。

1875(明治8)年には、旧幕府軍の戦死者を慰霊する「碧血碑」を建てました。碧血とは「義に殉じて倒れた戦士の血は、三年たつと碧色になる」という中国の故事で、碑の題字は大鳥圭介の書と伝わっています。

 

 

今頃、箱館・碧血碑慰霊祭の話です。

 

6月24日(日)

函館で行われる「箱館戦争と碧血碑(碧玉の志士たちの150回忌)」に参列するため、家を7時頃出発、羽田空港に8時半頃到着しました。

ネットで予約した便のチケットを受け取ろうとカウンターに行ってみると、すべて自動じゃないですか、、、

今までは航空会社の方に対応してもらっていたけど、いつの間に?ああ、時代は変わるなぁ、、、

けど、なんなく自動チェックイン出来たので、もう安心!

次は手荷物を預けるため、手荷物カウンターへ。ええっ!ここも自動だぁ、、、

自分で計って、自分でラベルを巻きつけて、引換証を取って荷物を預ける。これでまた安心!

 

安心しつつ、10時過ぎ出発の飛行機だったので、ショップを見たり、軽食を摂ったりして過ごしました。

 

空路函館に向かい機上の人に、、、11時半頃函館空港に到着。

東京は雨模様でしたが、函館は曇り晴れのお天気でした。

 

(函館空港にとうちゃこ)

 

今回は、福子倶楽部会員Kさんのレンタカーで移動が出来、本当に助かりました。

ホテルで着替えてから、Kさんの車でOさんと共に碧血碑へ連れて行って頂きました。

 

(碧血碑の駐車場からの眺め)

 

碧血碑前受付で、白鳥さんとお姉様の平澤さん、榎本隆充さんご夫妻にご挨拶いたしました。

 

(榎本隆充さんと)

 

榎本さんご夫妻は2日前から小樽へ。用事を済ませて、こちらにご参加されたとのこと、お忙しいようです。

天然理心流試衛館の高鳥館長を始め門人の皆様も参列され、式典後、碧血碑前で演武を行うとのことでした。

 

これまでは仏式での法要でしたが、今年は追悼150回忌ということで、碧血碑前では神式、明日の實行寺では仏式という特別な法要が行われるとの事でした。

これは150年ぶりということで、当時のまま再現された特別な法要になりました。

 

土方愛さんは、碧血碑前の慰霊祭には残念ながら来られませんでしたが、翌日の實行寺の法要には参列されました。

 

 

北海道東照宮の大谷宮司様による慰霊が始まり、福子は土方歳三の姉の子孫として玉串を捧げ、その後、僕も捧げさせて頂きました。

 

(玉串を捧げ、供養します)

 

(慰霊祭はしくしくと進められていきます)

 

(御供物。手前が捧げられた玉串)

 

(150年ぶりの神式の慰霊祭は終了し、碧血碑の扉は来年まで閉じられます。ラバーソウルのジャケのような下からのアングルですな)

 

(一生懸命手を合わせます)

 

慰霊祭終了後、Kさんに二股口台場に詳しいという毛利さんを紹介頂きました。

数日前、ちょうど平澤さんと毛利さんの出演されたテレビを見ていたので、お姿は存じてあげておりました。

 

(演武を終えた天然理心流試衛館の皆さんと。オレの腕がいいのかカッコイイ写真になっています(笑))

 

 

このあと、Kさんの案内で函館市内を車で回りましたが、それは次につづきます。