このあと、Kさんの案内で「市立函館博物館」へ向かいました。

7〜8年前に一度行きましたが、展示資料が記憶と違っていたので、ここだったっけ?と不思議がっていたら、Kさんが学芸員に訊いたところ「箱館戦争150周年ということで、史料をあちこちに貸し出ししている」そうです。

 

なぜか、本日は無料です。

資料を貸し出したから無料なの?と訊いたら、Kさんは笑いながら「そういうことではなく本日は無料みたいです」と。

 

(市立函館博物館の入り口)

 

ピストル、大砲の弾、軍服、箱館戦争の絵、いろいろと展示があったのですが、ここで面白かったのが、小さな部屋に上がるスペースがあって、箱館の明治前期?の連続のパノラマ写真が貼ってあり、当時の場所、建物が明記されてありました。

弁天台場も写っていて、港には多くの船が停泊?航行?しています。沼地のようなものが広がっていて、興味深い写真でした。

 

ここを出て、市内を回りましたが、栁川熊吉さんの墓参りをするため、實行寺に向かいました。

明日、ここで大法要がありますが、ゆっくり供養したいということでやってきました。

お寺の裏を登ったところに栁川熊吉さんの墓があります。

 

 

箱館戦争終結後、新政府軍から旧幕府軍の慰霊を行ってはいけないとの命令があり、箱館市中に放置されましたが、その惨状を見かねた熊吉さんは「死ねば皆仏」と実行寺の日隆住職などと、いくつかの寺に葬りました。その後、捕らえられ死刑判決を受けますが、新政府軍の田島圭蔵らの計らいで放免されたということでした。

 

 

1871年(明治4年)、熊吉さんは函館山に遺体を改葬しました。

1875(明治8)年には、旧幕府軍の戦死者を慰霊する「碧血碑」を建てました。碧血とは「義に殉じて倒れた戦士の血は、三年たつと碧色になる」という中国の故事で、碑の題字は大鳥圭介の書と伝わっています。