「憂い」 | Tempo rubato

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アニメーター・演出家 平松禎史のブログ

とある京都大学の先生の講演記録を聞いていて、しみじみしてしまいました。

「憂い」という言葉。

できれば楽しく暮らせるのが良い。
でも生活の中には、大なり小なりの「憂い」が避けられません。

「憂い」があるから、それを知っているから、人は何かをやろうと行動する。

「憂い」にどう立ち向かうか。

立ち向かう人がいて、それを見る人がいて、少しずつ響きあって
憂いを無くそうと社会が動き出すのか。

立ち向かう人を笑う人ばかりで、誰にも広がらず、社会に埋もれてしまい
憂いが蔓延していくのか。

あ。中島みゆきさんの「ファイト!」が脳内再生。。。


この歳になると、自分が楽しみたいだけの理由でアニメを作るのは難しくなってきます。
自分一人では続けられない。
かと言って、世界を動かしてやろうみたいな青臭い動機はもっと無理で。

いつも楽しそうにしている身の回りの人たちが纏っている空気に「憂い」を感じた時
それは、もしかしたらモニタに表示される憂いに満ちたニュースと、少しはつながっているのかもしれないと思ってしまう …程度にはまだ青臭いのです。


ボクが作りたいと思うものは特定のジャンルだったり原作やクリエイターに依るわけでなく、自分が見ている現実の匂いを感じさせてくれるものなら良いのです。
その匂いを「憂い」と表現してもピッタリ来ます。

与えられた作品から膨らませて別物にして叱られたりすることもあり。
憂いが強ければ、それを弾き返そうとする意志も強くなります。負けないように。

独りよがりはいけません。

エンターテイメントの中にある「憂い」が、少しでも観てくれた方々に響き合って、苦くても、幸福に向かうような作品を作りたい。