「どうして解散するんですか?」 | Tempo rubato

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アニメーター・演出家 平松禎史のブログ

初音ミクが歌ってるくらいなのでみなさんもうご存知ですよね。


「小学4年生」が『どうして解散するんですか?』というサイトを作った。
Twitterアカウントも作って、政治家などと連携しようとしてたようだ。

しかし、ネットで話題になると、プログラマーやSE、フォントマニア、ロリな有志がこのサイトの作りやソースを検証。
とても小学4年生の作ったものではあり得ない、とドメインを割り出し
作成者と思しきNPO法人まで特定してしまった。

作成者は、最初は否定していたものの逃げ切れないと観念して謝罪。
今ではサイトは閉鎖されていますが
まとめサイトでその「中バレ」の過程を見ることが出来ます。

かなり昔でも、政治的イベントがあると2ちゃんねるでテレビ局や新聞社がなりすましコメントして正体が暴かれるという「祭」が度々あった。

これもその種のものだろうね。


小学4年生といえば「ママは小学4年生」だろう。(OPで原画描いてます。)
ちょっとくらい韻を踏んで欲しかった。

ていうのと、これを作ったNPO法人の政治色などは置いといて
やっぱりバカにされた感じがした。
と同時に、早々にバレてしまう浅薄さとユーザの厳しさにハッとする感覚もあった。

ボクはアニメを作ってますが、作り手としてこのサイトに思うのは
「リアリズムと想像力のなさ」です。

ものを作る立場として
翻って、ボクが携わってるアニメでは(マンガや実写映画、小説などもそうだと思いますが)
フィクションであることがお客さんに共有されているのが大前提です。

いわば、「作り物」「うそっこ」なのを前提で作り、お客さんに提供しています。
お客さんは「作り物」「うそっこ」だとわかっていて作品を見たり買ってくれている。

この時、我々は何を考えるかというと
たとえ「フィクション」であっても「作り物」でも「うそっこ」だったとしても
その中に本気で泣いたり笑ったり怒ったりして楽しめる「真実」を込めようとするのです。

それは、逆説的だけども「フィクション」「作り物」「うそっこ」だからこそ、その中に、観た人だけの、それぞれの「真実」を作り出すことが出来るのではないか。

「アニメじゃない」という歌がありますよね。
アニメなのに「アニメじゃない」からアニメ以上にスゴイわけですよ。
そこにリアリティがある。


しかし、「小学4年生です。」と、「お友達と数日で作った」と言いながら実際には違った。
中の人が「フィクション」で「作り物」で「うそっこ」だった。

知識のある人が見たらすぐ分かるような、小学生では作れないディテールが無配慮に散りばめられていた。

「小学4年生」を設定するリアリズムが徹底的に欠如していたと言わざるを得ない。
ということは、小学4年生をろくに観察していなかったということ。
だとしたら、小学4年生の設定がすぐバレても仕方ない。
見てないから描けなかったんですな。
(ここテストにでるぞぉ~~)

加えて、「子供」を使えば簡単に騙せるだろうという、「こんなもの」で良いっていうなめた姿勢が透けて見える。

それがわかってしまったら、サイトの中でどんなに真っ当な事を言ってたとしても台無しです。
NPOの活動も信用を失ってしまったでしょう。

彼らは、想像力が足らなかったのでは、と思う。


本物じゃないことを前提にした作り物の中に、「真実」を込めてそれがまっすぐに伝わるようにするには、ギャグものだろうとシリアスだろうと、真剣に作らないと無理でしょう。
「こんなもの」という意識で作った作品は、やっぱり早々とバレてしまうのです。

ネットユーザが、嗅覚で「うさんくさい」と感じ取り、スキルを使って早々とウソを検証したこの事実。
いやぁ~~怖いですねぇ(^_^;)

リアリズムと想像力。鍛えなきゃね。