「気付き」の芝居 | Tempo rubato

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アニメーター・演出家 平松禎史のブログ

世間的に重すぎる話題が続出なので、仕事関連の話を続けます(なんだそりゃ)。
いや、ちゃんと調べないと「断言」はそもそも無理として、論点や疑問点を整理できないんですよ。
経済でも、国防でも、素人がそれなりの知識を持たないとヤバイと感じてはいるんだけど、一筋縄ではいきません。
これはこれで、ある意味おもしろいんだけどね。

さて

アニメの技術的な話ですが。
動画の頃から基本として教わるのは次のようなものだと思います。
・歩き
・走り
・振り向き
・立ったり座ったり

これらは、原画では示しきれない要素が含まれているので、動画が上手く中割できているかどうかで完成画面での人物の動きに差が出てしまいます。

最近では、これらの動きを原画マンが全て描いてしまう事が多いように思います。
かく言う自分もそうです。

楽ではありますが、動画マンが必要な絵を自分で考える機会を奪ってしまっているのでは?ということも気になっています。
アニメーターが考えた動きからしか学ばないのも、あまり良いことだと思いません。

もう一つ自分が動画時代から気になっていた動きがあります。

「気付き」です。

何かを見つけたり、誰かに言われたことに反応して「!」となる動きです。
よくあるのは、最初のポジションから一旦下に縮んで上へ伸び、再び最初のポジションに戻るという素早い動きです。縮んで最初より少し伸びて終わりってのもありますね。こっちのほうが多いかな?
戻った時(伸びた時)に驚いた顔に変化してるわけですね。

説得力のある動きですが、状況によってはこうならないんじゃないか?と思いました。

ディズニーのアニメなどを見ると、言葉で言い難いけど、いろんなパターンが有ります。
縮んだ後、体を引いたり、手前に出したり。顔を振ったり。
あるいは、縮む方向のみの「気付き」もあります。
日本人の仕草は控えめなのでディズニー風の表現を真似すると大げさすぎて変になっちゃいますね。

結局のところ、感情の動きですから、状況によって異なりますし、人物の性格によっても表現は違って当り前なのです。
作品毎に違うし、同じキャラでもカット毎に「気付き」の動きは違ったものになって良いはずなのです。
そこに、原画マンの表現力が試されます。

おもしろいところなんですよね。

日本のアニメでは、縮んで伸ばしてが一番コストパフォーマンスが高くて無難なので多用されます。
そればっかり見てても「表現力」のヒントにはなりません。

しつこいように言いますが、観察からヒントを得るのが良いと思います。

大塚康生さんは言いました。外へ出てスケッチするのが良い、と。
スケッチしないまでも、まずは自分の行動範囲の中でまじまじと観察してみると発見があるかもしれません。

パターン化できない多様な「気付き」があります。
それを考えていくと、作画だけでなく、演出に関わることだと気づくでしょう。
原画の仕事は演出と不可分の存在です。

なにしろ、カメラマンと役者(さらに大道具小道具照明の提案)を兼ねる仕事ですから。
絵を描く前に準備しておくことが、膨大です。