他者とは何か
自分の想像できる範囲、コントロールできる範囲を超越した者。他者は自分の尺度で計れる者ではない。それまで自分が持っていたカテゴリーに分類できるものではない。
他者とどのようにして出会うか
想像することすらできない他者を、みずから発見することはできない。自己にできるのは、他者に向かって呼びかけること、そしてその呼びかけに応えて、他者がみずから現れるのを待つことだけである。
自己と他者はどのような関係にあるのか
自己と他者は、それぞれが独立した、対等の関係にある。自分の価値観で他者を理解した(com-prendre)と思い込むことは、他者を自己のなかに吸収することである。このとき、他者は他者でなくなる。また、自己を他者に同化させること(例えば神への同一化)も、自己と他者の関係を崩壊させる。
自己に回収されない他者と関係を築くには、自己と他者との間に共通の場を設けなければならない。この場を担うのが言語である。言語という公共物を使って対話をすること、そして、自分の手の届かないところにいる他者と向き合うことで、自己は自己の限界を知り、自分の存在の正当性を疑う。ここにモラルがある。
恋愛との関連性
自己と他者の関係の、もっとも分かりやすい例は恋愛だろう。自分の自由にならない相手に対してできるのは、相手に向かって「呼びかける」こと、そして呼びかけに応えて相手がみずから姿を現してくれるのを待つことだけである。相手を完全に自分の支配下に置こうとすること(サディズム)、あるいは自分が相手の支配下に入ろうとすること(マゾヒズム)は、真の恋愛関係とは言えない。相手と向き合い、対話し続けること、そのなかで自分の傲慢さが相手を傷つけうることを知り、自分の存在に対して疑いを持つこと、そこでは「モラル」が求められる。
(レヴィナスの『Totalite et infini』を敷衍。また他者論では、レヴィナスの「顔」とメルロ=ポンティの「肉」の対照性も重要か。)