週末の備忘録。土曜日は、フランス人の友達に連れられてフランス人だけの飲み会に参加。バスティーユのそばのワインバーにて、初対面のフランス人十数人とワインをけっこう飲む。フランス人に連れられてくる、本当に地元の人しか来ないようなバーというのは、観光客も行くようなこじゃれた店とはかなり異なる。まず、テーブルの上にメニューがない。メニューは店内の黒板に手書きで書いてあるもののみ。また、支払い方法も違う。日本のようなワリカン方式ではなく、各自がワインのボトルなど好きなものをオーダーして、それをみんなでシェアするといった流れ。細かい損得勘定はあまり考えないのだろう。会話には余りついていけなかったが、それでも「いかにもパリ!」といった雰囲気を体験できたことが収穫。けっこう楽しかった。


日曜日は、ICU同窓会、パリ支部の懇談会。パリ在住の同窓の方々に会えて、とても楽しかった。これまでの道のりは多様ながらも、根っこのところがICUで繋がっている、というのが面白い。いろんな刺激を受けました。


今日はこれからイヨネスコの演劇、来週はTheatre de la villeでコンテンポラリーダンス。先週のモリエールに続き劇場めぐりの日々、しかも期せずして、フランス演劇の歴史的変遷をたどるようなラインナップに。パリにいるのも残り少ないので、悔いは残さないよう、やっておきたいことは全てやっておく。


なお、今週末はフランスの音楽祭、来週はCollege de Franceで面白そうなシンポジウムがあるので、行ってみてもいいかな、と思っている。あとは、近々ドゥブレ等をつかって金融危機以降のフランスの基本方針のまとめを作るつもり。

モリエールの「ドン・ジュアン」を見に行く。原作を読み返してから行ったが、原作にかなり忠実なつくり。Theatre du Nord-Ouestにて。


<ストーリー>

欲望のままに女をもて遊ぶドン・ジュアンが最後には地獄に落ちるという話。


<感想>


登場人物が近代的


神を否定し、みずからの欲望と自由を追求するリベルタン、ドン・ジュアンの姿が非常に近代的。それから、「理性(raison)」に重きを置く周囲の人びとの態度も近代的だと思った。例えば、ドン・ジュアンに捨てられた女性、エルヴィールは自分を捨てる「理由(raison)」をドン・ジュアンに問いただす。また、ドン・ジュアンの従者、スガナレルはドン・ジュアンの生き方が間違っている「理由」をとうとうと並べ立てる。これは、感情が全てを支配するラシーヌとは対照的。


言葉が政治性を帯びる


a. 言葉のエロティシズム

女たちをひきつけるドン・ジュアンの武器は言葉。まるで「本でも読んでいるように」スラスラと発せられる、まったく心のこもっていないお決まりの口説き文句によって女たちは(そして男たちも)だまされていく。


b. 言葉と真実

ドン・ジュアンの言説の特徴は、そこに「魂」がこもっていないことである。実際、彼は「口と魂は別物だ」ということを言っている。このリベルタンにとって、話すという行為は単なる演技でしかないのだ。だが、それゆえに彼は他人の言説のなかの「魂」を見出すことができない。四幕の最後、ドン・ジュアンを愛するエルヴィールの心から出た言葉に含まれた真実を、ドン・ジュアンはまったく感知することができていない。その結果、彼は火に焼かれて地獄に落ちる。


演劇は実際に見ないと分からない


コルネーユ、ラシーヌと並び、モリエールは十七世紀を代表する劇作家の一人である。ルイ十四世の下、アカデミーフランセーズやコメディーフランセーズが創設され、フランスという国家がフランス語という言語によってまとまりを見せはじめたこの頃、そこで生まれた演劇も当然、言葉が全てを支配する「言葉の演劇」であった。


演劇におけるテキストの支配を糾弾し、「身体の演劇」を提唱したアルトーを経た現在からすれば、十七世紀の演劇はテキストを読めば事足りるもののように思われる。しかし、実際にモリエールを見てみると、これはそう単純ではないな、という思いも湧いてくる。テキストを発声する役者の身体がそこにある、それはテキストを一人で読む体験とはまったく異なる。役者の身体を介した劇場の空気の震え、その震えに触れなければ分からないこともあるのだと思った。


<おまけ>

先日見た「Antichrist」の映画評が「Cahiers du Cinema」に載っていた。簡単にまとめると、次のようになる。


二人が踏み入った森は、人間の内部に潜む言語化できないディオニソス的な力に対応している。それはまさに、聖ポール(St Paul)が「反キリスト(Antichrist)」と呼んだ(そしてニーチェも同じ意味でこの言葉を使った)場所、つまり善と悪を分かつ理性の光が届かないような場所である。トリアーは、この言語を超越した場所を、分節言語ではなくシンボルを多用した映像言語によって表象しようとしている。


というわけで、現代文学理論にすっぽりと収まってしまうような論考。個人的には、このシンボルの解釈を詳しく説明して欲しかった。例えば、シカやキツネやカラスは何を象徴しているのだろうか?また、女性や魔女の位置づけについても、もう少し突っ込んで欲しかった。


関連リンク:「ANTICHRIST」(6/10の投稿)

なんだか知らないけど、やたらと身体がきつい。昨日も何をしたわけでもないのに夜の八時くらいにはベッドでぶっ倒れていたし、朝、眼が覚めても起き上がれないこともある。身体にトラブルがあるわけではないだけに、どうも気に食わない。なので、計画を立てて行動することにする。


今日は夜、モリエールのドンジュアンを見に行く。で、髪が伸びて邪魔くさいので、その前に美容院に行く。さっき予約したところ。で、その前に帰国手続き関連の用事をひとつ。明日からはいよいよ就活の情報収集。土曜がフランス人の友達との飲みで、日曜は大学の同窓会、諸先輩方に会えると思います。


マラケシュで焼かれた腕の皮がむけてきた。やれやれ。


パリでの日々も残り約一ヶ月。どうせなので、パリでしかできないことをやり尽くしておこうと思う。トレードオフ的に考えても、「パリでしか!」ということをやっておいたほうがいい。パリと言えば・・・、美術館(すでに飽きるほど行った)、演劇(すでに一回行ったし、今日も行く。ただ、前衛的なのもひとつは見ておきたい)、コンサート(教会のに行った)、オペラ(まだ行ってない。バスティーユに再チャレンジ)、バレエやダンス(これもまだ行っていない。一回は行こう)、映画(おととい見た。七月に映画ウィークがあるので、そこでまとめて安く見る)、文学(これは専門、もういい)、哲学(これも専門、ただ、College de Franceの講義には一回くらい行ってもいいかも)、政治(これはいままで、いろいろと文献を読んで相当影響を受けた)、お城(今月末にベルサイユの噴水ショーに行く)、フランス料理(あんまり興味ない、どちらかと言えば中東、アフリカ系の料理のほうがうまい)、カフェ(これはすでに日常)、ファッション(H&Mとかで最低限の服は買うけど、これは東京でもいい。ただ、安くておしゃれな時計があるので、それは買っておこう)、あとはなんだ?そんなもんか。


それ以外にやったことと言えば、フランス人の家庭に飛び込んで一緒に生活していろいろディスカッションしたり、前半は大学の授業も大変だったし、後半は会計とかマーケティングとかの勉強をしつつ、個人や社会のあり方についてずっと考えてきた。あとはこないだのマラケシュへの旅か。


と言うわけで、帰国準備や就活とはまた別にやっておきたいこと。


1. バスティーユのオペラに再チャレンジ(以前一度チャレンジしたが、チケットを入手できなかった)

2. 前衛的な演劇に行く(コメディーフランセーズの「ユビュ王」なんかいいかも)

3. バレエかコンテンポラリーダンスに行く(Pariscopeあたりで面白そうなのをチェック)

4. 映画ウィークを中心に映画を見る(カンヌも終わったばかりだし、Chaier de Cinemaあたりでチェック)

5. College de Franceの講義に行ってみる(面白そうなのがあれば)

6. ベルサイユの噴水ショーに行く(これはすでに決定済み)

7. 安い時計を買う(Beaubourgのあたりにいいのがあった)


とりあえずそんなもんか。


さて、昼飯を食ってそろそろ出かけよう。それにしても、どうもダリぃな・・・

久しぶりにラビオリを作った。缶詰のラビオリをタッパーに入れ、それにざく切りにしたトマトとベーコンを加えて電子レンジで煮込むという、定番の簡単料理。ついでに赤ワインも飲んだので、ちょっとポケッとした。


夕食を食べ終わって部屋で休んでいたらムッシュから「ちょっといいかな」と言われる。何だろうと思ってドアを開けたら、テレビがつかないんだけど、どうしようとのこと。どれどれと思って調べてみたら、電源コードが外れかかってた。きちんと入れなおしたら、ちゃんと直りました。


部屋に戻ると今度は僕の部屋のネットが使えなくなっていたので、wifiの本体があるムッシュの部屋のデッキ(ケーブルテレビとwifiの発信機が一緒になったもの)をごそごそ。そしたら僕の部屋のネットは繋がるようになったけど、ムッシュの部屋のケーブルテレビの画面上に変なアナウンスが出るように。よく分からないので、いまムッシュは隣の部屋からケーブル会社に電話している。


先週末にマラケシュから帰ってきてから、なんとなくポケーっとしている。金曜の夜に帰ってきた。土曜の昼間は手記をパソコンに打ち込み、午後から文化会館でDVDを見た。日曜は友達と美術館に行った。月曜は夕方にフランス人の友達と会って、昨日は映画を見たような気がする。今日は今後の予定を立てて、あとは少し勉強した。明日はまたフランス人の友達と会って、夜は演劇。土曜はそのフランス人(ぜんぶ同じフランス人です)、およびその仲間たちと飲みに行って、日曜は大学の同窓会。月曜、火曜に旅の疲れがググッと出たようだが、それも少しは納まったかな。


勝間和代の『利益の法則』という本を立ち読みした。最初のほうに労働効率に関するデータがあって、それによれば日本の労働効率はフランスよりも下位。製造業に関しては日本もトップクラスらしいのだが、その他のジャンルでの効率が悪いらしい。(立ち読みだったので、細かいデータは分かりません。詳しいことは、勝間さんの本を買って読んでください。)で、やっぱりな、という印象。フランス人の思考回路は、日本人から見るとあまりにもざっくりしているんだけど、ただ最終目標ははっきりしているので、作業効率は日本よりもいい気がする。細かいことは置いといていいから、とにかくざっくりしたアウトライン(それは仕事でもそうだし、どんな人生を送りたいか、ということでもそうだと思うけど)を持っていたほうが結果は早く出る。


そう。しばらくアラブの世界にいたせいで、フランスに帰って街を歩いていて、「ああ、こいつらヨーロッパ人だな~」と改めてなんとなく感じるようになった。で、ヨーロッパ人というのはやっぱり、論理的思考を武器に大またでザクッ、ザクッと前進していくような印象がある。それに比べると日本は、目の前の細かいことにこだわりすぎて、なかなか豪快に進めない印象。あくまでも印象だけど、なんとなくそんな感じがする。

ラース・フォン・トリアーの新作、「ANTICHRIST」を見てきた。主演、シャルロット・ゲンズブール、ウィリアム・デフォー。ゲンズブールは今年のカンヌで、この映画で主演女優賞を受賞している。


日本公開はおそらく未定だが、公開されたとしても確実にモザイクだらけになるので、重要な部分が伝わらないままに終わるものと思われる。以下、内容紹介と簡単な感想。ネタバレあり。また、かなり衝撃的な内容なので、グロテスクなのが苦手な人は読まない方がいいです。


<内容>

西洋の悪の歴史に関する博士論文を書いているゲンズブールとセラピストのデフォーは夫婦。二人が自宅でセックスをしている最中に、二人の赤ん坊が誤って窓から転落、死亡するところから物語ははじまる。


最愛の息子の死に自分を責め続け、衰弱していく妻、セラピストである夫は、そんな妻を何とか「治療」しようとする。彼は、妻を自分自身の恐怖に向き合わせ、自分が抱える恐怖と戦わせることで、息子の死から立ち直らせようとする。


いちばん恐れているものは何だ、という夫の質問に、妻は森であり、そこに生えている草だ、と答える。そこで夫は妻を自分たちの山小屋がある森に連れて行き、恐怖で立ち尽くす妻に草の上を歩かせようとする。


夫の「治療」のおかげで一時的に回復したように見える妻、しかし彼女は、確実に狂気に犯されていた。とつぜん夫に襲いかかった妻は、彼のペニスを叩き潰し、さらに彼の左足にドリルで穴を開け、バーベルのような重石をはめ込む。


命からがらに逃げ出す夫、そんな夫を必死の形相で探す妻。山中のほら穴に隠れた夫を無理やり引きずり出して山小屋に連れ帰った妻は、床に倒れる夫の横で自分のクリトリスを切断、さらに夫に襲いかかる。けっきょく夫は妻の首を絞めて彼女を殺害、彼女の死体が燃やされ、夫が山を下りるシーンで物語りは終わる。



<感想>

1. 理性vs自然


理性と自然との対立、というのがこの物語の大きな構造としてある。セラピストである夫は、息子の死に直面した妻を理性の力によって立ち直らせようとする。彼は、自分の恐怖と対面し、それを乗り越えることが苦しみから脱出する方法だ、という信念のもと、妻をマニュアル通りに「治療」する。


その結果たどり着いたのが、森というネイチャー(自然・本性)である。息子の喪失によって死の世界に強く結び付けられた妻は、夫が操る理性のコントロールを超越している。理性の光が届かない死の世界、同じく、理性の力を超越した自然、理性の外部にある二つの世界が呼応しながら、妻をゆっくりと蝕んでいく。


セラピストである夫の「治療」は、理性の外部に広がる闇のなかで苦しむ妻の悲しみを、むりやり理性によって押さえ込もうという荒業である。自分が信じる方法があらゆるものに対して有効である、と思い込む夫の態度は、傲慢ですらある。実際、妻は夫に対して「あなたは傲慢だ」と言いながら襲い掛かる。妻の反逆は、その傲慢さへの反逆でもある。


2. 自然=女性=悪?


この映画は、妻の研究対象、西洋における悪の歴史もひとつの軸となっている。ここら辺はいまいちついていけなかったところなのだが、中世キリスト教における自然と女性、さらに悪の概念のつながりがキーのようである。理性が男性と結びつき、自然が女性と結びつく、というのは分かる。さらに、キリスト教においてそれが悪に接続される、というのもなんとなく分かるような、でもあまりはっきりしない。さらに、「苦しみ・絶望・喪」という三点セットと、シカ・キツネ・カラスという三つの動物が何か関係があるようなのだが、シカとキツネとカラスのアレゴリーがよく分からないので、これもいまいち理解できなかった。それが死と自然に繋がる、というのはなんとなく分かるんだけど。


3. セックス


セックスの最中の息子の死から物語ははじまる。その後、妻はまるでフロイトの反復脅迫のように、何回も激しく夫にセックスを迫る。しかし物語の最後は、それぞれのセックスの喪失である。ここら辺のこともいまいち消化できていない。


そのほか、身近なひとを亡くした者の悲哀(グリーフ)の問題などもあるのだが、いずれにしてもなかなか考えさせられる映画でした。ただ、日本では公開されるのかな?監督が人気があるから(「Dancer in the Dark」の監督なので)公開されるかもしれないが、渋谷あたりのマニアックなところでだろうし、しかも確実にモザイクが入る。性器の切断シーンをアップで移したオリジナルの衝撃はあまり伝わらないだろう。

<基本情報>
マラケシュ:モロッコの一都市。通貨はディラハム(1DH=約12円)。場所によってはユーロも使える。言語はアラビア語。ただし、フランス語も広範囲で通じる。街は新市街と旧市街(メディナ)に分かれる。二つの地区のあいだは徒歩で約二十分。旧市街の奥には王宮などの史跡もある。観光名所は旧市街の中央に位置するフナ広場と、フナ広場を囲む商店街、スーク。細い路地が迷路のように入り組むマラケシュのスークは北アフリカ最大。喧騒の中を人、ロバ、オートバイが行き交う。その雰囲気は「インディー・ジョーンズ」などに出てくるアラブそのもの。



以下の文章は、2009/6/1-2009/6/5に行ったマラケシュ一人旅の手記である。



二日目、午前八時、ホテルにて


ようやく金の工面がついた。少し安心する。昨日の夜から今朝にかけては、本当に胃が痛かった。ザッと簡単なあらまし。昨日の昼ごろこちらに着き、ガイドと一緒にマラケシュを一通り堪能、少々金を使いすぎたのでカードで現金を下ろそうとしたがうまくいかない。こうなってくると、別のカードもうまく使えるかどうか心配に。ホテル代を現金で払うと仮定した場合、残る手持ちはほんの少し、しかも今朝になって、このホテルはカードを受け付けないことが判明(ガイドブックでもネット予約でもカード可と書いてあったのに)。先ほど、別のカードで銀行から金を下ろせたので、とりあえず何とか大丈夫に。昨日のカードは、パリで使っているATMと数字の並びが違っていたためにコードを打ち間違えたものと思われる。ここに来る前から、今回の旅に関しては非常に悪い予感がしていた。それが一部現実のものになると同時に、とりあえず解決されたので少し安心。ただ、これで気を抜いてはいけない。誰も頼れる人などいないのだから。


昨日の流れ。パリからマラケシュまでカサブランカ経由で行く予定だったが、チェックインの際にマラケシュまでの直行便に変えられると言われる。そちらのほうに変えてもらったところ、すでに登場時間ぎりぎり、パスポートチェック等でかなり時間をとられ、何とか機内に乗り込む。機内にいるアジア人は僕ひとり、しかもアラブ系の訳の分からない音楽がずっと流れている。完全にアウェー。


マラケシュ空港に着き、タクシーに乗り込む。メーターがないので値段を聞くが、完全に無視。結局20ユーロとられる。日本の感覚だとこれでも安いが、これはモロッコの通常料金の三倍近く。


ホテルに入り、フロントでチェックイン。ネットで予約していたのに、予約が入っていないと言う。ごちゃごちゃと会話をするが、結局なんとかチェックインすることができた。


ホテルは新市街にある。とりあえず観光スポットの旧市街まで歩くことにする。途中でマクドナルドを見つけたので、そこで昼食をとり、旧市街に向かう。


一人でトコトコと歩いていると、左前を歩いていた男からボンジュールと声をかけられる。こちらもボンジュールと返してみると、いきなりこちらに擦り寄ってくる。(以下、会話はすべてフランス語。)何人だ、と聞くので日本人だ、と答えると日本人でフランス語を話すのは珍しいと言われる。パリに住んでるから、と言うと、自分もパリのジシュー(パリ第六大学?)で勉強していたことがある、と言うのでこちらはナンテールでフランス文学を勉強している、と言う。するとやたらと驚いたふりをして、フランス文学を勉強している日本人とは珍しい、会えてうれしい、というようなことを言ってくる。その後もモロッコの歴史やら何やらを話し続け、結局マラケシュを案内する、ということになる。彼の名はアキム。


まず連れて行かれたのが、旧市街にあるスークと言われる商店街。アメ横や吉祥寺のハモニカ横丁のように、細かい路地にたくさんの店が軒を連ねている。迷路のようなスークを足早につれまわされ、たどり着いたのが一軒のスカーフ屋。家族への土産をぜひ買っていけ、と店の中にひとり残され、本人は煙草を吸ってくるから、とどこかに消える。これは完全にグルだな、と思ったが、アラブ式の交渉を試してみるためにも一度くらいならいいか、と思い店内を少し物色。ちなみに、アラブでは物に定価というものが存在しない。何を買うにしても常に交渉。店が吹っかけてくる値段をいかに下げるか、という争いをいつも行わなければならない。市場の効率も何もあったものではない。非常に面倒な上、効率も悪すぎる。彼らにとってはそれが文化なので、別にいいのだが。


15ユーロくらいで何かあるか、と聞くと、店員(気持ち悪いくらいソフトな口調で、しかもときどき体に触れてくる)が、ではこのテーブルクロスはどうだ、と言ってくる。これは絹でできていて、しかも手作りで・・・と一通りの説明が終わった後、35ユーロでどうだ、と聞かれる。こっちは20でぎりぎり、と言うと、向こうは30、結局25ユーロで手を打つことに。商品自体には興味なんてないが、アラブ式買い物の体験ツアーくらいにとらえれば、何とか納得できる。


買い物を終えるとアキムが戻ってくる。それでは次に行こう、と言われ、今度は化石の専門店へ。ここの店主は地勢学の先生だったんだ、という(おそらくは)でまかせを言われ、それから店内へ。ミントティーがあるけど、砂糖入りとなし、どちらがいいかと聞かれるので、それはいくらだ、と聞き返したら、いや、これはもてなしだからタダだよ、これがモロッコ式なんだ、と言われる。その後アキムはまた煙草を吸いに店の外へ。


店主はニコニコしながら、次々と化石を出してくる。まったく興味のない三葉虫やらアンモナイトの話、最初はそれなりに聞いていたが、だんだん飽きてくる。途中でアキムが戻り、みんなでミントティーを飲みながら、店主は説明を続ける。説明が終わり、店主はどれでも好きなのを選んでいい、と言い、アキムもこれは土産としていい、と便乗。こっちもイライラしてきたので、モロッコはいつもこうなのか、物を買わない自由というものは存在しないのか、と聞いたら、アキムがいや、もちろん買わなくてもいいよ、と釈明。これを買わないか、これはどうだ、と言いながら商品を片付ける店主にいらない、と答え続けていたら、店主もだんだんイライラしてきて、いま買っとかないと、後で同じような土産をもっと高い値段で買うことになるぞ、と叫びだす始末。最後の一個、これは安くしておく、いくらでもいい、いくらなら出す、と店主が言うので、ミントティー代としてならいいか(ミントティーはものすごくうまかった)と思い、5ユーロと言ってみる。向こうは35ユーロ、と言ってきたが、こちらが譲らなかったので、結局10ユーロで落札。向こうも不機嫌、こっちも不本意な形で別れる。(それでも向こうはかなりの儲けのはず。ただのキラキラした石なんだから。)


その後、アキムと一緒に旧市街をウロウロし、もともと買おうと思っていた歯ブラシなどを購入。これから何とか公園と何とか公園(どちらも観光名所)にクチ(モロッコの馬車)で行かないか、と言われる。マラケシュ観光を一通り済ませておくのもいいだろう、と思い、これにはOKを出す。


まずはアキムが交渉、そのあと僕が現れてクチに乗り込む。馬の背を見ながら(僕は御者の隣に乗ったので)トコトコと二十分くらい揺られ、最初の公園へ。クチを待たせたまま少し散策、今度はアキムと一緒にクチのボックスのほうに座り、次の公園へ。クチの代金300DHと今日のガイド料100DH(日本円で4500円くらい。ガイドブックによればこれは妥当な値段のようだ)を請求される。さらに、良かったら明日はマラケシュから少し離れたところにある僕の家へ招待するよ、とまで言われる。合計で300DHくらいだから、と言われたのでOKして待ち合わせまで決めたが、またいくらとられるか分からないので、これはバッくれることにする。


二つ目の公園の入り口のところでアキムとは別れる。僕はひとりで公園を散策、イヴ・サンローランが所有者らしいのだが、特に感興はなし。十五分くらいで見終えたのでホテルに戻ろうとするが道に迷う。32度くらいの炎天下を一時間半くらいさまよい、ようやくホテルへ。その間になぜかカードが使えなかったり、そんなこんなでホテルに着いてからはぶっ倒れていた。


それにしても、ここではよほど気を張っていないとどんどん金を取られる。昨日、あれだけ街を歩いたのに見かけたアジア人は二人くらいだったし、こちらが観光客だというのは外見でバレバレ。向こうも絞りとれるヤツからは徹底的に絞りとろうとするので、気を抜いた瞬間にやられる。外に出るときは戦闘モードにして、人にはついて行かないことだ。


ところで、今回なぜ僕はマラケシュに来たのか。別にマラケシュに興味があったわけでも、モロッコに憧れていたわけでもない。一人旅にロマンを抱くような年齢はとうに過ぎている。今回ここに来た理由、それはリトリートである。パリに住みはじめて約九ヶ月、フランスでの生活もすでに日常となり、約一ヵ月後には日本への帰国が待っている。そのような中、もう一度パリを離れて、視点をグッと引いてみたところで今回の留学を振り返ってみたい、というのが今回のモロッコ行きの目的である。ガイドブックに載っているマラケシュの観光地は昨日ひと通り巡った。残された三日間、あとはカフェで少しのんびりしながら、来し方行く末に思いを馳せたい。



十一時半、新市街のそばのカフェにて


レモンジュース(16DH)を飲んでいる。冷たくておいしい。さっき銀行で両替を済ませたところ。今日も一日、暑くなりそうだ。


このホテルの近辺をちょっとウロウロしてみたが、住宅街のようなところを歩いているとよく人に見られる。アジア人が珍しいのだろう。東京に観光に来たアフリカ人なども、こんな感じなのだろうか。


今日はこれからしばらくブラブラして、それから近所のスーパーにでも行ってみるつもり。スーパーに行くと、現時の生活が何となく分かるような気がする。


ホテルの前から観光バスが出ている。さっきパンフレットをもらったのだが、一時間くらいでマラケシュをザッと見ることができるようだ。日本語の音声ガイドもあるらしい。値段も手ごろだし、行ってみてもいいかな、と思う。


いまいるこのカフェ、若者向けのちょっとおしゃれなスポットといった感じ。窓際の席に座って外を眺めていると、なんだかどこも変わらないよな、という気がしてくる。恵比寿のガーデンプレイスあたりでカフェから外を眺めるとき、バンコクのスタバの二階でぼんやりと過ごした午後、パリのオペラのあたりでコーヒーでも飲みながら考えごとをしているとき、いつもそこにいるのは代わり映えのしないこの自分で、やっていることもそう変わらない。ただ窓の外の景色が、スーツ姿のビジネスマンが多いか、スカーフを巻いたアラブ人が多いかというだけの差だ。


海外に来るといつも、東京というのはとてつもなく大きくて、恐ろしくシステマティックだな、と思う。マラケシュに比べるとパリでさえも近代都市で、ましてや東京などは未来都市ということになる。


海外に来るたびに、日本の戦後の急成長は何に起因するのだろう、と思う。理由をひとつに絞ることはできないのだろうが、やはり決定的に大きいのは、和を大切にする心なのではないか。全体のために自己を犠牲にするという意識は非常に日本的で、組織が掲げる使命のために個人が徹底的に貢献する、あるいはそれを強要する空気が存在する、そんなことはモロッコやフランスでは考えられない。この日本的な特徴は、もちろんネガティブな側面もあるが、自動車産業を中心とする労働力集約型の成長モデルにはまったときは恐ろしく強い。視野が広く、明確なヴィジョンを示せるカリスマ的なリーダーと、そのリーダーに従う優秀で自己犠牲をいとわない多くの社員が組み合わさることで、日本の成長は実現された。わずか六十年前は焼け野原だった東京のような街が、現在あれほどの大都市に生まれ変わったという事実は、このマラケシュのような周辺から眺めると奇跡としか言いようがない。いまの日本の危機は、明確なヴィジョンを示せるリーダーがいないこと、しかしいまの日本の財産は、社会のために貢献しようと思う優秀な人材が数多くいること。実際、私生活の充実を目指しながら、同時に社会に対して積極的に貢献したいと思う若者は多い。日本にいるとあまり感じないが、ビジネスマンとしての日本人のレベルはかなり高いのだ。ピーター・ドラッカーが、自分の仕事の意義を徹底的に信じられるようでなければいけない、と言っていたように記憶している。明確なヴィジョンの下に仕事を遂行するということは、仕事への誇りにつながる。


モロッコではフランス語が通じる。生活レベルでは、パリにいる感覚と変わらない。実際にここにはフランス人の観光客が多い。ただ、アジア人というものを恐ろしく目にしない。アウェー感は強い。


十六時半、ホテルにて


十三時過ぎにカフェを出て、メディナ(旧市街)にある美術館にでも行こうと思い、テクテクと歩き出す。十五分くらい歩いてメディナに到着。地図を見ながらスーク(細い路地からなる迷路のような界隈)に入る。オートバイやロバを避けながら狭い道を歩いていると、突然「ナカタ!」と声をかけられる。


聞き間違いかと思ってそのまま通り過ぎるが、また「ナカタ!」と聞こえてきたので振り返る。中学生くらいの地元の男の子が二人、道に座ってこちらを見ている。ボンジュール、ナカタのこと知ってるのか、とフランス語で話しかけると、お、フランス語しゃべれるのか、と少し驚いて聞いてくるので、しゃべれるよ、と言いながら二人に近づく。「ナカタじゃないけど日本人だよ。ナカタのこと知ってるの?」「ナカタもナカムラもナカザワも知ってるよ」「すごいじゃないか」と褒めてあげると、すごくうれしそうにニコニコしながら「どっかに行きたいのか」と尋ねてくる。美術館に行きたい、と言ったら、美術館はこの道を右に行ったり左に行ったりしながら十五分くらい歩くとあるよ、とのことなので、握手を交わして「ありがとう」と言って彼らの下を去る。肩ごしに、日本人と話したぞ!と興奮する男の子たちの声が聞こえた。


そのまま美術館を目指すも、道があまりにも複雑になってきたので途中で断念、引き返す。どうせメディナまで来たのだからと、マラケシュでいちばんの観光名所、フナ広場に行くことにする。フナ広場は一片200メートルはありそうな大きな広場。そこに数々の屋台が並ぶ。すでに十四時くらいだったし、昼食でも食べようとウロウロしていると、屋台のオッサンに声をかけられる。どうせだからタジンでも食べたいと思っていたら、果たしてタジンを出す屋台だった。


タジンとは、独特の形をした土鍋でつくる煮込み料理。今回は牛肉のタジンを注文したが、雰囲気としてはトマトベースの肉ジャガのような感じ。これがうまい。ナンが付いたタジンにミネラルウォーター、サービス料込みで45DH(1DH=12円)。腹も膨れたし、これなら納得。


フナ広場を眺めながらタジンを食べつつ、ふと思う。今回のマラケシュへの旅、スークを散策しアラブ人のオッサンと交渉し、クチにも乗ったし現地の子供とも触れ合った。こうしてフナ広場の屋台でタジンも食べている。まったく期待していなかったが、実はけっこう満喫しているのではないか。


フナ広場を後にし、まだかなり早いがそのままホテルに戻る。炎天下を二時間くらい歩き通していたため、肘から下が日に焼けて真っ赤。少しひりひりする。ホテルに戻ってシャワーを浴びてベッドに倒れこむ。疲労はあまりないが、体から熱が抜けない。少し冷ためのシャワーでも浴びてみようか。


明日は観光バスに乗ってみる予定。アフリカ一人旅、少し落ち着いたとはいえ、まだまだ気は抜けない。油断していたらやられてしまうので、今後も気を引きしめてかかる。


夜、ホテルにて


濡らしたハンカチで腕を冷やしながら、椎名誠の『続・岳物語』をパラパラとめくる。椎名誠と息子の岳の物語を綴ったあたたかいエッセイ集。椎名誠は、中学一年の夏からしばらく、強烈にハマッた時期があった。当時発表されていた彼の本はすべて読み、中学の友達を強引に誘って一緒に講演会に行ったこともあった。しかし行ってみたら実は講演会は一週間後で、結局その友達とは駅で立ち食いそばを食べただけで帰ってきた。一週間後に、今度は父親と一緒に聞きに行った。


昨日の夜、ひょっとしたら金が足りなくなるかもしれない、無事パリに、そして日本に帰れないかもしれないという不安のなかで思ったこと、結局、二十歳でサンフランシスコを旅したときと何も変わっていないということ。二十歳のとき、ひとりで一週間ほどサンフランシスコに行った。初めての海外だった。日本から予約していたホテルがかなり危険な地域に面していたということもあり、ホテルから外に出るのが怖かった。それでも一日一回は外に出るようにしていた。そんな中、ベッドに横たわりながら天井を見つつ思ったこと、いまここで自分が消えても、誰にも気付いてもらえない、誰にも助けてもらえない、自分は圧倒的に孤独だ、ということだった。昨日の夜、あらゆる可能性を考え、モロッコから無事に帰国する方法を思索していたときに戦っていた敵も、やはりこの孤独だった。人間なんだから完璧でないのは当たり前、ただ、完璧でないが故になんらかのトラブルが生じたときに、そのトラブルを一緒に解決してくれる仲間がいない、すべてを自分ひとりで引き受けなければならないというのは、やはりキツイ。海外をひとりで旅するということは、そういうリスクを背負うことである。パリの両方のホストファミリーに、Carre(決断力と行動力がある)と言われた。ただ、Carreでいられないようでは、海外一人旅など絶対にできない。



三日目、午前五時半、ホテルにて


昨日の夜、改めてガイドブックを読んでみた。昨日のアキムとの約束はバックレてよかった。自称ガイドが自分の家に観光客を呼んで高額な商品を売りつけようとする、さらに女性の場合だと乱暴されたりするということが時々あるようだ。何となくイヤな予感がしたので行かなかったが、それで正解だろう。こういう、それまでの知識では測りきれない場所に来たときは、この「何となく」という感覚を大事にすることにしている。何だかよく分からないけれど「何となく」イヤな雰囲気の界隈、「何となく」イヤな予感がする行動は避けたほうが良い。それまでの「常識」を元に、下手に論理的に考えて行動しようとすると、取り返しがつかないことになる場合もある。自分の「常識」の外部にあるのが外国なのだ。


今日は観光バスでマラケシュを一回りした後、メディナにある王宮や史跡に行ってみるつもり。せっかくイスラム圏にいるのだから、普段は触れることのできないイスラム文化というものに触れてみたい。


七時半、ホテルにて


朝食を食べ終わり、部屋に戻る。まだ出かけるには少し早すぎる。何気なくテレビをつけてみたら、日本のアニメがやっていた。僕が小学生くらいのときに見ていた、何とかかんとかワタルというアニメ。日本のアニメの力はすごい。


腕がまだまだヒリヒリする。これはもう、完全にヤケドだ。日焼け止めクリームを買わなければ。


マラケシュに来たもうひとつの理由を思い出した。日本に帰ってまた忙しくなる前に、自分の中の臆病虫や弱虫をやっつけておこうと思ったのだ。アフリカの強い太陽を使って、自分のなかの気持ちの弱さを殺菌消毒しようと思ったのだ。思惑通り、アフリカの太陽は恐ろしく強い。日本の絡みつくような暑さとは違い、とにかく皮膚が焼かれている、という感じがする。本当にヤケドしてしまう前に、さっさとクリームを買おう。


パリに住んでいて、マラケシュに旅行に来て、その上で日本という国を考えてみると、日本というのはずいぶん遠いところにある、何とも不思議な国だな、という感じがしてくる。極東にある小さな島国であるにもかかわらず経済的には世界二位、科学技術はトップクラスで、しかもサムライとスモウとスシの国でもある。戦争で負けたにもかかわらずあっという間に成長して、国民は信じられないくらい働くし、自分の生活を犠牲にすることもいとわない。トーキョーはブレードランナーのような未来都市で、しかしZENの精神が宿るトラディショナルな側面も持っている。何なんだ、この国は?


ちなみに、日本のイメージ形成において『ラスト・サムライ』が果たした役割は大きい。フランスでもモロッコでも、日本人だと言うと「ラスト・サムライを見た。美しくて悲しい物語だった」と言われた。信じるもののために命を懸ける、という姿勢がどうやら尊敬の対象になっているようだ。そう言えばフランスにいたとき、シリア人とフランス人から「カミカゼは素晴らしかった」と言われたこともある。これは明らかに何か勘違いしているが、美化された日本的自己犠牲の精神が広まったということはあるのかもしれない。しかし同時にフランスにいると、日本人は働きすぎで人生を楽しむことを知らない、と言われることもある。


確かに日本という社会は、この自己犠牲の精神にあまりにも依存しすぎてきた。システム上の無理や軋みをすべて個人や家族に負担させてきた。憲法十三条が保証するように、人間にはそれぞれが他人の自由を侵害しない限り自由に、好きなように生きる自由がある。国民一人ひとりがどうすれば充実した人生を送れるか、という観点から、社会システムのあり方を徹底的に議論しなければならない。放っておいたら国全体が地盤沈下を起こす。充実した人生?そのためには何が必要なのか?経済的な基盤?親密な共同体?他者の承認???


十九時半、ホテルにて


非常に疲れた一日。ザッとあらましを。九時半にホテルを出て、ホテルの目の前にある観光バス乗り場へ、チケットを買う。この観光バス、それぞれ一時間くらいのコースが二つ用意されていて、二十四時間以内ならば乗り放題。各コースにいくつかバス停が設けられているので、好きなところで降りることもできる。バスは二階建ての二階部分に屋根がないタイプ、日本語を含む八カ国語の音声ガイド付き。


午前九時、バスが出発。旧市街の少し奥にあるバイラ宮殿に行こうと思い、宮殿そばのバス停で降りる。そのまま宮殿へ。


この宮殿、正確には宮殿の廃墟なのだが、まるで宮崎駿のラピュタにでも出てきそうな壮大な眺め。赤茶色の石の壁の上にはアルバトロスが巣を作り、広大な中庭がかつての栄華をしのばせる。ラピュタの巨大ロボが歩いていてもおかしくないような光景に、しばし感動する。


宮殿を後にして、今度は王宮に向かう。しかし、途中でスークに迷い込んでしまい、現在地が分からなくなる。迷路のように入り組んだスークでは、地図が効かない。途中で煙草屋のオッサンに「コンニチワ」と声をかけられ、近づいてみたら「ハシシをやらないか」と誘われ、いや、遠慮しとくよ、と言ったら「そうか、じゃ、またな」とニコニコしながら別れたり、そんなこんなで結局三十分近く歩きつづけ、なんとかフナ広場に。ここまで戻れば地図が役に立つ。少し安心する。


王宮に行く前に日焼け止めクリームを買っておこうと思い、フナ広場の薬局へ。日焼け止めをくれ、と言ったら出てきたのが、フランス製のかなりしっかりとしたクリーム。例のごとく定価が書いてないので「いくらだ」と聞いたら160DH(約1800円)。どう考えても高いだろ、と思いつつ、しかしフランス産の高級品、しかも輸入物とすればこんなものかもしれない。もしもこれが東京だったら、これくらいの値段でも違和感はない、だいたい薬局でも値段交渉をしなければならないのか?といろいろな思いが頭をよぎる。ただ、腕も日焼けと言うよりは軽いヤケドだし、肌につけるものだから品質はしっかりしていて欲しいし、等々を考え、結局購入することに。と思いつつ、いまこのクリームの箱を見たら、箱の下に小さく定価が書いてあった。141DH。20DH(約240円)ぼられた。しかもフランス製ではなくモロッコ製だし。でも、20DHで済んだのだからまだマシだろう。


今日も日差しは強く、日中の最高気温は40度。どこかで休みたいと思い、広場に面した汚いカフェへ。バナナジュース(14DH)を飲みながら、日焼け止めクリームをしっかりと塗る。


フナ広場から今度はいよいよ王宮へ。ときどき地図で場所を確かめつつ、片道十五分くらいの道を歩く。しかし王宮の前に着くも、その時間はちょうど閉門中、午後三時にしか開門しないとのことなので、同じ道をフナ広場へと引き返す。


炎天下を歩きっぱなしなので、のどが渇く。フナ広場に数多く並んでいるオレンジジュースの屋台でオレンジジュース(3DH)を飲む。どうせだから今度は美術館にでも行こうと思い、フナ広場を出ようとしたところで、日本語で「すいません」と話しかけられる。


聞き間違いかと思いながらも振り返ると、モロッコ人の男が遠くから手招きをしている。なんだなんだ、と思いつつ近づいてみると、「僕、日本に三年間住んでいたことがあるんですよ」とのこと。この中年の男、神戸にしばらく暮らしていて、さらに池袋の辺りにもいたことがあると言う。日本語も恐ろしく流暢で、最近は日本人の観光客が少ないんだよね、等々、しばらく世間話。途中で「わて、関西弁しか話せまへんねん」などというボケまで入れる器用さ。最後に美術館の大体の場所を教えてもらい、固い握手をして別れる。


美術館に行くべく、再びスークに突入。そして例のごとく迷う。二メートルあるかないかの曲がりくねった路地を、地図もガイドもなくズンズン歩いていくのだから迷うのは当然。むしろ、迷うのを前提にして歩いているのだから別にかまわない。ガイドブックも、目的地にたどり着くかどうかはマラケシュでは重要ではない、と書いている。


どれだけ時間が経ったのか、よく分からなくなる。そろそろ本格的に疲れてきた、ちょっとヤバイな、と思った頃、いきなり目の前に美術館が現れる。あまりの唐突さに少々驚きながらも、中に入る。


この美術館、もともと学校として使っていたイスラム風の建物を観光用に改装したもの。規模も小さいし、展示品もつまらない。現代モロッコアートが数点飾ってあったが、どれも高校生の美術部員のような生真面目なものばかり。シャンデリアのような物体が吊るされている大広間のソファーに座って、しばし疲れをいやす。


大した収穫もないまま美術館を出て、同じ敷地内にあるカフェに入る。一昨日の土産物屋で飲んだようなものを期待してミントティーを頼むが、あまりうまくない。砂糖が入っていないので、甘みがないのだ。それでも少しリラックスした時を過ごす。ついでだから、美術館の隣にある観光名所も見てみようかと思う。


美術館を出る。明らかに怪しいオッサンが近づいてくる。フォトを撮るならこっちだ、とわめきながら無理やり僕を案内しようとする。ひとりでブラブラしてるだけだからいらない、と言って引き返そうとすると、じゃあどこに行きたいんだ、と食い下がる。美術館の隣にある建物に行こうとしてたけど、別にいい、と言うと、それならこっちだ、とまた勝手にズンズン歩き出し、建物に到着。美術館からの歩行距離、わずかに100メートルちょっと。にもかかわらず、と言うか案の定、ガイド料をよこせと詰め寄ってくる。急速に怒りが込み上げる。しかし、ここで下手に反抗すると、周りがアラブ人だらけのこの状況、何をされるか分からない。2ユーロのチップを与え、この男を追い払う。チップにしては多すぎた。


建物の前にひとり。すでに見学する気など失せている。さっさとフナ広場に戻ろうと思い、その場を足早に後にする。途中で、さっき追い払った男に出会い、そいつが笑いながら「あの建物はよかったか」と聞くも、こちらは手をヒラヒラさせて「ろくなもんじゃない」ということをアピール、そのまま顔も見ずに通り過ぎる。


イライラしながらドンドン進む。徐々にスークの奥深いところに入っていく。観光客の姿が少しずつ減っていき、気が付いたら完全に地元住民の生活エリアへ。そのうちスークも抜け、道も広くなり、地元の高校なども見えてくる。周りからもジロジロと眺められ、太陽はギラギラと輝き続け、だんだん足まで痛くなってくる。ただ、危険な雰囲気はない。見慣れないアジア人が自分たちの生活エリアに入ってきたので驚いている、という感じだ。


最終的にはタクシーを拾って広場に戻ればいい。ただ、タクシーを使うと確実にぼられる。それに、別にバイオレントな雰囲気があるわけでもない。逆に、マラケシュのディープな生活区を散策しているという感じだ。足の裏が痛いのは少し気になる。ひょっとしたら皮くらいむけているのかもしれない。まあ、でも行けるところまで行ってみよう。すでに地図は何の役にも立たない。


時々、道端でたむろしている少年たちに声をかけられる。シノワ!と言われたので、ジャポネだ!と訂正したり、「オハヨウ」と言われたので、日本語知ってるのか、と近づいてみたり。もう一時間近く歩いただろうか、本格的に疲れてきたので、そろそろ軌道修正に入る。まず近くにあるキオスクで500ccのコーラを一本購入(5DH)、ついでにフナ広場へはどう行けばいいのか教えてもらう。実に親切なオジサン、フランス語が苦手なのに一生けんめい教えてくれる。ある程度進んだところでもう一度軌道修正、今度は1リットルの水(5DH)を買い、また広場への道を尋ねる。そんなこんなで、無事に広場へと戻る。


さすがに心身共に疲れた。再び屋台のオレンジジュースで一息ついて、昼食をとって元気をつけることにする。ここらへんで、うまくて確実にガッツリ食える店、昨日の屋台しかない。昨日タジンを食べた店に近づき、店のオッサンに声をかける。向こうもしっかりと僕のことを覚えていてくれたらしく、オー!ジャポネ!と言いながら固い握手、その手を放さないまま席に案内してくれる。注文したのは牛肉のクスクス。パリの洗練されたクスクスとは違い、ここのは本当に庶民の味。ちょっと汁気の多いクスクスは、まるで吉野家の牛丼ツユダクといった感じ。しかもピリ辛ソースまで付いてきて、実にウマイ。


クスクスを食べながら、身体の疲れが少しずつ溶け出し、気持ちが少しずつ優しくなっていくのを感じる。この店のオッサンも、ジャポネ、トーキョーと言いながら親密そうに僕の肩を叩く。昨日は取られた場所代5DHも今日はなく、気分良くフナ広場を後にする。


この時点で十四時ちょっと過ぎ。フナ広場のそばに例の観光バスの停留所があるので、そこからホテルまではバスで帰ることにする。停留所のそばのベンチでバスを待ち、バスが来たのでそれに乗り込みホテルへ。


その後の行動。14 :50、ホテル着。15 :20から別ルートの観光バスが出るので、それにも乗ろうと思う。一度自分の部屋に戻り、少し時間を潰す。靴下を脱いだら、両足の裏の皮がめくれていた。


15 :10、ホテルを出て待機していた観光バスに乗り込む。だが、実はそれは午前と同じルートのものであることが判明。でも、もう一度きちんとこのルートを見るのもいいか、と思い、そのまま一周することに。16 :10、ホテル前に着く。しばし待機後、今度はきちんと別ルートのバスに乗り込み、観光を続ける。


17 :30、ホテルに戻る。フロントでカギを受け取るときに「いつホテル代を払うんだ」と聞かれる(フロントもフランス語のネイティブではないので、ニュアンスにはかなりの広がりがある。少なくとも乱暴な言い方ではなかった)。「帰るときのつもりだけど、いま払おうか?いつでもいいよ。普通はどうしてるの?」と聞くと、「いや、好きなときでかまわないけど、では明日の朝にしましょう」と言われる。向こうの気持ちも分かる。ネット予約が伝わっていなかったこと、そしてカードが使えないことを知った時にあからさまに驚いたことなどを考慮に入れると、きちんとした支払能力があるのかを確かめておくという行為にそれほど不自然な点はない。ポイント。明日、金を払ったとき、絶対に領収書をもらうこと。後になって二重請求をされる可能性もないとは言えない。



四日目、十時二十分、二日目に入ったおしゃれなカフェにて


先程、ホテルの支払いを済ませてきた。支払い証明も書いてもらったし、これで大丈夫だろう。なお、支払い時に実は今まで時間を一時間、勘違いしていたことが判明。六月一日からサマータイムなのは知っていた。ただ、街の時計の表示時間も統一されていなかったし、どちらか正しい時間なのか分からなかった。自分と腕時計とフロントの時計の時間がずれていたので聞いてみたところ、僕の時計が一時間遅れているとのこと。九時だと思っていたらすでに十時だった。


今日は曇り。太陽が隠れているので涼しい。足も、思っていたほど痛くない。


ところでこのカフェ、雰囲気としては青山あたりにありそうな感じ。マラケシュでいちばんおしゃれなショッピングエリア、隣にはZARAもある。こういう場所が、結局いちばん落ち着く。


安い電動ヒゲ剃りしかもって来ていないので、頬とあごには無精ヒゲ。髪は初日に買った強力ジェルでカッツリ固まっているし、色もかなり黒くなってきたし、これで日本を歩いたらちょっとカタギには見えない。


はじめてアラブ世界に来て見て感じた強烈なカルチャーショック、それはすでに世界を席巻したと思っていたキャピタリズムにまだ外部が存在したということ。定価が存在しないアラブでは、すべての値段を交渉によって決めなければならない。同じ商品に対する値段が人によってバラバラということは、経済学で言う需要、供給曲線が成り立たないということではないか。


日本では、モノを買うときに、この商品はこれくらいの値段だからこれくらいの価値があるのだろう、という憶測が働く。しかしアラブでは、自分にとってこのモノはこれくらいの価値があるからこれくらいの値段を払ってもいい、ということになる。あらかじめ提示された値段を出発点として購入するかしないかの判断を下すことに慣れている資本主義世界の住人として、モノそのものに対峙して価格を決定することを強いられるという経験はかなりの戸惑いを引き起こすものだった。アラブ世界の経済学を作ろうとしたら、それは我々が勉強してきた経済学とはかなり違ったものになるのではないか。


そもそも、モノの価値とは何なのだろうか。マルクスを持ち出して、使用価値、交換価値云々と言うこともできる。だが、ここではもう少し主観的に考えてみる。昨日の観光バスツアーで、マラケシュの高級住宅街を見学した。イヴ・サンローランやカトリーヌ・ドヌーブが泊まったというホテルや別荘を見たのだが、ああ、僕はこういうのは別にいらないな、という感想を抱いた。世界的な金持ちが手に入れた楽園に、僕はまったく価値を見出すことができなかった。


なんだか良く分からない。そこで、とりあえずメモだけ。価格と価値の関係は必ずしも一義的ではない?モノそのモノが自分にとってどれだけの価値を持つのかを判断し、それに見合った価格にまで交渉によってもっていく、それゆえモノの価格は人によって大きく異なる、そうすると、人があまり欲しがらないもの、また労働力がそれほどかかっていないモノに大きな価値を見出せる人は、出費が少なくても裕福になれる?良く分からない。ただ、高級品だから自分にとっても価値があるはずだ、という考え方は少しおかしい気がする。自分が何を欲しているのか、ということに対する確信が必要なのかもしれない。少なくとも、豊かさの指標が金銭のみである、という考え方は成り立たないだろう。


こちらに来て感じたもうひとつのカルチャーショック、それは、商売における誠実さというのが必ずしも普遍的な価値観ではないということ、あるいは、「誠実」という言葉の意味が日本とは違っていること。観光客として舐められていたということもあるのかもしれない、こちらでは、相手を言いくるめてできるだけ多くふんだくろうとすることがまったく当然のこととして行われている。


だが、それは日本でも同じではないのか?日本でも売り手は同じ商品をできるだけ高く売ろうとする。それに対して買い手はできるだけ安く買おうとする。売り手と買い手の思惑が一致したところに均衡価格が生まれるのだが、アラブではその交渉をいちいち個人同士で行わなければならない。そう考えると、日本もアラブも構造としては似ているのだろうか?


十五時、ホテルにて


カフェを出たあと、旧市街の伝統工芸館へ。足が痛いのでかなりゆっくり歩く。この伝統工芸館、基本的に土産物屋の集まりなのだが、定価もきちんとあるし、店員もまったくまとわり付いてこないのでとても安心。ここで革の小さなバックを購入。その後またホテルのそばまで戻り、大衆食堂のようなところで昼食としてケバブの串焼きを食べ、十三時くらいにホテルに戻る。右足の裏の皮が破れているので、もう外に出るのは無理そう。今日はこれでお終い。


十五時半、ホテルにて


シャワーを浴びたところ。今日は本当に涼しい。窓を開けると、排気ガス臭に満ちた風が流れ込んでくる。


世界にはさまざまな国があり様々な文化がある。グローバリゼーションによって世界は均一化されたと思っていたらそれは大間違いで、日本人の想像をはるかに超えた文化というのはまだまだ存在する。ただ、それがどんな文化であろうとも、そこに暮らしている地元の人々にとってはその文化は自分たちの文化である。彼ら、彼女らはそこで繰り返される日常を送っている。どこに暮らしていても、人はそれぞれの日常のなかで必死にもがいているのだ。日本人である僕が所属する日本という文化圏、自分を特権的な地位において複数の文化を上から見比べるという態度もありうるのだろうが、それよりも僕は、日本という世間の中に身をうずめてその中でジタバタしてみたい。


当然のことながら、ユートピアなど存在しない。世界のどこに行ってもすべての人が無条件にハッピーな社会など存在しない。どこにでも臆病なヤツはいるし、どこにでも勇敢なヤツもいる。問題は与えられた場所ではなくて、そこでの行動を選択する自分である。


それぞれの人々に懐かしの風景は存在する。マラケシュの人々にとってスークの雑踏は心安らぐ空間であろうし、日本人にとってそれは夏の夜の花火かもしれない。そして、そういう光景が、たとえ遠く離れていたとしてもまだ存在する、帰るべき場所がある、という確信が、人間を根底の部分で支えたりもするのだ。イスラエルとパレスチナの戦いがなぜ終わらないのか。外部から見たら不毛な争いだとしても、個々人の内面に踏み込むと、それは本当に死活問題なのかもしれない。


パリに住み、そしてマラケシュに来てみて思ったこと、世界のどこにいても、人間として生きていくということは、人間が織りなす網目の中に飛び込み、他人とのつながりを構築していくことなのだ、ということ。


日本を離れて別の文化圏の生活を覗いてみて思ったこと。別にそれほどかっこつけなくてもいいんだな、ということ。「自分の人生は波乱万丈で、自分は特別なんだ」と言うことは優越感をもたらすのかもしれないが、それを言うならば、あらゆる人の人生は波乱万丈で、あらゆる人は特別で、その唯一無二であるという点において、すべての人は非常に普通である。



五日目、八時四十分、ホテルにて


最終日。あと一時間もしたらホテルを出て空港に向かう。最後の難関はタクシーでの交渉。脱力感も少しあることだし、少しくらい高くてもいい。とりあえずパリに着くことを最優先にする。


思っていたよりもハードな旅になった。フランス語が通じたからこそ乗り切れたと思うと同時に、フランス語が通じなかったらこんなにも深入りすることはなかったのかも、とも思う。フランス語がダメだったらホテルもHISあたりで取っていただろうし、初日のガイドについて行くこともなかっただろうし、スークの奥深くにガシガシ進んでいく、ということもしなかっただろう。そう思うと、これはこれで良かったのだ、と感じる。


今回の旅には、実は八年前のバンコクの旅へのオマージュという意味もあった。八年前、ホテルも予約せずにバンコクにひとりで旅立って、圧倒的な自由を感じて、そして日本への帰国直後に大学を辞めた。今回のマラケシュへの旅、日本に帰って新たな道を進む前に、再びあの圧倒的な自由を取り戻しておきたいという思惑もあったのだ。旅というものは、旅をしているその時は目の前の問題を処理することで手一杯である。いろいろと思慮深く考えている余裕などない。しかし、旅は様々なプロブレマティック(問題意識)を提供してくれる。それはしっかりと身体に刻み込まれ、帰国した後に多彩な広がりを見せる。


ところで、初日に買った石だが、これはホテルに置いて行くことにする。どんな成分が含まれているのか分からない。飛行機の搭乗手続きで引っかかったら面倒だ。


恐怖や疲労はどこに行っても存在する。それらが無くなる日ほど永遠に来ない。しかし、恐怖や疲労を苦しみへと直結させないことはできる。その力を与えてくれるのは一時的な体験でも学問でもない。その力は日々の生活から汲みとられる。絶え間なく流れる安定した日常が必要なのだ。


イスラム圏に来ることも、アフリカに来ることももうないだろう。海外をひとりで旅するということも、もうないかもしれない。自分が「シェルタリング・スカイ」の世界をひとりでさまようなど、少し前までは思ってもみなかった。なんとも不思議なものだ。人生、分からないことが多い。


このマラケシュ滞在記は、ブログで公開することを前提として書かれている。初日の夜、無事に帰国できるかどうか分からなかったとき、このノートに一行でも何か書こうとしたが、何も書けなかった。何を書いたとしても、それをネットで公開することができるかどうか、パリにある自分のパソコンにまでたどり着けるかどうか、確信がもてなかったからである。パリに戻るまで、まだまだ気は抜けない。すでに十四ページを埋め尽くしたこのノート、しかしそれが誰の目にも触れられないまま、消え去ってしまう可能性もある。最後まで油断してはならない。


十一時、空港内のカフェにて


チェックインまでまだ一時間半もある。コーヒーを飲みながら時間を潰す。飛行機の出発は十四時半。カサブランカ経由でパリには二十時くらいに着く予定。


九時半くらいにホテルをチェックアウト、ホテルの前の汚いカフェで三十分程ぼんやりし、その後タクシー乗り場へ。待機中のタクシーの運転手に話しかける。


「空港まで行きたいんだけど、どれくらいかかる?」と尋ねる。「いくらでもいいよ」と答えるので、「では80DHで」と言ったところ、簡単にOK。これで大体適正価格。


後部座席に乗り込み、空港まで二十分程度のドライブ。マラケシュは初めてか、と聞かれるので「そうだ」と答える。人懐こそうなオッサン、こちらもこれで最後だし、フランス語でいろいろと会話。アラビア語を教えてもらったり、自己紹介をしたり、モロッコについて話したり、とにかく笑いが絶えない感じ。なかなか親切な人だったし、十八歳、十五歳、十歳の子供もいるということなので、チップ込みで100DHを渡し、固い握手をして別れる。最後にいい思い出が加わってよかった。


パリに帰ったら何をしよう。明日は、日本文化会館に行ってとりあえず日本映画を見よう。明後日は第一日曜日、美術館がタダなので、ルーブル辺りにでも行ってみようか。それからは帰国の準備等々。やれやれだ。


何年間もフランス文学、哲学の勉強をしてきた。一日中フランス語のテキストとにらめっこをし、ひとつひとつの言葉の意味を掘り下げて、難解な文章と格闘してきた。余りにもテクニカルなこの作業、これは一体なんだったのだろうか?ただ単に専門知識を増やしてきただけだったのか?


必ずしもそうではないと思う。二十歳ちょっとの頃に文学に興味を持って、アカデミックな世界のなかでなんとか戦ってきて、そこで開けた新しい地平というのは、単に頭だけではなく、身体全体に刻み込まれているような気がする。ニーチェに支えられて冒険に飛び出し、レヴィナスに後押しされて異文化と交わる、ということもあったような気がする。


二十二時十五分、パリのアパートにて


なんとかパリに戻る。マラケシュのカフェ以降の流れを振り返る。空港のカフェを出て、チェックインに向かう。なぜか胃を締め付けられるような、強烈な不安に襲われる。理由は分からないが、とにかく非常に不安。チェックインの列に並び、順番を待つ。カウンターにパスポートとe-チケットを出したら言われた一言。「あなたの名前はありません。」


空港内の航空会社のカウンターに行くように言われたので行ってみるも、誰もいない。その後、二十分くらいオフィスをたらい回しにされ、担当者を待ち、ようやくチケットをチェック、原因不明のまま、とにかく発券してもらい、チェックインも無事終了。


最後までトラブル続きの今回の旅、ひょっとしたらモロッコから出られないかもしれない、という不安と共に幕を閉じる。飛行機の中でも、最後にまた何かトラブルが待っているんじゃないか、という不安からまったく落ち着かない。パリの空港を出てRERに乗ったときには、思わず涙ぐみそうになる。何も悪いことはしていない、もっと自信を持って生きていいんだ、と自分に言い聞かせつつ帰宅。とにかく、タフな五日間がこれで終わる。緊張感が抜け切らない、しかしどこか爽快感も感じる奇妙さと共にこの手記を終わります。それでは、さようなら。

アパートに戻ってから一時間半が経過。一週間ぶりにビールを飲んでいます。先程ムッシュが帰ってきたので、帰国の報告プラスちょっと立ち話。で、ムッシュに聞いてみたのですが、やはりアラブはキャピタリズムではない。詳細は近日公開予定の手記のなかにも書いてありますが、資本主義だとかグローバリゼーションだとかいくら言ってみたところで、まだまだ世界には日本の想像を超える世界が存在するのです。ベルリンの壁が崩れたりソ連が崩壊したからといって、資本主義が世界を席巻などと思っていたらまだまだ甘い。アラブの商人とミントティーを飲みながら商談をしてごらんなさい、日本の常識なんてあっという間にくつがえるから。ベルベル人と半日も一緒にいれば、そのことがよく分かる。

帰国しました。想像をはるかに越える、タフな旅でした。近日中に、向こうで書いた手記をまとめてアップします。

グラン・パレで開催されている「フランスアートの力」に行く。現在フランスで活躍しているアーティストの作品を集めた展示会。非常につまらない。フランスの現代アートは説明が多すぎるというのは時々言われることだが、今回もご多分にもれず、あまりにも頭でっかち。まるで理論に絡めとられた美大生の作品を見ているようだった。会場にガイドが何人もいて、一生懸命展示品を解説しているのだが、そもそも解説されないと楽しめないアートってどうなんだろう。メッセージを前面に押し出そうとするあまり、造形的に非常に弱いというのが全体的な印象。日本に戻ったときに「バカボンド」のイラスト集を本屋で立ち読みしたが、ヴィジュアル的なかっこよさを追及したあちらの方がアートとしてのクオリティーもよほど高い。


そもそも、アートの起源はどこにあるのだろうか。一概には言えないが、おそらくそれは聖性と不可分だったのではないか。祭りの道具やキリスト教のイコンのように、それは共同体の物語と密接に結びつき、人びとの生活のなかで大きな役割を担っていたはずだ。現実から切り離され、文脈も何もないまま美術館という四角い箱のなかにオブジェだけを置いて、その横につけられた説明書きだけ読んでいきなり何かを感じろと言われても、それはなかなか難しい。


明日からしばらく音信不通になります。ブログの更新もできません。ところでこのブログ、いったい誰が見てくれているのか全く分からない。アクセス解析があるから大体の人数は分かるけど、どこの誰だかはさっぱり。リアルな世界での友達も含め、ブログを見てくれている方はコメントかメールでもくれると嬉しいです。

モロッコに持っていく本を買おうと思い、オペラとサンラザールへ。BOOK OFFで春日キスヨの『家族の条件 豊かさのなかの孤独』と若林一美の『死別の悲しみを超えて』を、FNACでレヴィナスの『Autrement qu'etre』(邦題は『存在の彼方に』だったと思う)を購入。個人と共同体、そして死に興味があるので、こういうセレクションに。これをアフリカの大地で読むという、そのコントラストが面白そう。


テオ・アンゲロブロスというギリシア人の監督が好きで、いま、彼の「永遠と一日」のサントラを聞いている。いちばんの傑作は「ユリシーズの瞳」という作品。ハーヴィー・カイテルが主人公で、マルクス兄弟の失われたフィルムを求めて彼がバルカン半島を放浪するという話。男が一人で海外を放浪する、その原型は、やはりユリシーズ(オデュッセウス)にあるのだろう。旅人は、ペネロペの待つイタケーに帰郷しなければならない。