ラース・フォン・トリアーの新作、「ANTICHRIST」を見てきた。主演、シャルロット・ゲンズブール、ウィリアム・デフォー。ゲンズブールは今年のカンヌで、この映画で主演女優賞を受賞している。
日本公開はおそらく未定だが、公開されたとしても確実にモザイクだらけになるので、重要な部分が伝わらないままに終わるものと思われる。以下、内容紹介と簡単な感想。ネタバレあり。また、かなり衝撃的な内容なので、グロテスクなのが苦手な人は読まない方がいいです。
<内容>
西洋の悪の歴史に関する博士論文を書いているゲンズブールとセラピストのデフォーは夫婦。二人が自宅でセックスをしている最中に、二人の赤ん坊が誤って窓から転落、死亡するところから物語ははじまる。
最愛の息子の死に自分を責め続け、衰弱していく妻、セラピストである夫は、そんな妻を何とか「治療」しようとする。彼は、妻を自分自身の恐怖に向き合わせ、自分が抱える恐怖と戦わせることで、息子の死から立ち直らせようとする。
いちばん恐れているものは何だ、という夫の質問に、妻は森であり、そこに生えている草だ、と答える。そこで夫は妻を自分たちの山小屋がある森に連れて行き、恐怖で立ち尽くす妻に草の上を歩かせようとする。
夫の「治療」のおかげで一時的に回復したように見える妻、しかし彼女は、確実に狂気に犯されていた。とつぜん夫に襲いかかった妻は、彼のペニスを叩き潰し、さらに彼の左足にドリルで穴を開け、バーベルのような重石をはめ込む。
命からがらに逃げ出す夫、そんな夫を必死の形相で探す妻。山中のほら穴に隠れた夫を無理やり引きずり出して山小屋に連れ帰った妻は、床に倒れる夫の横で自分のクリトリスを切断、さらに夫に襲いかかる。けっきょく夫は妻の首を絞めて彼女を殺害、彼女の死体が燃やされ、夫が山を下りるシーンで物語りは終わる。
<感想>
1. 理性vs自然
理性と自然との対立、というのがこの物語の大きな構造としてある。セラピストである夫は、息子の死に直面した妻を理性の力によって立ち直らせようとする。彼は、自分の恐怖と対面し、それを乗り越えることが苦しみから脱出する方法だ、という信念のもと、妻をマニュアル通りに「治療」する。
その結果たどり着いたのが、森というネイチャー(自然・本性)である。息子の喪失によって死の世界に強く結び付けられた妻は、夫が操る理性のコントロールを超越している。理性の光が届かない死の世界、同じく、理性の力を超越した自然、理性の外部にある二つの世界が呼応しながら、妻をゆっくりと蝕んでいく。
セラピストである夫の「治療」は、理性の外部に広がる闇のなかで苦しむ妻の悲しみを、むりやり理性によって押さえ込もうという荒業である。自分が信じる方法があらゆるものに対して有効である、と思い込む夫の態度は、傲慢ですらある。実際、妻は夫に対して「あなたは傲慢だ」と言いながら襲い掛かる。妻の反逆は、その傲慢さへの反逆でもある。
2. 自然=女性=悪?
この映画は、妻の研究対象、西洋における悪の歴史もひとつの軸となっている。ここら辺はいまいちついていけなかったところなのだが、中世キリスト教における自然と女性、さらに悪の概念のつながりがキーのようである。理性が男性と結びつき、自然が女性と結びつく、というのは分かる。さらに、キリスト教においてそれが悪に接続される、というのもなんとなく分かるような、でもあまりはっきりしない。さらに、「苦しみ・絶望・喪」という三点セットと、シカ・キツネ・カラスという三つの動物が何か関係があるようなのだが、シカとキツネとカラスのアレゴリーがよく分からないので、これもいまいち理解できなかった。それが死と自然に繋がる、というのはなんとなく分かるんだけど。
3. セックス
セックスの最中の息子の死から物語ははじまる。その後、妻はまるでフロイトの反復脅迫のように、何回も激しく夫にセックスを迫る。しかし物語の最後は、それぞれのセックスの喪失である。ここら辺のこともいまいち消化できていない。
そのほか、身近なひとを亡くした者の悲哀(グリーフ)の問題などもあるのだが、いずれにしてもなかなか考えさせられる映画でした。ただ、日本では公開されるのかな?監督が人気があるから(「Dancer in the Dark」の監督なので)公開されるかもしれないが、渋谷あたりのマニアックなところでだろうし、しかも確実にモザイクが入る。性器の切断シーンをアップで移したオリジナルの衝撃はあまり伝わらないだろう。