HONDAがF1を続けられる唯一の道 | F1っぅ放送作家 高桐 唯詩のブログ

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70年代から業界で働き、F1総集編26年。ル・マン、パリ~ダカ、ツール・ド・フランスなど冒険好き。現場経験多数。基本は詩人だがレース関係が長いので、クルマ関係者だと思われている。
ちょっとおしゃれで、インテリジェントな、時々泣ける話を目指します。

私は1980年代に鈴鹿サーキットで本田宗一郎さんと同じブースで F 2レースを観戦・取材したことがある。
その頃、本田さんはもう最高顧問で、気軽に声をおかけすることはできなかった。

 

                                (HONDA RA271)


その後、2代目社長であった河島喜好さんとは、青山本社の最上階で、単独インタビューする機会があり、戦後、「本田宗一郎と21歳の河島青年が初めて出会った瞬間」や、旧陸軍の無線機用発電エンジンをリメイクして原動機付自転車を作った時の話や、円筒エンジンの話、世界グランプリ、マン島 TT レースのお話などを伺ったことがある。

 

 

それらは、私の著書「走れクニミツ~小説高橋国光物語」の中に書いてある。是非お読みいただきたい。

 

       (尊敬する高橋国光さんとRC162)

 

さて、それ以後、私は「本田技研工業の社長の名刺コレクター」となり4代目の川本信彦さんや5代目の吉野さん、6代目の福井威夫さんなどと、パーティーなどでお会いしてた時などに名刺を交換させていただいた。

 

さて、先日に続いてホンダが2021年に F 1活動終了するというお話の続きをしたい。

 

ほぼ72年近いホンダの歴史の中で、レースはまさに DNA として刻み込まれている。
マン島TTに出場する。世界グランプリに出る。と言っていたHONDAはまだまだ小さい会社だった。

 

        (二代目社長河島さんの課長時代)

 

 

例えば1952年浜松から東京へ本社を移転した時、資本金はそれまでの200万円から600万円に増資した。1957年には3億6000万円への増資、従業員は数千名。
TTレースで優勝した1962年、資本金は一挙に86億4000万円。従業員は5000名だった。
それでも小さな会社で、なんてたって設計課長がいきなり世界のレースで監督をやるという変な会社であった。

ここに一冊の本がある。歴代のホンダ社長の名言を集めた先見の知恵。 TOP トークスと言う社内向けの本であり私のバイブルである。その中に、1964年の社報に載せた本田宗一郎の言葉があるので紹介しよう。

 

 

「レースはやはりやらなきゃいけない。レースによって、自分の力量や技術水準が世界のどのくらいにあるかを知ることができるし、それによって、 経営の基盤をどこに置いたら良いかを決めることができるんだからね。レースに出て、そりゃ、勝つに越したことはないけれども、勝っても伸びない会社がある。
レースに力を入れて、勝負をばかりを追っていると、商売がおろそかになってしまう。
一度勝って色々な経験をしたら、商売に力を入れる。そのような会社が隆々と伸びていることを我々は知らなければいけない。
乗り物は、 一つ間違えると生命にかかわることだってある。公共交通機関を作っている我々は、レースを通じて得られた結果を、早く製品に取り入れて、 より安全な交通機関をお客さんに提供する義務がある。より社会に貢献できるものを作ることに全力を挙げるのが、我々の大切な使命である。レーサー(レーシングマシン)は製品の尖兵で、レーサーと製品とはいわば往復運動をやっているんだね。」

 

 

現在の本田技研工業は、資本金860億6,700万円。国内総資産ランキングは20位。工場を世界各国に有する多国籍企業だ。
 F1をやり、アメリカでもインディに参加、日本国内でも活発にモータースポーツを推進してきた。しかし2021年をもって F 1活動を終了すると正式にアナウンスをした。そのきっかけは50年後のカーボンニュートラルに本格的に取り組むためというものだ。菅首相の施政方針演説あったとおり Carbon neutral (脱炭素社会)は、世界のトレンドであり、全ての国家、メーカー、人々が取り組む課題ではある。

       (F1活動の報告書これは第二期)

 

 

が、しかし、レースをやっていると、カーボンニュートラルに反するのか?レースはそれほど反地球的なものか?という疑問も沸く。
レースは究極の技術研究の場であり、二酸化炭素を出してでも勝つなんていう時代遅れのものではなく、レースがカーボンニュートラルの研究に役立つ。気もするのである。

 

もちろん、クルマの形態は30年で大きく変わるだろう。
30年後はみな空中を移動しているかもしれないし、HONDAの製品は飛行機になっているかもしれない。今の自動車の概念は2020年を分岐点にがらりと変わるのだろう。


だから大変だからF1をやめる。というのは、分からないでもないが、もうちょっと柔軟な考え方があっても良かった。

 

 

つまり、大会社であるHONDAで、もはやF1活動出来ないのであれば、F1活動ができる小さな会社を作れば良い。
二輪はホンダ・レーシング(HRC)という子会社にすべてをまかせて、世界中にHONDAの名前をアピールしている。このHRCの資本金は資本金 3億2000万円であり、総資産はおよそ118億5400万円である。

 

同じように「HONDA F1コーポレーション」を作って、技術研究と、人員教育と、世界を相手にしたマーケティングと、それこそ世界の人々に尊敬される「レーシング・アイコン」を作れば、何もかも、やめなくて良いのではないだろうか?

 

誰とは言わないが、私がお話した社長経験者の方も、日本を代表するF1解説者の方も「子会社にすれば簡単なのに」と口癖のようにおっしゃっていた。

 

もしも、資本金3億くらいでそういう会社が出来て、一部でも株が公開されるのであれば、日本のモータースポーツファンも株を買う。

さらに別の企業がスポンサーとして入り、数百億円の年間予算が組めれば、十分F1活動が可能であり、さくら研究所や、ミルトンキーンズにあるリソーシスが有効に活用できるのではないか?

 

それでも、そういう提案が出来なかったのは、一体なぜなんだろう。
そこが七不思議。毎年巨額のお金を本社としてつぎ込み、そのまま撤退する(終了する)こともはや4回。HONDAという会社の不思議さ。たくさん友人がいる会社だから余計に感じてしまう。


たしかにF1は大変ふだ。昔、河島さんから「アコードよく売れているからF1やってもいいよ」と言われた1960年代の川本さんが、F1復帰を一番反対したという過去の話もある。

 

これ以上はよそ様の事情なので、私がどうこう言えた立場ではない。
だが2021年までに「HONDA F1株式会社」が設立される夢物語を語ってみた。

 

 

もう一つだけ救いを言っておくと、「HONDAがF1を止めました。はい世界からもはや相手にされません」という絶縁状態に入ると思うのは間違いで、FIAはHONDAにいつか戻ってきてほしいと思っている。フォーミュラワンのコンソーシアムも困ったときにはまたHONDAに相談しようという仲間意識は持っている。

カーボンニュートラルに関して、悩みつつ、未来を模索しているのはFIAも同じである。
協力し合う。これこそ世界共通のルールなのである。

 

じゃあまたね。


バイバイ。