F1っぅ放送作家 高桐 唯詩のブログ

F1っぅ放送作家 高桐 唯詩のブログ

70年代から業界で働き、F1総集編26年。ル・マン、パリ~ダカ、ツール・ド・フランスなど冒険好き。現場経験多数。基本は詩人だがレース関係が長いので、クルマ関係者だと思われている。
ちょっとおしゃれで、インテリジェントな、時々泣ける話を目指します。

作家として、詩人として描かなければならないのは、人の心の内側の思い・・・言い方を変えれば「心のひだ」をいかに丁寧に描くかということに尽きる気がする。.

人間は、どう生きるかについて悩み、他人が自分をどう思っているかについて悩みながら生きている。それを描くのが作家の仕事であり、それがどんな分野であっても変わることはなく私は書いてきたつもりである。

春過ぎから、私のブログも新型コロナウイルスに関連した記述が多くなってきた。今回もその流れで、たどりついた思いについて書きしるしたいと思う。

 

 

 

新型コロナウイルスに関しては、世界中の人々が脅威にさらされ、悩み、恐れ、命を落とし、悲しみ、今もなお、どう生きるか、もだえている人々がいる。

また、コロナの影響もあって、様々に分断され、あるいはコロナが原因じゃなくとも、自由を奪われ、思わぬ方向に、世界が向かっていることを嘆く人々もいる。

 

いろんなものをいっぺんに語ることは不可能だ。まして私は一切合切を全部一緒だとは思わない。が、人間の幸福というものは、人間の心のひだが安定している、あるいは喜んでいる。そういう状態を言うのではないだろうか。

ところが、今の時代は一人一人の心のひだを、大切に思わない政府によって蹂躙されているような状態なのではないだろうか。

 

 

 

おとなりの国では、一国二制度を標ぼうしながら、今まで西洋風で自由な民主主義を享受してきた香港が、大陸の共産党政権に反抗すると、終身刑になってしまうような法律が制定された。これは大問題だ。香港にアメリカ系企業が1300社近くあると聞くが、はたしてそのまま商売を続けるつもりなのだろうか?

 

一方、コロナウイルス禍で、注目されたテレビ会議のシステムにZOOMがある。

この会社は株価が急騰して大人気であるが、実は創業者のエリック・ユアン CEO は中国出身である。ところが、このZOOMを使って、アメリカ国内で、中国人の人々が、天安門事件について語り合ったこのことに対して中国政府が反応、参加した人々のアカウント停止を要求し、 実際その通りになった話が、6月13日付の日本経済新聞に出ていたが、誰もそれについてメンションしないので、今ここで書いておく。 

 

共産党政権は一体何を焦っているのだろうか?

私の想像だが、各方面の末端の役人達が、「中央政府に良かれ」と思ってやっている「競い合い」が激しくなって、今の軋轢を生んでいるような気がする。心にひだのない人間と言うか脳にシワのない人間というか。自分たちがどういう方向に向かっているかが分からくなってしまった人間組織の悲しさがここにある。

 

 

 

では世界一自由だと思われている国アメリカはどうか?

大統領選挙が近くなり、ドナルド・トランプは相変わらず「アホでマヌケなアメリカ人」を演じ続けている。73歳の大人のアメリカ人なら、青春時代、ベトナム戦争について様々な意見を持ち、反対運動をするか、政治に関心を持つのが当たり前なのに、このおじさんは全く無頓着で、金儲けだけに生きてきた。勉強もそれほど好きではなく、歴史も学ぶことなく金儲けの取引だけで生きて、それを政治に当てはめようとするから、軋轢が起きている。まさに一人一人の、細かな心のひだを無視し、大型トラックのようにただただ突っ走り「偉大なアメリカを再び」と叫んでいる。まったく想像力に欠ける男である。

この状態は脳にシワなし心にひだなしということに尽きるのではないだろうか。

 

断っておくが私は中国にも、アメリカにも大切な友人がおり、その人々との交流は絶やさない。これを治める政治が、 繊細さに欠ける。

繊細さを政治に求めてはいけないという声もあるだろう。

人の心のひだの問題は「宗教や芸術」の世界で救済されるべきものなのかもしれない。

しかし、だからといって政治が人の心に冷たく、大型トラックやブルドーザーのように乱暴では困る。

 

 

 

日本人は繊細で、心のひだを大切に生きてきた。1300年も前に和歌を詠み、これが万葉集となり残っているわけだが、あの時代も、天然痘という疫病が流行り、人は死ぬ思いの中で歌をつむぎ、人への愛を歌ってきた。苦しいから、自分のことだけを考えるのではなく、苦しいから他人を思いやり、苦しいから小さな力を結集して、お金を集め、「大仏を作る」「東大寺を作る」途方もない建築物を作った。それは人間の力であり中央政府の力ではない。

 

では現在の日本はどうだろう。 

毎回いうのだが、阿部首相という人は、言葉を大切にしてるようで、まるで大切にしていない。それは、誰かが書いた文章を、間違いがないように読んでいるだけであり、自分が書いた文章ではないからだ。大きな会議でも小さな会議でも、下を向くか、あるいはプロンプターを向いて原稿を読んでいるだけであり、本当に、この言葉が分かっているのかと思うことがしばしばある。巧言令色少なし仁。という中国のことわざがあるが、美辞麗句が並ぶばかりで、まごころがない。

まさに 脳にしわなし、心にひだ無しの状態に思えるのは私だけであろうか。

 

 

 

今年も、6月30日をもって半年が終わる。

正月に思い描いた半年とは全く違う、惨憺たる日々であった。

7月から明るい未来が、来るのか?あるいは第2波が来るのか?

それは誰にもわからない。

ただ私はこれからも人間の心のひだを描いていきたいと思う。

 

中国では AI を使って顔面認証をし、重大な犯罪人を見つけ、刑罰を与えようというシステムが完成しつつあるようだが、 人間の心の中の物思い=人の心のひだは街のカメラでは見えない。それが私の最大のよろこびであり、 AI の限界もそこにある。

 

小椋佳の歌の中にもある。「何よりまして自由なものは、心の中のもの思い」その言葉に尽きる。

 

それじゃあまた。

 

バイバイ。 

 

5月の24日になった。今日は1992年にこの世を去ったレーシングドライバー小河等さんの命日だ。

 

新型コロナウイルスは、未だに世界を覆い尽くしている。

かの中国はもうすでに過去のものにしてしまっているようだ。

さて私自身、時々忘れているが私は闘病中の身である。

2018年に、大きな手術を受け、大学病院の ICU( 集中治療室)から HCU(ハードな治療室)を経て一般病棟へと移り長く入院した。

 

 

 

また2019年には放射線治療と抗がん剤治療を受けるため再入院。大病院での入院生活をたっぷりとやった男である。

現在は、多少残ったがんがあり、最先端のオプジーボ治療を受けるため、自宅のある葉山から品川区旗の台まで2週に1回通院する身である。

 

さて今日のテーマは、新型コロナウイルスに振り回らされている世の中、及び病院の体制みたいなお話をしたい。

 

私が手術を受けた2018年、私をケアしてくれる看護師さんたちは、入院したベッドの前で抗がん剤の点滴をする時に、防護服をつけマスクの上にフェイスシールドを付け手袋をして、終わると私の腕に刺さっていた注射針から、抗がん剤から、すべてのものをビニール袋に入れて廃棄処分していた。

 

それは2回目の(2019年の)放射線治療入院の時も同じで、抗がん剤を打つ前に、完全防備の姿になり、看護師2人による薬剤のダブルチェックがあって初めて貴重な薬剤を点滴する。そういう手はずというかシステムが構築されていた。

 

そして現在2020年、私は、抗がん剤ではない、自分の免疫力を高めてガンを克服するための薬剤「オプジーボ」投与のため、昭和大学病院に通い、非常に高価な薬剤を注入してもらっている。この薬剤は2月28日から保険適用になったので、私のような貧乏作家でも受けられる薬価設定だ。

 

      (これは普通の薬剤に抗がん剤が入っているのかな?)

 

点滴をする「腫瘍センター」には、50ほどのブースがあって、私のほか、通院して抗がん剤などを受ける人たちが、小一時間点滴投与を受けている。ここの看護師さん達は、もちろん防護エプロン及びフェイスシールドは当たり前であり、私にとってはもう足掛け3年こうした看護師さんたちのスタイルを見ている。

 

おそらくテレビをのニュースなどで、そういう姿を見て「病院ってすごいなあ」と思っていらっしゃる方にとっては「 防護エプロンやフェイスシールド」は異様な世界かもしれない。が、一度病気になって病院のインサイドを経験すると、これが極めてあたりまえのスタイルであり、異様でもなんでもなく感じられるから不思議だ。

 

私が通っている昭和大学病院は、医療崩壊は起きてはいないようだ。例えば入院病棟の看護師も、こうした点滴センターの人たちもそれぞれ、普通に 勤務をしている。

 

一度、センターの 看護師に聞いたことがある。「土日も休めるの?最近コロナで、そちらにまわされているんじゃないの?」という問いに、

「私はコロナの方に回るということはありません。ただ、自宅に子供がいてそちらのストレスが大変」と笑っていた。

 

今、この大学病院は、入り口でまずアルコール消毒をして、サーモグラフィーのカメラを抜けて、入らねばならない。救急患者もたくさん受け入れているからトリアージのためのテントも用意してあり、いきなりここに(新型コロナ患者が)救急車で入ってくるというパターンはないというか、防護線はしっかりとしている。

まあ一言で言うと、この病院は、あんばいよく、さまざまなことが平常に回っているといえよう。

 

私は病院関係者ではないから何とも言えないが、フェイスシールド、マスク、防護服、手袋などに関して、、この病院が不足をきたして困っているという風には見えない。これはやはり病院長やら経営陣、ほかバックヤードの人々の努力によって正常に動いていると考えた方がいいようだ。これは大切なことだ。

 

今日の結論は一言で言うと 病院は病院の経営チーム次第。また病院全体の意識の問題のような気がする。

 

患者として言えることは日本は高度な医療を、経済的に困らずにできるという点で、本当に素晴らしい国だと私は思う。

 

ただコロナのために公共交通の窓が開けられ、寒いのは閉口で、がんを持つ人間は温めなくてはならないから、昨日のJRの寒い電車はとても辛かった。

世の中、新型コロナだけが病気じゃないのだよ。

 

さて、20年ほど前のこと。ニューヨークの病院に、セラピーの件で、いろいろ取材をしたのだが日本との大きな違いを一言だけ言っておこう。

日本の病院は総合受付に優しい女性受付がいる。

ニューヨークの病院にはそういう受け付けはない。男性ガードマンが2名くらい、腰に拳銃をつけ、「お前は何しに来た?」というような感じで座っている。

ニューヨークと日本の病院の大きな違いはそういうところにある。

 

なんだか今日は駄文になってしまった。許していただきたい。

 

じゃあまたね。

 

バイバイ。 

 

②リーダーの資質。

 

第二次大戦中、ナチスがヨーロッパ全体に侵略しはじめ、フランスがほぼ制圧されたとき、イギリス首相になったチャーチルは、「和平交渉」を勧める主要閣僚たちをしり目に、市民たちと語らい、英国民の意思を確認し、次のような大演説を打った。

 

 

「我々は岸辺で戦う。野原で街で丘で戦う。我々は決して降伏しない」

国民を勇気づけ、徹底的に戦い連合軍を勝利に導いていった。
チャーチルは言葉の魔術師と呼ばれている。


リーダーの言葉は、社会の雰囲気、国民の意思、希望をがらりと変えるもの。

 

4月18日土曜日の時点でAFP調べによると新型コロナウイルス感染者は世界で220万7730人。死者は15万0142人となった。

 

中国で昨年12月末に新型ウイルスが発生して以降、各国の対応は
さまざまだが、首脳たちが発した言葉は実に興味深い。

 

「明日、より情愛をもって抱き合うために、今日は(人との)距離を取ったままでいましょう。明日より早く走るために。みんなが一緒にやれば乗り越えられる」

 

 そんな表現で国民を説得したのは、イタリアのジュゼッペ・コンテ首相。3月11日に動画で声明を出した。

 

        (1975年に私が住んでいたオックスフォードの家)

 

 

 

イギリスのボリス・ジョンソン首相は、3月12日の記者会見でこう語った。

「私は英国民に対して正直に言わなければならない。
より多くの家族が、彼らの愛する人たちを寿命に先立って失うことになる。しかし、過去数週間にわたって言ってきたように、我々は現在実施している明確な計画がある」

 

 

ドイツのメルケル首相は冷静に、国民に安心感を与えるように語った。これも同時期だ。

 

以下メルケル首相。

「私がみなさんにお約束できるのは、連邦政府を頼ってくださいということです。
私も昼夜問わず、どうすればみなさんの健康を守りながら、元の生活を取り戻すことができるかを考えています。

政府としてできることはすべてやる心づもりでいます。
この数日間、ドイツでは過去最大級の財政支援策と社会保障をしています。助成金やローン、短期の休業補償に対する数え切れないほどの手続きが、なるべく官僚的ではない形で迅速にされています。

普段めったに感謝されることのない人々にも感謝の言葉を送らせてください。スーパーのレジ係や、商品棚を補充してくださる方々。
彼らは現在、最も困難な仕事の1つを担ってくれています。
仲間である市民のために、日々働いてくれて、私たちの生活を支えてくれてありがとうございます」

 

 物資不足と感染リスクでパニック状態になっている
スーパーで働く人々にも目を向け、励ましの言葉をかけた。
 メルケル首相は、自分でカートを押しながらスーパーで買い物するから、庶民の暮らしをよく知っている。

 

 

 話は変わるが、私の娘はドイツに住み、税金を納め、
ドイツからアーチストビザをもらい働いている。

 

もうずいぶん前、3月中のことだが、フリーランスとして仕事がないので国に申請したら、翌日に日本円でおおよそ60万円の支援金が振り込まれたという。

 

このブログを書いている4月18日時点で、日本はまだお金はな~んも行き渡っていない。


なんなんだろう、この遅さというか、お粗末さは・・・。

 

我が国の首相の緊急事態宣言(第一回)の時のコメントは以下の通り(抜粋)

 

「強い危機感の下に、雇用と生活は断じて守り抜いていく。
そのために、GDP(国内総生産)の2割に当たる事業規模108兆円、
世界的にも最大級の経済対策を実施することといたしました。
困難に直面している御家族や中小・小規模事業者の皆さんには、
総額6兆円を超える現金給付を行います。1世帯当たり30万円に加え、次の児童手当支払に合わせ、1人当たり1万円を追加することで、
お子さんの多い御家庭の家計もしっかりと下支えします」

 

ということだが、いつものようにプロンプターの画面を見て、原稿を読み、会議で、下を向いて、補佐官か官僚が書いた紙を読んでいる。


30万円は撤回され、国民一人当たり10万円になり、5月中には行き渡らせたいということだそうだ。

 

新型コロナウイルスが露呈したものは、
指導者たちの、資質だ。

 

指導者には、教養と、人はいかに生きるかという哲学、(どう導くかという)リーダーシップ。人間の弱さが分かる慈悲の心。苦難に耐える己の力、経験に裏打ちされた引き出しの多さ。若い時から訓練した活発なディベート力。などが必要だと私は思っている。

 

イギリスのボリス・ジョンソンは、自ら新型コロナウイルスに感染しながら、国民を鼓舞して、自らも立ち上がり、このウイルスとの戦いを呼び掛けた。身を削る姿が見れた。

 

 

残念だが、庶民の暮らしの厳しさを、肌で感じたことのない国の指導者は、言葉の中に心がない。教養と哲学、慈悲心はどこにあるのか?

 

 

 

コロナと闘うシステムはいいだろう。今はこの体制で行くしかない。
ただリーダーの空虚さ、政治の遅さ、もたつき、真心のなさには涙が出る。これ以上は書かない。

今回も言葉足らずだったかな?

 

じゃあまたね。

 

バイバイ。