F1っぅ放送作家 高桐 唯詩のブログ

F1っぅ放送作家 高桐 唯詩のブログ

70年代から業界で働き、F1総集編26年。ル・マン、パリ~ダカ、ツール・ド・フランスなど冒険好き。現場経験多数。基本は詩人だがレース関係が長いので、クルマ関係者だと思われている。
ちょっとおしゃれで、インテリジェントな、時々泣ける話を目指します。

テレビを買い替えました.

緊急性はなかったのですが、新しいテレビの世界を見てみたかった。

 

(最近のワイドショーは表が多いので、大画面が便利ですね。アマタツの天気はまだ良いのですが、ほかは一画面に情報盛り込みすぎです。)

 

 

 

基本的に私は放送作家なので、テレビは仕事の道具。必要経費として申告しています。できれば令和2年のうちに買いたかったんですがちょっと遅れてしまいました。

 

今回購入したのはシャープの60型の4Kテレビです。

 

なぜ新しいテレビが欲しかったのか、少しお話しさせてください。

私の小説「父のアンテナ」にあるように、私の家は電器屋であり、テレビをたくさん売ってました。もちろん白黒テレビで、登場したころから、子供ながらにアンテナ設置や、画面調整など大得意でした。

 

 

(2018年に刊行した小説「父のアンテナ」ニッポンのテレビの曙を描きました。アマゾンで買えます)

 

 

大人になって、放送作家になり、世界中から中継をするなど、テレビの技術の進歩をずっとそばで見て行きました。

 

 

(昭和36年頃のテレビはこんな感じでしたね。ゼネラルテレビって知っている人いるかな?)

 

今、皆さんがご覧になっている「地上波デジタル」はもはや当たり前ですが、1990年代はまだ日本のテレビはアナログでした 。

 

1995年、 私はテレビ朝日の「ハイビジョン実験番組制作チーム」に入り、生放送ワイドショーや、旅番組、食の番組、風景の番組、ドキュメンタリーなどをやりました。

 

当時はまだ、ハイビジョンなど、どこにもなくて、 NHK とテレビ朝日が共同で一つのチャンネルを持って作って実験していたのです。

当時のハイビジョンカメラも重ければ、ビデオデッキは台車に積んで数十 kg になる代物で実はそういう重たいビデオデッキを持ったまま、知床五胡のロケに行ったこともあります。

また長崎ハウステンボスの壁画を描く、画家のドキュメンタリー「愛は爆弾テロを越えて」では、「国際ハイビジョン賞」をもらいました。

 

そうした実験の末に、2011年日本のテレビは、総務省の働きかけや、デジタルハイビジョン推進協議会の音頭で、アナログから一気にデジタルハイビジョンの世界に入りました。

 

そして今は4Kの時代が来ています。

 

「 ハイビジョンなんて必要ないだろ」

当時よく言われました。

「4Kなんて関係ないだろ」

という声も、今、聞こえてきます。

「テレビなんて映ればいいんだよ」

それもそうです。

「もうリビングの真ん中にテレビ置くのは古い」

そう言う人もいます。

 

私はできれば、テレビの進歩に、遅れないようにしていきたいという気持ちはあります。。

 

一方でディレクターとして、映像美にはこだわる方だから、美しい画面は必須です。

 

すでに4Kの番組をいくつか私は制作してきましたが、自宅に4Kテレビがないのでは話になりません。まあ、これが、テレビが経費である所以です。

 

さて一方で、僕が一番興味を持っているのがテレビとネットの融合ということでした。

 

今回購入したテレビは「アンドロイドテレビ」と言ってネットとテレビの融合を一歩進めて、大画面で YouTube やプライムビデオ やNetflixなお、色々な動画配信サービスを見ることができるというのが、一番の興味でした。

 

  (大画面に出るAmazonプライム画面。もうパソコンじゃ見られないかも)

 

 

 

テレビが来たのは1月の11日です。そこからテレビを wi-fi に繋ぎ、 YouTube のサインイン、 Amazon プライムビデオのサインイン。さらにシャープのココロテレビのサインインをするなど、手続きをいっぱいやりました。

 

 Android テレビは、地上波にはない別の世界がそこに広がっており、これはこれで勉強になる。

 

(こちらはYOU TUBE)

 

 

日本のテレビのレベル。例えばテロップをバンバン出していくような幼稚な作り方ではなく、一人でアンドレア・ボチェッリの歌を聴いたり、好きな音楽のビデオを見たりするのはとても快適です。

 

 

 

まだ Amazon プライムビデオの映画を大画面では見ていませんがまたゆっくり時間を取ってみたいと思っています。

 

テレビの質感ということで言えば、今のテレビはコストダウンされていますからリモコンも割とペコペコ、ペラペラで、高級感はありません。

 

ただ中国製品や韓国製品は、やはり日本人として買いたくなかったので 今回はシャープさんにしました。

 

         (こんなのもAmazonプライムにあった)


 

とりあえず、コロナ禍でもあり、外出できない病人にとって、新しいテレビはいい友達なのかもしれません。

 

新しいテレビを見ながら新しい番組の発想する。

これもせっかく買ったテレビへの設備投資の効果とでも言いましょうか。

 

楽しみつつ、頑張ります。

 

じゃあまたね。

 

バイバイ。

2021年(令和3年)になりました。

今年は辛丑(かのとうし)ということで、痛みを伴う衰退と新たな息吹が生まれる一年と言われています。

私は今も、仕事を始めた21歳の頃や、駆け出しの30歳、仕事が増えた30代後半から40代の気持ちでいましたが、気が付けばなんと私は年男!「還暦かな?}なんて思っていたら、あっという間に古希を過ぎ、72歳のおじいさんになってしまった。

 

     (天皇ご一家の弥栄を祈り一昨年葉山に建立された梓亭)

 

ご存知のように68歳のクリスマス頃に癌が発覚し、69歳で手術をして、今年で足掛け四年目の闘病生活になります。

 

幸い2020年は、入院することもなく、自宅で美味しいものを食べ、病院へ通い、抗がん剤を打つ生活でした。今年もなるべく、体を大切に、癌と共存しながら、生き延びていきたいというのが、偽らざる心境であり、最大の目標です。

 

さて世の中はコロナ禍が、いよいよ大変になり、1月の8日(本日)から緊急事態宣言となりました。この間、考えてみるに、政府はうまく行っているかと言うと、個人的な感想だが、うまくやっているようには見えない。非常に遅れているし、日本的あいまいさの極致。

科学的根拠性の欠如。精神性に頼り、統率感がない。

その原因の一つがやはり、菅義偉首相のキャラクターにあるような気がする。

 

  (2021年1月1日号の新聞各紙。新聞も昔に比べると希望を語らなくなった)

 

 

 

私と同い年なのであるが、このかたは人の目を見ながら自分の言葉でしゃべる姿を見せたことがない。常に誰かの書いた文章を読み、目は中空を泳ぎ、誰に向かって何を訴えているのかさっぱり分からない。自分の失敗や失策を絶対に見せたくないという気持ちの表れなのだろうか、そういう70年間の人生を送ってきたのであろうか、心温まる言葉で他人を包むような方法ではなく、とにかく言葉の裏を取られたくない、行動の方針が 表れている。

 

はっきり言って日本はつまらない説明過剰な国になってしまった。

説明過剰ということは、責任逃れということである。

何かあった時に責任を問われないようにする。そういう自己防衛本能ばかりが働く人が、企業や国のトップになり、国としてのダイナミズムを損ねている。

 

国に対することはこのくらいにしておきましょう。

私は、そこまでの論客ではないし、また別のディベートで話すことがあるかもしれないけれど、このブログで政治を論ずるのはあまりそぐわない。

 

さて、年頭所感という意味で言えば、ある種の、別れみたいなものは、覚悟しています。

例えば JAFのレース・ドライバー・ライセンスは去年の暮れに期限が切れ、更新しませんでした。癌が完全に治りきらないうちはレーシングカーに乗ることもないからです。

 

       (2021年1月7日観音崎京急ホテルの立ち寄り湯へ)

 

また「モータースポーツの記者」として40年間保持してきた「年間パス」の申請も今年はしないでしょう。闘病しながら、希望を抱きこの3年間、年間パスを取ってみましたが、一度もサーキットに取材に行けなかった事実。今年も同じような調子でしょうから発行する組織、例えば「モビリティランドさん」にも迷惑がかかりますし、もし今後サーキットに取材に伺うとすれば、 臨時のパスで十分だと思います。願わくば、たくさんお金が入ってきて VIP のような形で行けるのが一番だと思いますが、まあそれは夢物語。

 

新たな息吹が生まれるとすれば、この半年間、雌伏してやってきたことの一つに、とある外国曲の日本語バージョンを世の中に広める仕事があります。

 

実は仕事始めもそれでした。

 

作曲者とは懇意にしており、ご本人の許諾も得ましたが、音楽出版会社の許諾が得られていませんでしたので、暮れから正月にかけて、たくさんの書類を作り、許諾のための申請をしました。

作曲者ご本人が OK してるんだから、いいようなものですけれども、会社としては管理をしなければいけませんので6種類ぐらいの書類を提出いたしました。

この新しい音楽のリリースに関してはまた別の機会に詳しくお伝えします。

 

新たな放送番組ということも射程のひとつに入っています。

2018年に発表した小説「父のアンテナ」のテレビドラマ化の話も、ゆっくりではありますが進んでいるようです。

自分自身が考えた「小浜島のばあちゃん合唱団」のドラマなり映画化みたいなものも進めていきたいと思っています。

またマリーンスポーツに特化した番組。特にヨットやボートの世界。

今まで日本ではタブーとされてきたラグジュアリーなオーシャンライフみたいなものにも手をつけていきたいなと思っています 。

 

          (2020年闘病しながら番組台本を書きました)

 

いずれにせよ、この一年、病人として寝ているだけではなく、新しい企画を立てて、人に協力してもらいながら、新しいムーブメントを起こしていきたいと思っています。

 

ある種の痛みを伴い、今までの自分とは別れたいと思います。

が、また大きくなって戻ってきたいのです。

 

幸い、去年の秋から訪問看護のストレッチの先生が、毎週来てくださいますから体の調子は良く、筋肉がつき体重も増えてまいりました。

 

       (毎週ストレッチをしてもらい、体をメインテナンス)

 

 

 

ここからもう一段頑張って生き延びる~それが2021年の大きな目標です。とにかく負けないル・マン24時間レースを毎日やっていくような感じです。

 

今年も、皆様には色々とお世話になると思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

様々なことが、具体化してきましたらまたブログでお知らせ致しますどうぞご期待ください。

 

じゃあまたね。

 

バイバイ。

2020年も、あっという間に11月になってしまいました。
人にとって大切なものを考えると、時間も大切だし、
一日一日幸福を感じること大切です。
1月までは平和でした。2月横浜港の大型客船ダイヤモンドプリンセスで起きた新型コロナウイルス騒動から
おかしくなってきて、3月からはコロナ、コロナで騒ぎになって、
今も未曾有の混乱と、経済界では大きな赤字と、
一般社会では生活の困窮などが続いています。

 

     (10月31日湾岸線から横浜市内方面うっすらと富士山を観つつ)

 

しばらく語っていませんでしたが、私の病状については、
1月から内服の抗がん薬を飲みましたが、体に合わず途中でやめました。
3月から、免疫力を高めるオプジーボを点滴することになりましたが、
6月で一旦やめ、7月から別の薬を点滴しています。

葉山の自宅から、品川区旗の台の昭和大学病院まで通って
投与を受けるのですが、投与に時間がかかるのと、通院時間が長いので疲れます。
薬の副作用、夏の暑さ、またコロナにかかっては大変に危険です。
電車で行って電車で帰るのは無理になってきたのです。

 

そこで行きは電車とタクシー。
帰りは友人に車で送っていただく。虫の良いことを考えました。
自分で運転できれば良いのですが、何しろ病気です。
抗がん剤投与の帰りは運転しない決まり。
家内も免許は持っていますが、高速を運転したことがありません。
もうお友達に頼るしかないのです。

 

8月の11日金曜日。病院の近くにお住まいの佐藤了英さんに 頼みました。快く引き受けてくださり、
私と家内と次女の3人を病院から自宅まで送ってくれました。
佐藤さんには2回目もお願いし、その時は飼い犬のノアちゃんも一緒でした。

 

                (佐藤さんとノアさん)

 

 

 

 

 

佐藤さんはレース業界では有名な人。
国内のタイヤメーカーで鍛えられ、次いで雑誌社、今は外資系のタイヤメーカーにいます。
いわば同業者ですが、昔も今も仕事はしていません。
ただ私がやりたい事のアイデアや、これからのレースのあり方など、
総合的に語るには、我が家までの1時間半はとても貴重で、
移動しながらのミーティングを開く感じです。
フレンチブルのノアさん私によく懐いてくれました。

 

 

 

9月に入って3回目の点滴、この日は、やはり業界で有名な菊谷聡さんにお願いしました。

 

                (菊谷先生です)


菊谷さんは、元ヤナセ、僕は1990年に初めて彼からメルセデスベンツを買ったのですが、
現在は高級車を扱う全国のセールスマンに、マナーであるとかビジネスのアドバイスをする日本で有数の「セールスマンの先生」をしています。
日刊自動車新聞社からは「自動車販売業を憧れの職業に!」という本も出され、私は私で菊谷さんと、新しい本を出そうか?という計画もあって、電話じゃできない「動きながらの会議」をしたのでした。

 

偶然ですが、佐藤さんも、菊谷さんも、車種が同じで、
メルセデスベンツ E クラスステーションワゴンです。
このドライビングミーティングと言うかモビリティオフィスと言うか、まったく新しい時間の使い方です。


今までは、どこがお店を決めて、酒を飲み打ち合わせするけど、
最後は訳が分からなくなって、話が決まったのか決まってないのか?
獏たる気分で終わるミーティングが多かったのですが、車ではシラフですから
結構真面目な話ができます。

 

 

4回目の点滴は、近くの江ノ島に住んでいる、映像作家宮本欣也さんに家まで来てもらって、
我が家の車、今は家内が買い物だけに使ってるファミリーカーを運転してもらって
彼は東京で他の仕事をして、夕方また自宅まで帰ってくる、計画をしました。

 

   (国産マイカーで往復しました。ドライバーは映像作家宮本さん)


宮本さんとも仕事が進行中で、行きも帰りも、アイデアを出し合いうミーティングができました。
家の車も、近所だけを走るのではなく、高速でバッテリーチャージもできました。

こうしてみると、病院外来の通院も、辛いことではなく、
「イベント化」することによって、希望が湧いてくる。
次にやらなければならないことが見つかって、
寝ている場合ではないという気分にさせてくれる。
とても良い一日になるのです。

 

10月中旬、昔からの友人で三栄書房OB。
オートスポーツ編集長として名高い熊谷睦さんにお願いしたところ快諾され、出動してくれました。
私の血管が細くなっていて、点滴がうまく流れず、予定時間をはるかにオーバーし、待たせてしまい、金曜日で道もすごく混みましたが、
第三京浜からベイブリッジ経由で、本当にご苦労をかけましたが運転してくれました。

 

         (熊谷さん。泣く子も黙る編集長様でした)

 

そして10月最後の31日。
もう一度熊谷さんは私を乗せて送ってくれました。
この日はハロウィンで、満月の日。
第三京浜から、生麦ジャンクションへ向かう新しい道を通って、
ベイブリッジ経由で帰りましたが、
途中から大きなブルームーンが上がってきて、それは素晴らしい景色でした。

 


ベイブリッジでは大型トラックが幅寄せをしてきましたが、
彼は国際 C ライセンスを持っていたレーシングドライバーです。
見事に回避をして、なおかつ追い越し車線を綺麗に走り、
トラックの前に出るとブレーイキングランプを、点滅させ
「ダメですよ!そんなことをしちゃ!」みたいなサインを出してスマートに運転します。
熊谷さんもなんと、メルセデスベンツの CLA クーペに乗っています。

なんだか病院の看護師から見たら、毎回ベンツがお迎えに来る、
お金持ちの患者さんのように見えますが、
私は支払い限度額を指定された貧乏な爺さんです。

いずれにしてもお友達に頼りながら、
打ち合わせと情報交換して帰るのは、希望になります。
お友だちには、本当に気の毒です。
誠に申し訳ないと思っていますが、
これからもよろしくお願いいたします。

 

     (これは佐藤さんと行った3回目。あまりの混雑に都心経由)

 

次はどなたに頼もうかな(笑)

友人の恩に報いるには、元気にならなければなりません。

それについてはまた次回以降のブログで
お知らせしようかと思います。お楽しみにね。


じゃあまたね

 

バイバイ。