2021年、私の年頭所感。 | F1っぅ放送作家 高桐 唯詩のブログ

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70年代から業界で働き、F1総集編26年。ル・マン、パリ~ダカ、ツール・ド・フランスなど冒険好き。現場経験多数。基本は詩人だがレース関係が長いので、クルマ関係者だと思われている。
ちょっとおしゃれで、インテリジェントな、時々泣ける話を目指します。

2021年(令和3年)になりました。

今年は辛丑(かのとうし)ということで、痛みを伴う衰退と新たな息吹が生まれる一年と言われています。

私は今も、仕事を始めた21歳の頃や、駆け出しの30歳、仕事が増えた30代後半から40代の気持ちでいましたが、気が付けばなんと私は年男!「還暦かな?}なんて思っていたら、あっという間に古希を過ぎ、72歳のおじいさんになってしまった。

 

     (天皇ご一家の弥栄を祈り一昨年葉山に建立された梓亭)

 

ご存知のように68歳のクリスマス頃に癌が発覚し、69歳で手術をして、今年で足掛け四年目の闘病生活になります。

 

幸い2020年は、入院することもなく、自宅で美味しいものを食べ、病院へ通い、抗がん剤を打つ生活でした。今年もなるべく、体を大切に、癌と共存しながら、生き延びていきたいというのが、偽らざる心境であり、最大の目標です。

 

さて世の中はコロナ禍が、いよいよ大変になり、1月の8日(本日)から緊急事態宣言となりました。この間、考えてみるに、政府はうまく行っているかと言うと、個人的な感想だが、うまくやっているようには見えない。非常に遅れているし、日本的あいまいさの極致。

科学的根拠性の欠如。精神性に頼り、統率感がない。

その原因の一つがやはり、菅義偉首相のキャラクターにあるような気がする。

 

  (2021年1月1日号の新聞各紙。新聞も昔に比べると希望を語らなくなった)

 

 

 

私と同い年なのであるが、このかたは人の目を見ながら自分の言葉でしゃべる姿を見せたことがない。常に誰かの書いた文章を読み、目は中空を泳ぎ、誰に向かって何を訴えているのかさっぱり分からない。自分の失敗や失策を絶対に見せたくないという気持ちの表れなのだろうか、そういう70年間の人生を送ってきたのであろうか、心温まる言葉で他人を包むような方法ではなく、とにかく言葉の裏を取られたくない、行動の方針が 表れている。

 

はっきり言って日本はつまらない説明過剰な国になってしまった。

説明過剰ということは、責任逃れということである。

何かあった時に責任を問われないようにする。そういう自己防衛本能ばかりが働く人が、企業や国のトップになり、国としてのダイナミズムを損ねている。

 

国に対することはこのくらいにしておきましょう。

私は、そこまでの論客ではないし、また別のディベートで話すことがあるかもしれないけれど、このブログで政治を論ずるのはあまりそぐわない。

 

さて、年頭所感という意味で言えば、ある種の、別れみたいなものは、覚悟しています。

例えば JAFのレース・ドライバー・ライセンスは去年の暮れに期限が切れ、更新しませんでした。癌が完全に治りきらないうちはレーシングカーに乗ることもないからです。

 

       (2021年1月7日観音崎京急ホテルの立ち寄り湯へ)

 

また「モータースポーツの記者」として40年間保持してきた「年間パス」の申請も今年はしないでしょう。闘病しながら、希望を抱きこの3年間、年間パスを取ってみましたが、一度もサーキットに取材に行けなかった事実。今年も同じような調子でしょうから発行する組織、例えば「モビリティランドさん」にも迷惑がかかりますし、もし今後サーキットに取材に伺うとすれば、 臨時のパスで十分だと思います。願わくば、たくさんお金が入ってきて VIP のような形で行けるのが一番だと思いますが、まあそれは夢物語。

 

新たな息吹が生まれるとすれば、この半年間、雌伏してやってきたことの一つに、とある外国曲の日本語バージョンを世の中に広める仕事があります。

 

実は仕事始めもそれでした。

 

作曲者とは懇意にしており、ご本人の許諾も得ましたが、音楽出版会社の許諾が得られていませんでしたので、暮れから正月にかけて、たくさんの書類を作り、許諾のための申請をしました。

作曲者ご本人が OK してるんだから、いいようなものですけれども、会社としては管理をしなければいけませんので6種類ぐらいの書類を提出いたしました。

この新しい音楽のリリースに関してはまた別の機会に詳しくお伝えします。

 

新たな放送番組ということも射程のひとつに入っています。

2018年に発表した小説「父のアンテナ」のテレビドラマ化の話も、ゆっくりではありますが進んでいるようです。

自分自身が考えた「小浜島のばあちゃん合唱団」のドラマなり映画化みたいなものも進めていきたいと思っています。

またマリーンスポーツに特化した番組。特にヨットやボートの世界。

今まで日本ではタブーとされてきたラグジュアリーなオーシャンライフみたいなものにも手をつけていきたいなと思っています 。

 

          (2020年闘病しながら番組台本を書きました)

 

いずれにせよ、この一年、病人として寝ているだけではなく、新しい企画を立てて、人に協力してもらいながら、新しいムーブメントを起こしていきたいと思っています。

 

ある種の痛みを伴い、今までの自分とは別れたいと思います。

が、また大きくなって戻ってきたいのです。

 

幸い、去年の秋から訪問看護のストレッチの先生が、毎週来てくださいますから体の調子は良く、筋肉がつき体重も増えてまいりました。

 

       (毎週ストレッチをしてもらい、体をメインテナンス)

 

 

 

ここからもう一段頑張って生き延びる~それが2021年の大きな目標です。とにかく負けないル・マン24時間レースを毎日やっていくような感じです。

 

今年も、皆様には色々とお世話になると思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

様々なことが、具体化してきましたらまたブログでお知らせ致しますどうぞご期待ください。

 

じゃあまたね。

 

バイバイ。