奥湯河原の旅館加満田を初めて訪ねたのは平成5年(1993)の11月9日だった。なぜ加満田か? といえば、ここが「文学の宿」だからである。水上勉、小林秀雄、檀一雄、池波正太郎が足しげく通ったと聞いただけで本物の証明であり、どこを切り取っても日本旅館の真髄が感じられたからである。
1993年、僕はラジオ2本、テレビ5本のレギュラーを持ち忙しかった。フジテレビでF1が始まって7年目、多くのことが軌道に乗っていた。
が、F1の仕事はシステマチックに完成し、放送作家も歯車の一部、プロデューサーには絶対服従みたいな雰囲気となり、息苦しくなった。
僕は能率や成果よりも生きる実感を求めていた。
もっと言えば「放送作家から、ただの作家になりたかった」
2018年にやっと出た小説「父のアンテナ」はもうこの時、書きあげていた。
だから一瞬「システムから離脱し」行方不明になりたかった。
その行き先が加満田だったのである。
独りで二泊を予約。メルセデスのCクラスを転がし、宿に着いたら、番頭さんが荷物を持ち、たたきでは髪の真っ白な女将が、三つ指ついて待っていた。
先代大女将の「鎌田かつ」さんだった。
部屋は二階の大きなのを頂き、疲れていた僕は、町からマッサージを呼んでもらった。あとは入浴したり、プロデューサーにちょっと苦言の手紙を書いたりして過ごし、翌日は下の町まで(ジョギングの格好で出たからバスだったような)手紙を出し、
戻っては入浴と、気ままに過ごして三日目にチェックアウトした。
帰り際、大女将のカツさんが部屋に来て、僕に土産品の夫婦箸を渡し、
「あの山を見ると本田宗一郎さんを思い出すわ」といきなり語り始めた。
「本田さんが来た時。あっちのあの山の木が全部切られましてね、それを見て『バカヤロウ、こんな丸坊主にしたら台風が来た時に湯河原は全滅するぞ』とすごい剣幕で怒ってねぇ」
「あの人は男だねぇ。男の中の男」
(本田宗一郎さんから旅館主人への手紙)
僕はニコンF90を持ってきていたので、女将を窓際に座らせて、網戸を開け放ち、写真を撮らせてもらった。女将は撮られながら、「昨日宇野千代ンところへ電話したらクロワッサンの対談でむにゃむにゃ」と語るが、よく聞こえない。
(宇野千代さんの色紙。カツ女将は親友だった)
辞する時が来て、仲居のさち(なんとF1のファンであり、偶然、宗一郎氏の妻女と同じ名)と大女将が見送ってくれた。フロントガラスからモミジが飛び去り、ルームミラーの中、大女将とさちがおじぎをしていた。
このカツ女将の話はエッセイに書いたが、当時はSNSもなく未発表だったが、写真は現像してお送りしたら、立派な毛筆の手紙が届いた。
(鎌田カツ女将から僕に届いた手紙)
カツ女将はその三年後くらいにお亡くなりになったが、僕はそれ以後も妻と来て、跡を継いだ鎌田るり子女将とも親しくなって、放送作家の仲間を連れて来たり、クルマの撮影で前庭をお借りしたりしたが、それでも長らくご無沙汰していた。
そして近年、がんを患い、2年の闘病を経て久しぶりに加満田に出かけることにした。
まさにようやく温泉に入れるまで回復した、と喜ぶべきイベントだが、心配してくれる友人と、妻が同行し、僕は導かれて連れられて、到着しただけである。
もう27年前のように「白いバアさん=カツ大女将」はいないが、るり子女将が出迎えてくれ、懐かしさでいっぱいになる。ここの良さは、時代が令和になっても、昭和的な日本旅館の伝統をそのまま残しているところだ。カラオケなどない。バイキング会場などない。
あるのは静謐な日本間だけである。
僕たち夫婦は「はぎの間」に通された。
平田勝巨匠と佐藤正勝巨笑の写真家お二人は、水上勉さんが執筆していた「せんりょうの間」
ここが食事会場になった。お二人ともレースの仕事で全国を飛び回り、自宅より宿のほうが多いような生活だが、私が無理言って、それなりにお高い宿に監禁してしまったが、許していただきたいと思う。
夕食は夏野菜のごまあんに始まり、非常に細かく手の入った料理が続いた。
佐藤正勝さんは料理得意の人であり、私も自分で魚を仕入れてさばくことができる。
それでも圧倒的に素人の上をいく「プロの技」を見せられ、感服した。
夕食後、女将の運転で、ほたるを見に出かけた。
実は、佐藤正勝師匠を誘ったのは「ほたる見に行かない?」という僕の一言であり、
今回の旅は「ほたるを見る会」というキャッチフレーズだった。
30年前、わが子たちがまだ二歳と六歳の小さいころ初めて湯河原に来て、不動の滝で一万匹のホタルの乱舞を見た。その印象が残っていたが、今は養殖ホタルの放流はやめ、自然に任せている。
奥湯河原はまだ寒く期待できないと聞いていたが「藤木川」のそばで二三匹が「ポオーっ」と光りながら飛ぶさまは、結構胸を打った。
それは自身の闘病やら、苦境やらなんやらが頭の中で重なり合い、生きていくことの大事さを思ったからではないだろうか。
(内湯)
その夜は寝て、翌日朝日を浴びながら露天風呂に浸かった。
短いけれども、満足いく旅になった。
るり子女将、二人の友、妻に感謝したい。
(鎌田るり子女将と、うちのおかんと私 平田勝撮影 佐藤正勝照明www)
大女将の写真はネガがブローニ―・サイズで、すぐには現像できない。
ゆっくりデジタル・リマスタリングして、エッセイと共にいずれ紹介しようと
思っている。
じゃあまたね。
バイバイ。