ラリードライバーの篠塚健次郎さんが、2018年の暮れにモナコを出発し、2019年の1月ダカールにゴールする「アフリカ・エコレース」に出場する。
(89年1月8日、リザルトを見る。平成元年が始まった日です)
資金の一部を調達するため、クラウドファンディングを実施中で、そのページに私が書き込んだことから、現在そのページには私の写真も使われている。
12年ぶりのサハラ横断。素晴らしいと思います。羨ましいです。
僕も、カメラマンの尾関一さんと砂漠を越えて取材に行きたいと思うほどです。
(1988年12月。プロローグランはバルセロナ)
何度かブログでも書きましたが、僕は1988年フジテレビで、5時間のパリダカ番組を構成し放送しました。88年~89年は1ヶ月にわたりパリから、リビア、ニジェール、マリ、ギニアなどを通ってダカールまで現地を取材しました。
(1989年1月。毎日レポートを書く)
90年から94年くらいまでテレビ朝日がパリダカを中継し、スタートから序盤の戦いだけを見て、日本に帰って番組の取りまとめをするという 、いわば「かなめ」の位置で仕事をしてきました。
だから今回の篠塚さんの挑戦は、本当に自分のことのように興奮するのです。
11回大会の時、砂漠で目を覚まして篠塚さんのスタートを取材に行くと、僕はまだ「目やに」がついている状態で、車を運転する篠塚さんは歯磨きの白いものが口の周りについている。それでも別におかしくはない。都会にいるわけではなく、砂漠のど真ん中にいるから、まるで気にならない。
(1989年1月。トヨタのNさんとクスクスを食べる私)
今回の篠塚さんの目標は完走だそうです。
目的は団塊の世代や高齢者のかたに元気を持ってもらいたい。
またセネガルに2002年に設立した小学校があるのですが、毎年文房具を届けていましたが2009年以来行ってないから、行きたいということもあります。
もっともっとあるでしょうが、言葉にならない情熱が、そうさせるのでしょう。
今回のエコレースの主催者は、当時バギーで頑張っていたジャン・ルイ・シュレッサーが主催しているもので、彼らもやはり、南米に移ったラリーは、本当のパリダカではないと思っているのでしょう。サハラに行きたいのです。
(砂嵐。風速30メートルくらいかな?砂が痛い)
「アフリカの水を飲んだ人間は必ずアフリカに帰ってくる」ということわざがありますが、サハラの砂の細さ、怖さ、素晴らしさを知った人間はやはりサハラに帰ってくるのです。
11回大会は1月の7日に昭和が終わり1月の8日から平成が始まると言うまさに歴史の転換点でした。
同じラリーに取材として参加していた二人の作家さんがいました。
「熱い砂」岡嶋二人著。ここにラリーの様子が書かれてあり、この本には僕も実名で出てきます。誠に懐かしく、本当に素晴らしい記録です。
(この本まだあるのでしょうか?)
ただ、僕はただ懐かしいだけではなく、やっぱり未来を感じていたい。
篠塚さんも同じ思いだと思います。70歳だからといって引っ込んでなんかいられません。
私のブログには、篠塚さんのクラウドファンディングの URL はあえて載せません。是非検索して、ファンディングしてください。
5万円で篠塚さんとのペンション「らべるでゅーら」にご招待というのがありますが、これはお得だと思います。
僕も体が元に戻ったら、アフリカに行ってみたいと心から願っています。
じゃあまたね。
バイバイ。