1970年は現代と似ているかもしれない。 | F1っぅ放送作家 高桐 唯詩のブログ

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70年代から業界で働き、F1総集編26年。ル・マン、パリ~ダカ、ツール・ド・フランスなど冒険好き。現場経験多数。基本は詩人だがレース関係が長いので、クルマ関係者だと思われている。
ちょっとおしゃれで、インテリジェントな、時々泣ける話を目指します。

  皆さんこんにちは。全日本スーパーフォーミュラ選手権。山本尚貴選手のシリーズチャンピオン獲得おめでとう。KONDO RACINGのチームチャンピオン決定おめでとうございます。

さてこのところ私のブログで「走れクニミツ」「ドリフトキング」「父のアンテナ」の電子ブックの話をし、さらに東芝 EMI の高島さん、石坂さんと言う天才ディレクターのお話をしてまいりました。

 

      (さあ僕はどこにいるでしょう?)

 

 今日は、今こだわって書いている1970年のお話をしたいと思います。

 

 世の中は大きく変わって、いまの社会を引っ張っている40代から50代の人々はみな1970年前後の生まれです。その人たちからすれば、1970年は古い時代のお話だと思うかもしれません。

 

 私は1970年に社会に入り、たった一人で、音楽、広告、コンサート、テレビ、書籍を書く仕事をやってきました。

 1970年と言う年は、戦後25年経って日本経済が落ち着いてきた。大企業はゆとりが出ていよいよ 近代に向かって動き出していた時代です。

 

 その中で、僕たちのような団塊の世代が大量に社会に出て、サラリーマンとなり高度成長を後押ししてきました。良くも悪くも頑張ったのはこの世代でした。

 

 僕は、たまたま大学を除籍になったことで、就職試験を受けず、いっぽんどっこでラジオのディレクターをはじめます。

 その頃の話を無駄にしたくない。もう一度丁寧に小説に書きたい。手遅れかもしれないけれども「社会的な資料としての私小説」を書いてみたい。そう思っています。

 

 1970年、霞ヶ関ビルがすでに出来上がり東京に超高層ビルの時代が始まりつつあった。三島由紀夫が市ヶ谷で割腹した。よど号のハイジャックもこの年。

 漫画では「あしたのジョー」が流行り、食べ物で言えばケンタッキーフライドチキンが入ってきたのもこの年です。 ビートルズが解散し、ジョージ・ハリスンがニューアルバムを出し、エルトン・ジョンがデビューします。

 フォークソングが少しずつ流行り始めてはいますが「かぐや姫」はまだデビューしていない。

 

 日本は不完全だけれども、ものすごいスピードで、近代に向かっていた。

 コンピュータはまだ出回っておらず、人々は、紙と鉛筆で物を書き計算していた。

 シャープの電卓が世に出始めたのもこの頃です。

 

 そんな時代に僕は何を求めて、フリーランスとして世に出たかと言うと、人と違うことをしてみたかった。

一サラリーマンになれば自分の思った世界へいけないであろうということが、直感としてわかり、苦しいけれども自分の好きな道を歩いてみたいと思ったからです。

 

 1970年の10月1日に自分が企画したラジオ番組がはじまり、毎日生放送し音楽に親しみ自動車レースの取材に行き、やがて海外に飛び出し、それなりに面白い青春を送ることができました。

 濃密な1970年代という社会の中で、鮮烈な青春時代を送れたと思っています。

 今2018年の世の中にあるロック音楽や、レースや、ファッションの原型はすでに1970年にはあったということです。

 

         (この人は誰でしょう?笑)

 

 その時代をもう一度検証したい。無駄な抵抗かもしれませんが、48年前をしっかり見つめ直してみたい。(懐かしみたいという気持ちは全くなく、あの時代のドキドキ感をもう一度みんなに伝えたい気持ちの方が大きいかな。もう一度ドキュメンタリーにしたい)

 

 そんな思いでおります。

 

 クルマの世界で言えばHONDAのNシリーズが現在大量に売れていますが、原形のN360が出たのが1968年で、1970年は国内実績ナンバーワンになります。ホンダ1300がデビューしたのも1970年。

 

 どうです? 今と似ていませんか?

 

 まあそんなこんなことをちりばめて、書いていきたいなと思っています。

 

応援の程よろしくお願いします。

 

それじゃあまたね。

 

バイバイ。