ヒロシマ平和公園の四季 -3ページ目

ヒロシマ平和公園の四季

「ヒロシマのこころ」とは、報復の連鎖を断ち切ること。
広島平和公園の碑めぐりのガイドをしている"たっちゃん"が、
平和公園の四季を通じて「ヒロシマのこころ」を届けます。

師走の慌ただしさをよそに、平和公園は落葉と堆肥が敷き詰められ、静かな冬のたたずまいを見せています。

サクラモミジも色褪せて一枚また一枚と舞い落ちる冬の午後、平和公園を訪れる人は少なくなりました。それにしても、「オバマ・フィーバー」に明け暮れた今年の後半でした。オバマさんの格調高いスピーチの余韻が残る慰霊碑周辺です。

花の少ない晩秋から初冬にかけて咲き出します。 長い間咲き正月を過ぎても楽しめます。 ・椿の中国名の「山茶花」がいつの頃からかこのサザンカの名前として 間違って定着したそうです。

13日の中国新聞に、アニメ映画「この世界の片隅に」が異例のヒットを続けていると報じた。私も11月中旬に八丁座(広島市中区)で鑑賞し、12月9日の当ブログに次のようにアップした。

テーマ「日常が戦争に勝る」・・・(筆者の独善)

「昨日は太平洋戦争の開戦の日でした。映画「この世界の片隅に(こうの史代原作」の作品で、すず(主人公)が戦火の広島・呉の地獄の中をただ直向きに、健気に生きた愛の物語。

圧巻は終戦の玉音放送を聴いたときのすずが見せた心の叫び。怒り。慟哭・・・。なぜここでやめる?だったらなぜ始めた?誰が!?なんのために!?信じていたのに!信じて戦っていたのに!・・・。観終わったあとに多くの観客が気づくはず。

すずのように、みんなこの世界の片隅で、自分にとって大切な記憶を抱きしめて生きているのだと。それにより"日常が戦争に勝る"ことに気づかされる。これは名作として語り継がれる作品の一つになるだろう。」

 "結び"そしてつながっていく

命あるかぎり"祈望"に向かって

"祈望"は永遠の命だから・・・

昨日は、茨城県の高校生20人と今年最後の碑めぐりをしました。2時間の所用時間に多くの情報を提案したので少しきつかったようですが、メモ用紙やスマホのメモ機能を使って器用に保存していた。これも現代風なのか。今夜の宿泊はプリンスホテルとか、修学旅行もハイクラスになったもの。これも現代風なのか・・・。

 

原爆資料館の立体パノラマが全面リニューアルにともない撤去され、2018年の再オープン時にはCG(コンビューター・グラフィック)合成の映像に変換されるという。そこで8月6日に何が起きたのか、峠三吉の日記から広島がヒロシマに変容した様子を知ることができる。

八月六日

今日こそは気胸を果さむとて朝食を早めに済せ家を出でむと二階にて用意を整へありし時(午前八時過頃)急にあたりの気配の異様なるを感じ眼をやれば外の面に白光たちこめ二階より見ゆる。畑や家並みの其処其処より音なく火焔閃めき白煙の斜めに立昇るが瞬間眼に映りぬ。

 

焼夷弾だと叫び上衣をひっかけたとたん猛然と家振動し窓硝子微塵に飛び天井裂け落ち片々身に降りかかる。爆弾だとかたはらの頼雄を伏せしめその上に布団を掛けやる。その時最早や轟炸の瞬間は過ぎゐしなり。後続の模様無ければとやゝ気を安らかせ、頼雄を気使い昇りきし姉より先壁土にて埋りたる階段を降りて父を呼べば父は壕より出て来ぬ。前額に拳大の腫れあり、その頂上より血流れ居れど大した事もなき模様。

 

余の額よりも血の濃く一筋流れあるを云はれて知りぬ。階下も踏み越ゆるに困難な程吹き飛びし建具の上に折重なりてピアノ其他の家具打ち倒れ惨憺たる有様。附近の兵士分宿所の前にて応急手当を為しゐると聞きて直ちに父を連れゆき繃帯を巻きもらふ。

 

その頃まで未だ敵の盲弾が翠町附近に落下したるものと思ひ居りしが、町の方を望むに煙雲とみに烈しく空を蔽ひ次第に大火の様子さえ望見さるるに至りし為都心部も容易ならぬ災害を罹りある事を知る。三々五々、全身ズルズルに剥けたる火傷者の裸体にて逃れ来るあり、タン架にて運ばれ来るあり。大河方面へ避難する者相つぎて通る。

夕方近く専売局前の臨時宇品警察所へ行きて列に並び罹災証明を受け乾パンの配給を受く。トラックにて運ばれ来る負傷者多し、負傷せざるもの姿少なし。

夜、家消失せる為泊りに来りし住友支店長岩田夫人達の口より電鉄前附近より彼方は火の海にして、町なかは死屍と瀕死の苦悶者とに満つるといふ。嘗て罹災せる各大都市にも見ざる惨状を聞く。

 

敵は新兵器を使用せり、多分ロケット爆弾ならむなどとの噂つたはりぬ。硝子の破片を極力片付けて応接間に仮眠す。夜迫りてみゆる火焔(部屋の中迄明るむ)や不明確な空襲警報などに度々起さる。

七変化の和名を持つランタナは、春先から咲き続けて師走になってもなお健在である。ただ先に花の寿命を終えた花は次世代への実を確実に付けている。

昨日は太平洋戦争の開戦の日でした。映画「この世界の片隅に」は「こうの史代」原作の作品で、すず(主人公)が戦火の広島・呉の地獄の中をただ直向きに、健気に生きた愛の物語。

圧巻は終戦の玉音放送を聴いたときのすずが見せた心の叫び。怒り。慟哭・・・。なぜここでやめる?だったらなぜ始めた?誰が!?なんのために!?信じていたのに!信じて戦っていたのに!・・・。観終わったあとに多くの観客が気づくはず。

 

すずのように、みんなこの世界の片隅で、自分にとって大切な記憶を抱きしめて生きているのだと。それにより"日常が戦争に勝る"ことに気づかされる。これは名作として語り継がれる作品の一つになるだろう。

                                                         (画像はテレビニュース画面より転載)