エゼキエル18章5~18節、詩篇25篇1~9節、使徒13章32~41節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 18:5 もし、ある人が正しく、正義と恵みの業を行うなら、
 18:6 すなわち、山の上で偶像の供え物を食べず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を犯さず、生理中の女性に近づかず、
 18:7 人を抑圧せず、負債者の質物を返し、力ずくで奪わず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者に衣服を着せ、
 18:8 利息を天引きして金を貸さず、高利を取らず、不正から手を引き、人と人との間を真実に裁き、
 18:9 わたしの掟に従って歩み、わたしの裁きを忠実に守るなら、彼こそ正しい人で、彼は必ず生きる、と主なる神は言われる。
 18:10 彼に生まれた息子が乱暴者で、これらの事の一つでも行う人の血を流し、
 18:11 自分自身はこれらすべての事の一つですら行わず、かえって山の上で偶像の供え物を食べ、隣人の妻を犯し、
 18:12 貧しい者、乏しい者を抑圧し、力ずくで奪い、質物を返さず、偶像を仰ぎ見て忌まわしいことを行い、
 18:13 利息を天引きして金を貸し、高利を取るならば、彼は生きることができようか。彼は生きることはできない。彼はこれらの忌まわしいことをしたのだから、必ず死ぬ。その死の責任は彼にある。
 18:14 ところで、その人にまた息子が生まれ、彼が父の行ったすべての過ちを見て省み、このような事を行わないなら、
 18:15 すなわち、山の上で偶像の供え物を食べず、イスラエルの家の偶像を仰ぎ見ず、隣人の妻を犯さず、
 18:16 人を抑圧せず、質物を取らず、力ずくで奪わず、飢えた者に自分のパンを与え、裸の者に衣服を着せ、
 18:17 貧しい者の抑圧から手を引き、天引きの利息や高利を取らず、わたしの裁きを行い、わたしの掟に従って歩むなら、彼は父の罪のゆえに死ぬことはない。必ず生きる。
 18:18 彼の父は搾取を行い、兄弟のものを力ずくで奪い、自分の民の中で善くない事をしたので、自分の罪のゆえに死んだのである。

詩篇 25:1  ダビデの詩。 主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み
 25:2 わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、わたしが恥を受けることのないように 敵が誇ることのないようにしてください。
 25:3 あなたに望みをおく者はだれも 決して恥を受けることはありません。いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。
 25:4 主よ、あなたの道をわたしに示し あなたに従う道を教えてください。
 25:5 あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。
 25:6 主よ思い起こしてください あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
 25:7 わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず 慈しみ深く、御恵みのために 主よ、わたしを御心に留めてください。
 25:8 主は恵み深く正しくいまし 罪人に道を示してくださいます。
 25:9 裁きをして貧しい人を導き 主の道を貧しい人に教えてくださいます。

使徒 13:32 わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。
 13:33 つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、『あなたはわたしの子、わたしは今日あなたを産んだ』と書いてあるとおりです。
 13:34 また、イエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについては、『わたしは、ダビデに約束した聖なる、確かな祝福をあなたたちに与える』と言っておられます。
 13:35 ですから、ほかの個所にも、『あなたは、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしてはおかれない』と言われています。
 13:36 ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。
 13:37 しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。
 13:38 だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、
 13:39 信じる者は皆、この方によって義とされるのです。
 13:40 それで、預言者の書に言われていることが起こらないように、警戒しなさい。
 13:41 『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。』」

 

 

 

季節がら、先祖に対して思いを寄せることの多いころであろう。

私たちの教会でも、この日曜に、召天者を記念する礼拝が行われる。

通常、全聖徒の日に行われるものであろうけれど、11月はバザーが行われることもあり、この時期に設定されているのだろう。

もちろん、いつの季節であろうと、先祖のことに思いを寄せることは良いことであろう。

ただ、それを行ったからといって先祖が救われるわけでも、我々が救われるわけでもない。

むしろ、全聖徒主日礼拝がそうであるように、すべての人を神が愛し、救おうとされたことを覚え、感謝する日として過ごすべきであろう。

この人も、あの人も、主なる神様は命を懸けて愛し抜かれた。

その大いなる神の愛のゆえに、我々もまた救われている。

我々が先祖のためにできることがあるとするならば、神に愛されている幸いをいつも覚えて生きることであろう。

喜び、感謝し、幸いに生きよう。