エゼキエル12章17~28節、詩篇25篇1~9節、ヤコブ4章11~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エゼキエル 12:17 主の言葉がわたしに臨んだ。
 12:18 「人の子よ、震えながらパンを食べ、恐れ、おびえながら水を飲み、
 12:19 国の民に言いなさい。主なる神は、イスラエルの土地にいるエルサレムの住民に向かってこう言われる。彼らはおびえながらパンを食べ、硬直した様で水を飲むようになる。その地が住民すべての不法のゆえに、地を満たしていたものを失い、荒れ廃れるからである。
 12:20 人の住んでいた町々は荒れ果て、この地は荒廃に帰する。そのとき、お前たちは、わたしが主であることを知るようになる。」
 12:21 また、主の言葉がわたしに臨んだ。
 12:22 「人の子よ、イスラエルの土地について伝えられている、『日々は長引くが、幻はすべて消えうせる』というこのことわざは、お前たちにとって一体何か。
 12:23 それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。『わたしはこのことわざをやめさせる。彼らは再びイスラエルで、このことわざを用いることはない』と。かえって彼らにこう語りなさい。『その日は近く、幻はすべて実現する。』
 12:24 もはや、イスラエルの家には、むなしい幻はひとつもない。気休めの占いもない。
 12:25 なぜなら、主なるわたしが告げる言葉を告げるからであり、それは実現され、もはや、引き延ばされることはない。反逆の家よ、お前たちの生きている時代に、わたしは自分の語ることを実行する、と主なる神は言われる。」
 12:26 主の言葉がわたしに臨んだ。
 12:27 「人の子よ、イスラエルの家は言っているではないか。『彼の見た幻ははるか先の時についてであり、その預言は遠い将来についてである』と。
 12:28 それゆえ、彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしが告げるすべての言葉は、もはや引き延ばされず、実現される、と主なる神は言われる。」

詩篇 25:1  ダビデの詩。 主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み
 25:2 わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、わたしが恥を受けることのないように 敵が誇ることのないようにしてください。
 25:3 あなたに望みをおく者はだれも 決して恥を受けることはありません。いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。
 25:4 主よ、あなたの道をわたしに示し あなたに従う道を教えてください。
 25:5 あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。
 25:6 主よ思い起こしてください あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
 25:7 わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず 慈しみ深く、御恵みのために 主よ、わたしを御心に留めてください。
 25:8 主は恵み深く正しくいまし 罪人に道を示してくださいます。
 25:9 裁きをして貧しい人を導き 主の道を貧しい人に教えてくださいます。

ヤコブ 4:11 兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。
 4:12 律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。
 4:13 よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、
 4:14 あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。
 4:15 むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。
 4:16 ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです。

 

 

兄弟同士で悪口を言ったり、裁いたりすることは、律法を悪く言うことであり、律法をも裁くことであると語られている。

律法とは、神が与えられた言葉である以上、律法を悪く言ったり、律法を裁いたりすることは、神を悪く言い、神を裁く行為に他ならない、ということであろう。

しかし、このようなことが、ごくごく当たり前のように人の間で行われている。

誰もが自分を神として生きている姿そのものであろう。

私たちの人生は、神から与えられた贈り物である。

感謝して生きよう。

誰かの悪口を言ったり、他者を裁いたりばかりしていないで、他者を尊重し、慰め、励まし、共に生きていけるようになることを願う。

それが神の御心なのだから。