ゼファ2章13~15節、詩篇145篇1~8節、マタイ19章23~30節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ゼファニヤ 2:13 主はまたその手を北に向かって伸ばし アッシリアを滅ぼし、ニネベを荒れ地とし 荒れ野のように干上がらせられる。
 2:14 そこには、あらゆる獣が それぞれ群れをなして伏す。ふくろうと山あらしは柱頭に宿り その声は窓にこだまする。杉の板ははがされ、荒廃は敷居に及ぶ。
 2:15 これが、かつてにぎやかであった都だろうか。かつて、人々は安らかに住み、心の中で 「わたしだけだ。わたしのほかにだれもいない」と言っていた。どうして、都は荒れ果て 獣の伏す所となってしまったのか。ここを通り過ぎる者は皆 驚きのあまり、口笛を吹き、手を横に振る。

詩篇 145:1  賛美。ダビデの詩。 わたしの王、神よ、あなたをあがめ 世々限りなく御名をたたえます。
 145:2 絶えることなくあなたをたたえ 世々限りなく御名を賛美します。
 145:3 大いなる主、限りなく賛美される主 大きな御業は究めることもできません。
 145:4 人々が、代々に御業をほめたたえ 力強い御業を告げ知らせますように。
 145:5 あなたの輝き、栄光と威光 驚くべき御業の数々をわたしは歌います。
 145:6 人々が恐るべき御力について語りますように。大きな御業をわたしは数え上げます。
 145:7 人々が深い御恵みを語り継いで記念とし 救いの御業を喜び歌いますように。
 145:8 主は恵みに富み、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに満ちておられます。

マタイ 19:23 イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。
 19:24 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
 19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。
 19:26 イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。
 19:27 すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」
 19:28 イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。
 19:29 わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
 19:30 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

 

 

イエス様は、金持ちが天の国に入ることは難しいと仰せられ、直前の箇所では、金持ちの青年に持ち物をすべて売って貧しい者たちに施すように命じられたことが語られている。

しかしこれは、この青年が金銭に執着し、金さえあれば幸せになると考えていたことに対し、いくらお金を持っていても、それらの富によっては、永遠の命を買い取ることはできないのだということを教えるために、このように語られているのであろう。

だから、弟子たちに対しても、家や家族、所有する財産など、何もかも捨てて従ってきたことよりも、それらに執着し、神を見失うことのないようにすべきであることを教えようとされているのであろう。

なぜなら、私たちは神によって救われたものとして、この世において、神と人とに仕えていくことが求められているからであり、すべての人も物も見捨ててしまえば、もはや、私たちがこの世界に生きる意味が無くなってしまうからである。

イエス様が語られていることは、それらに執着し、それらを持つことによって救われるのではないということを教えるものであり、決して、それらとの関係を一切捨て去らなければならないということではないだろう。

むしろ、自分の手で握りしめ、自分でこれらをなんとかしようとする思いを捨て、すべてを神に委ね、神のものとなるように心がけていくことが大切なのだろう。

自分の家も家族も財産も、もともとは神から託されたものであり、私自身の所有物ではない。

家族にも意思があり、人格がある。

だから、可能な限り彼らの意思を尊重し、そして、あとのことは神にお委ねしていく。

そのような接し方ができれば良いと思う。

手放す、とはそういうことなのだろう。