士師記6章36~40節、詩篇114篇、1コリント15章12~20節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

士師記 6:36 ギデオンは神にこう言った。「もしお告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっているなら、
 6:37 羊一匹分の毛を麦打ち場に置きますから、その羊の毛にだけ露を置き、土は全く乾いているようにしてください。そうすれば、お告げになったように、わたしの手によってイスラエルを救おうとなさっていることが納得できます。」
 6:38 すると、そのようになった。翌朝早く起き、彼が羊の毛を押さえて、その羊の毛から露を絞り出すと、鉢は水でいっぱいになった。
 6:39 ギデオンはまた神に言った。「どうかお怒りにならず、もう一度言わせてください。もう一度だけ羊の毛で試すのを許し、羊の毛だけが乾いていて、土には一面露が置かれているようにしてください。」
 6:40 その夜、神はそのようにされた。羊の毛だけは乾いており、土には一面露が置かれていた。

 

詩篇 114:1 イスラエルはエジプトを ヤコブの家は異なる言葉の民のもとを去り
 114:2 ユダは神の聖なるもの イスラエルは神が治められるものとなった。
 114:3 海は見て、逃げ去った。ヨルダンの流れは退いた。
 114:4 山々は雄羊のように 丘は群れの羊のように踊った。
 114:5 どうしたのか、海よ、逃げ去るとは ヨルダンの流れよ、退くとは
 114:6 山々よ、雄羊のように 丘よ、群れの羊のように踊るとは。
 114:7 地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に ヤコブの神の御前に
 114:8 岩を水のみなぎるところとし 硬い岩を水の溢れる泉とする方の御前に。

 

1コリント 15:12 キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。
 15:13 死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。
 15:14 そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。
 15:15 更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。
 15:16 死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。
 15:17 そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。
 15:18 そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。
 15:19 この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。
 15:20 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。

 

 

 

聖書に用いられている言語では、「よみがえる」という言葉は「起きる」「起き上がる」といった意味にも用いられる言葉なのだそうである。

もちろん、全く同じ意味というわけではないが、朝目が覚めて起きることは、新しい一日を迎え、そこで生きることであるということを思い起こさせてくれる。

眠っている時間は、死んでいるようであるとまでは言わなくても、意識もなく、体もほとんど動いていない。

もしそのような状態から目を覚ますことなく、起きてこないとしたら、なんとも絶望的なことであろうか。

新しい朝を迎えることができたことは感謝なことであるし、新しい一日を生きることができることは幸いなことである。

死も、それで終わり、よみがえることなどないのだとしたら、なんと虚しいことであろう。

死を打ち破り、新しい命によみがえることができるからこそ、今生きていることにも意味がある。

そんな新しい命の約束に信頼し、明日を迎えることに喜びと感謝を抱きつつ、今日を生きていこう。