出エジプト記 6:2 神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。
6:3 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。
6:4 わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。
6:5 わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。
6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。
6:7 そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であり、あなたたちをエジプトの重労働の下から導き出すことを知る。
6:8 わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を上げて誓った土地にあなたたちを導き入れ、その地をあなたたちの所有として与える。わたしは主である。」
6:9 モーセは、そのとおりイスラエルの人々に語ったが、彼らは厳しい重労働のため意欲を失って、モーセの言うことを聞こうとはしなかった。
詩篇 2:1 なにゆえ、国々は騒ぎ立ち 人々はむなしく声をあげるのか。
2:2 なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して 主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか
2:3 「我らは、枷をはずし 縄を切って投げ捨てよう」と。
2:4 天を王座とする方は笑い 主は彼らを嘲り
2:5 憤って、恐怖に落とし 怒って、彼らに宣言される。
2:6 「聖なる山シオンで わたしは自ら、王を即位させた。」
2:7 主の定められたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子 今日、わたしはお前を生んだ。
2:8 求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし 地の果てまで、お前の領土とする。
2:9 お前は鉄の杖で彼らを打ち 陶工が器を砕くように砕く。」
2:10 すべての王よ、今や目覚めよ。地を治める者よ、諭しを受けよ。
2:11 畏れ敬って、主に仕え おののきつつ、喜び躍れ。
2:12 子に口づけせよ 主の憤りを招き、道を失うことのないように。主の怒りはまたたくまに燃え上がる。いかに幸いなことか 主を避けどころとする人はすべて。
ヘブル 8:1 今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、
8:2 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。
8:3 すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。
8:4 もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。
8:5 この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。
8:6 しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。
8:7 もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
イエス様は一般の祭司や、あるいは大祭司とも異なり、自分自身の罪のためにいけにえを捧げて清める必要はなく、それゆえ、永遠に滅びることもないお方である。
いざば、いつでも「生きている」お方である、ということであろう。
もっと言えば、ご自身の命はもちろんのこと、あらゆるものを造り、あらゆるものに命をお与えになることのできるお方である。
それについては、主なる神様がモーセに現れた時、御自分の名を「わたしはある」というものであると仰せられたことや、ヨハネ8章の箇所などにおいて、イエス様自身も御自分のことについて「わたしはある」というものであると仰せられていることに注目すべきであろう。
「わたしはある」とは、あらゆる存在を創り出すことのできるお方であるということを示し、同時に、ご自身はご自身の力によって自ら存在しているお方である、ということを示している。
人間を含め、あらゆる生き物は、命を与えられて生きている。
自分一人で自らの命を生み出すことのできる生き物は存在しない。
あらゆる命あるものは、神が創造されたものである。
イエス様は、そのような存在するものを存在させることのできる力をもって、私たちの(存在の)ためにとりなしてくださる。
しかも、イエス様自らの命の代価を支払ってまで、永遠の命にあずかるものとして頂いたのである。
なんと畏れ多く、感謝なことであろう。