箴言6章6~23節、詩篇119篇105~112節、ヨハネ8章12~30節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 6:6 怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。
 6:7 蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが
 6:8 夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。
 6:9 怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるのか。
 6:10 しばらく眠り、しばらくまどろみ しばらく手をこまぬいて、また横になる。
 6:11 貧乏は盗賊のように 欠乏は盾を持つ者のように襲う。
 6:12 ならず者、悪を行う者、曲がったことを言い歩く者
 6:13 目くばせし、足で合図し、指さす者
 6:14 心に暴言を隠し、悪を耕し 絶えずいさかいを起こさせる者
 6:15 このような者には、突然、災いが襲いかかり たちまち痛手を負うが、彼を癒す者はない。
 6:16 主の憎まれるものが六つある。心からいとわれるものが七つある。
 6:17 驕り高ぶる目、うそをつく舌 罪もない人の血を流す手
 6:18 悪だくみを耕す心、悪事へと急いで走る足
 6:19 欺いて発言する者、うそをつく証人 兄弟の間にいさかいを起こさせる者。
 6:20 わが子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな。
 6:21 それをいつもあなたの心に結びつけ 首に巻きつけよ。
 6:22 それはあなたの歩みを導き あなたが横たわるとき見守り 目覚めればあなたに話しかける。
 6:23 戒めは灯、教えは光。懲らしめや諭しは命の道。

詩篇 119:105 あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。
 119:106 わたしは誓ったことを果たします。あなたの正しい裁きを守ります。
 119:107 わたしは甚だしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり 命を得させてください。
 119:108 わたしの口が進んでささげる祈りを 主よ、どうか受け入れ あなたの裁きを教えてください。
 119:109 わたしの魂は常にわたしの手に置かれています。それでも、あなたの律法を決して忘れません。
 119:110 主に逆らう者がわたしに罠を仕掛けています。それでも、わたしはあなたの命令からそれません。
 119:111 あなたの定めはとこしえにわたしの嗣業です。それはわたしの心の喜びです。
 119:112 あなたの掟を行うことに心を傾け わたしはとこしえに従って行きます。

ヨハネ 8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
 8:13 それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」
 8:14 イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
 8:15 あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。
 8:16 しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。
 8:17 あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。
 8:18 わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」
 8:19 彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」
 8:20 イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。
 8:21 そこで、イエスはまた言われた。「わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。」
 8:22 ユダヤ人たちが、「『わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない』と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか」と話していると、
 8:23 イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。
 8:24 だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」
 8:25 彼らが、「あなたは、いったい、どなたですか」と言うと、イエスは言われた。「それは初めから話しているではないか。
 8:26 あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。」
 8:27 彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。
 8:28 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。
 8:29 わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしは、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。」
 8:30 これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。

 

 

イエス様は、かつて主なる神様がモーセに現れた時に仰せられた「わたしはある」という者であるとの言葉を用いて、御自分がそのお方であられるということを語っておられる。

つまり、それは、旧約聖書に記されている神と御自分は同じ神であり、その方がイエス様を遣わし、世にそのお姿を現わされているのだということを語っておられると言えよう。

それゆえ、イエス様は、御自分が語られている事や、行っている業は、全て、旧約聖書に記されている全能の父なる神がなさっているのと同じであり、イエス様の言葉と行いは、真の神のものであるということである。

そしてイエス様は、御自分の命を十字架にささげて、信じる全ての人を救うために来られたお方である。

命をかけた真実な救いの約束を、文字通り行うために人としてこの世に現れたのである。

もしイエス様が神ではないのだとしたら、これほど無意味なことはないだろう。

わざわざ当時のイスラエルの人たちの反感を買ってまで、自分が殺されるようなことをする必要はない。

けれども、イエス様は真実な救いの約束を果たすために、あえて、御自分のなすべき使命を全うしていかれたのである。

「わたしは『あなたの救い主』である」ことを真実に示すために。