列王記上3章5~12節、詩篇20篇、よはね8章12~19節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

列王記上 3:5 その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われた。
 3:6 ソロモンは答えた。「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。
 3:7 わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。
 3:8 僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。
 3:9 どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」
 3:10 主はソロモンのこの願いをお喜びになった。
 3:11 神はこう言われた。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。
 3:12 見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。
 3:13 わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない。
 3:14 もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」

詩篇 20:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
 20:2 苦難の日に主があなたに答え ヤコブの神の御名があなたを高く上げ
 20:3 聖所から助けを遣わし シオンからあなたを支えてくださるように。
 20:4 あなたの供え物をことごとく心に留め あなたのささげるいけにえを快く受け入れ
 20:5 あなたの心の願いをかなえ あなたの計らいを実現させてくださるように。
 20:6 我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ 我らの神の御名によって 旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを すべて実現させてくださるように。
 20:7 今、わたしは知った 主は油注がれた方に勝利を授け 聖なる天から彼に答えて 右の御手による救いの力を示されることを。
 20:8 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが 我らは、我らの神、主の御名を唱える。
 20:9 彼らは力を失って倒れるが 我らは力に満ちて立ち上がる。
 20:10 主よ、王に勝利を与え 呼び求める我らに答えてください。

ヨハネ 8:12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
 8:13 それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」
 8:14 イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。
 8:15 あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。
 8:16 しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。
 8:17 あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。
 8:18 わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」
 8:19 彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」
 8:20 イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。

 

 

 

ソロモンは、自分のために長寿や富を求めるのではなく、民を治めるための知恵を神に求め、それが神に喜ばれ、彼は知恵者となり、結果的に長寿や富、栄光までも得ることとなっていった。

自分も若いころは、そうありたいと思っていた。

しかし、歳を重ねていくうちに、そういった純粋さは、だんだんと弱くなり、そうは言ってもある程度の富や健康も備えていなければ、周りの人に迷惑をかけることになるし、自分でできることくらいは、ある程度の備えとかも考えておく必要があるのではないかと思うようになった。

自分のためだけに長寿や富を求めることは別として、それらを何のために用いていくかがしっかりしているのなら、決して悪いことでもないのだろう。

誰かを助けていくために健康や富を持っていれば、それはそれで幸いなこととなるのだろう。

どれだけ多くの富を持ち、長寿を全うしたとしても、自分のことだけ考えて、自分の楽しみだけを求めて生きるのなら、そのような人生は空しいだけであろう。

他人との関わりを持ちながら、可能な範囲で他人の助けとなるような人生を歩むことができれば、それが何よりである。