イザヤ52章7~10節、ヘブル1章1~4節、ヨハネ1章1~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 52:7 いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ あなたの神は王となられた、と シオンに向かって呼ばわる。
 52:8 その声に、あなたの見張りは声をあげ 皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る 主がシオンに帰られるのを。
 52:9 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。
 52:10 主は聖なる御腕の力を 国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が わたしたちの神の救いを仰ぐ。

ヘブル 1:1 神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、
 1:2 この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。
 1:3 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。
 1:4 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。

ヨハネ 1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
 1:2 この言は、初めに神と共にあった。
 1:3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
 1:4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
 1:5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 1:6 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。
 1:7 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。
 1:8 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
 1:9 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
 1:10 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。
 1:11 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。
 1:12 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。
 1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 1:14 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

 

 

主なる神様は、恵みの良い知らせを伝え、救いの約束を告げるために、御自分の御子イエス様をこの世界に人としてお送りくださった。

それは、まさに、神さまが約束された救いの言葉そのままを体現するものであり、私たちを愛し救いたいという神様の御心が現実のものとなったことを現していると言えよう。

聖書が語る福音の言葉とは、このように、言葉が現実となったことによって、その言葉自体が真実であることを示し、それゆえ、神は絶対に約束されたことを守られるお方であられるということを教えるものでもある。

だから、私たちは、安心して神が約束された救いの言葉に信頼していていいし、十字架で死なれたイエス様の姿を見上げるならば、このお方がどれだけ私たちを愛して下さっているかということを知る事ができるだろう。

神様は、御自分の命を捨ててまで、私たちを愛して下さっている。

これが全てであるし、この一事に信頼し、平安のうちに歩ませていただきたいものである。