イザヤ9章1~6節、詩篇96篇、テトス2章11~14節、ルカ2章1~14節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
 9:2 あなたは深い喜びと 大きな楽しみをお与えになり 人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように 戦利品を分け合って楽しむように。
 9:3 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を あなたはミディアンの日のように 折ってくださった。
 9:4 地を踏み鳴らした兵士の靴 血にまみれた軍服はことごとく 火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
 9:5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君」と唱えられる。
 9:6 ダビデの王座とその王国に権威は増し 平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって 今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

詩篇 96:1 新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。
 96:2 主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
 96:3 国々に主の栄光を語り伝えよ 諸国の民にその驚くべき御業を。
 96:4 大いなる主、大いに賛美される主 神々を超えて、最も畏るべき方。
 96:5 諸国の民の神々はすべてむなしい。主は天を造られ
 96:6 御前には栄光と輝きがあり 聖所には力と光輝がある。
 96:7 諸国の民よ、こぞって主に帰せよ 栄光と力を主に帰せよ。
 96:8 御名の栄光を主に帰せよ。供え物を携えて神の庭に入り
 96:9 聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。全地よ、御前におののけ。
 96:10 国々にふれて言え、主こそ王と。世界は固く据えられ、決して揺らぐことがない。主は諸国の民を公平に裁かれる。
 96:11 天よ、喜び祝え、地よ、喜び躍れ 海とそこに満ちるものよ、とどろけ
 96:12 野とそこにあるすべてのものよ、喜び勇め 森の木々よ、共に喜び歌え
 96:13 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために来られる。主は世界を正しく裁き 真実をもって諸国の民を裁かれる。

テトス 2:11 実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。
 2:12 その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、
 2:13 また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。
 2:14 キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。

ルカ 2:1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
 2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
 2:3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
 2:4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
 2:5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
 2:6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
 2:7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
 2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
 2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
 2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
 2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
 2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
 2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

 

 

この世に生きる全ての人は、どんなに幸いな人生を送っているように見えても、きっと心のどこかに闇を抱えているのだろう。

他人には見せなくても、きっと誰もが悩み、怯え、恐れおののいているのだろう。

しかし、救いは神の恵みと憐れみによってもたらされるということを知った時、それらの闇に光が照らされる。

自分には何ら救われる資格も能力もないとしても、神ご自身が愛と憐れみのお方であり、御子イエス様の命をお与えになったほどに私たちを愛し、救おうとして下さった神の愛の御業のゆえに私たちは救われる。

このような救いの約束こそが素晴らしい恵みであり、だからこそ、そこにまことの栄光があると言えるのである。

神の現わされる栄光とは、単にそれが素晴らしい御業であるというだけでなく、闇の中に歩んでいるような私たちにまことの光を照らして下さるからこそ、栄光と言えるのであろう。

この栄光がまぶしければまぶしいほど、闇はもはや闇ではなくなる。

恐れも、不安も、悩みも、煩いも、みなこの救い主のもとで神の栄光に照らされて、まるで何も無かったかのように晴れやかなものとして頂けるのである。

 

今日はその救い主イエス様の誕生を喜び祝うクリスマス。

主の栄光が全ての人の上に照らされますように。