詩篇148篇、使徒7章59節~8章8節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

詩篇 148:1 ハレルヤ。天において主を賛美せよ。高い天で主を賛美せよ。
 148:2 御使いらよ、こぞって主を賛美せよ。主の万軍よ、こぞって主を賛美せよ。
 148:3 日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ。
 148:4 天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
 148:5 主の御名を賛美せよ。主は命じられ、すべてのものは創造された。
 148:6 主はそれらを世々限りなく立て 越ええない掟を与えられた。
 148:7 地において主を賛美せよ。海に住む竜よ、深淵よ
 148:8 火よ、雹よ、雪よ、霧よ 御言葉を成し遂げる嵐よ
 148:9 山々よ、すべての丘よ 実を結ぶ木よ、杉の林よ
 148:10 野の獣よ、すべての家畜よ 地を這うものよ、翼ある鳥よ
 148:11 地上の王よ、諸国の民よ 君主よ、地上の支配者よ
 148:12 若者よ、おとめよ 老人よ、幼子よ。
 148:13 主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く 威光は天地に満ちている。
 148:14 主は御自分の民の角を高く上げてくださる。それは主の慈しみに生きるすべての人の栄誉。主に近くある民、イスラエルの子らよ。ハレルヤ。

使徒 7:59 人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
 7:60 それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。 
 8:1 サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。
 8:1 その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。
 8:2 しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。
 8:3 一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。
 8:4 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。
 8:5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
 8:6 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。
 8:7 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。
 8:8 町の人々は大変喜んだ。

 

 

後に偉大な伝道者となっていったパウロは、ステファノの殺害に賛成していたし、多くのクリスチャンらを迫害していたことも後に自ら告白している。

自分と意見が合わなかったり、思想、信条、信念が異なる人たちに対して、なぜ人は平気で攻撃したり、殺したりしてしまうのだろう。

なんとも恐ろしい生き物である。

もちろん、他の動物たちだって、他者を攻撃し、命を奪う事もあるだろう。

けれど、同じ人間同士が争い、殺し合うなんて、愚かの極みではないだろうか。

もちろん、全ての人がそうではないだろう。

ステファノは自分を迫害する者のためにとりなしの祈りをしながら息絶えていった。

その姿はイエス様に通じるものがあるし、他者を思いやる心を持って生きることは、本来の人間のあるべき姿といえるのかもしれないし、私たちもそうでありたい。

自分と意見が合わなかったり、考えが違っていたりするだけで、すぐに怒ったり、批判したりしないで、相手にも思いや考えがあるということを、その人も同じ人間として生きているのだということを、まずは尊重するところから始めたい。

無理に認めなくても良いし、考え方が合わない人と無理に一緒に行動することもない。

ただ、その人の存在や尊厳も、イエス様が命掛けで救おうとされた命であるのなら、大切にしてあげられるように努めて行きたいものである。