サムエル記上2章1~8節、詩篇146篇5~10節、ルカ3章1~18節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

サムエル記上 2:1 ハンナは祈って言った。「主にあってわたしの心は喜び 主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き 御救いを喜び祝う。
 2:2 聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。
 2:3 驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神 人の行いが正されずに済むであろうか。
 2:4 勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。
 2:5 食べ飽きている者はパンのために雇われ 飢えている者は再び飢えることがない。子のない女は七人の子を産み 多くの子をもつ女は衰える。
 2:6 主は命を絶ち、また命を与え 陰府に下し、また引き上げてくださる。
 2:7 主は貧しくし、また富ませ 低くし、また高めてくださる。
 2:8 弱い者を塵の中から立ち上がらせ 貧しい者を芥の中から高く上げ 高貴な者と共に座に着かせ 栄光の座を嗣業としてお与えになる。大地のもろもろの柱は主のもの 主は世界をそれらの上に据えられた。

詩篇 146:5 いかに幸いなことか ヤコブの神を助けと頼み 主なるその神を待ち望む人
 146:6 天地を造り 海とその中にあるすべてのものを造られた神を。とこしえにまことを守られる主は
 146:7 虐げられている人のために裁きをし 飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
 146:8 主は見えない人の目を開き 主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し
 146:9 主は寄留の民を守り みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
 146:10 主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。

ルカ 3:1 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、
 3:2 アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。
 3:3 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
 3:4 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。
 3:5 谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、
 3:6 人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
 3:7 そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。
 3:8 悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
 3:9 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」
 3:10 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
 3:11 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。
 3:12 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。
 3:13 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
 3:14 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
 3:15 民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
 3:16 そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。
 3:17 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」
 3:18 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

 

 

 

神がいるのなら、なぜこの世界には戦争や様々な悪がはびこるのかと言う人がいる。

この世界に様々な悪いことが起こるのは、そこに人間がいるから、であり、罪深い人間が生きているために、戦争や様々な悪が生じているのである。

しかし、だからこそ人間の生きる世界には神が必要なのだ。

神が必要というより、神の御心を知り、それに従って生きていくことが必要なのである。

他人が持っているものをうらやみ、力を駆使しても奪い合おうとするとき、そこには必ず争いや悪の業が生じていく。

バプテスマのヨハネは、多く持っているものは、持っていない人に分け与え、それぞれ自分が持っているもので満足するようにと、非常に簡単な言葉で神の教えを説いている。

人が生きていく上で欲望をコントロールするのは非常に難しいことであるが、少なくともそれだけを気を付けていれば、随分と多くの悪の業を減らしていくこともできるだろう。

生きていくことさえ困難なほどに貧しいのは辛いけれど、人生はそもそも与えられたものである。

与えられたものの中で工夫しながら生きていけたら良いし、極度に貧しい人が出ないよう、ほんの少しずつでも助け合っていけたらいい。

そんな世界になればいい。

一人一人が笑顔でいられるような幸いな世界となっていけるよう、一人一人が神のみ言葉に耳を傾け、神の御心に適う生き方を選んでいきたいものである。