ヨブ20章1~11節、詩篇123篇、2ペテロ1章16~21節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨブ 20:1 ナアマ人ツォファルは答えた。
 20:2 さまざまな思いがわたしを興奮させるので わたしは反論せざるをえない。
 20:3 あなたの説はわたしに対する非難と聞こえる。明らかにすることを望んで、答えよう。
 20:4 あなたも知っているだろうが 昔、人が地上に置かれたときから
 20:5 神に逆らう者の喜びは、はかなく 神を無視する者の楽しみは、つかの間にすぎない。
 20:6 たとえ彼が天に達するほど 頭が雲に達するほど上って行っても
 20:7 自分の汚物と同様、永久に失われ 探す者は、「どこへ行ってしまったのか」と言わなければならなくなる。
 20:8 夢のように飛び去り 夜の幻のように消えうせ だれも見いだすことはないだろう。
 20:9 彼を見ていた目はもう彼を見ることなく 彼のいた所も二度と彼を見ない。
 20:10 その子らは貧しい人々に償いをし 子孫は奪った富を返済しなければならない。
 20:11 若さがその骨に溢れていたが それも彼と共に塵の上に伏すことになろう。

詩篇 123:1  都に上る歌。 目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます 天にいます方よ。
 123:2 御覧ください、僕が主人の手に目を注ぎ はしためが女主人の手に目を注ぐように わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ 憐れみを待ちます。
 123:3 わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでください。わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。
 123:4 平然と生きる者らの嘲笑に 傲然と生きる者らの侮りに わたしたちの魂はあまりにも飽かされています。

2ペテロ 1:16 わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。
 1:17 荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。
 1:18 わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。
 1:19 こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。
 1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。
 1:21 なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。

 

 

 

ペテロは、主イエス様が山の上で栄光のお姿を現わされた時、そばにいてその光景を目撃したが、あまりの出来事に動揺し、何を言っていいのか分からず、イエス様とモーセとエリヤのために幕屋を三つ建てようと口走っている。

しかし、その後、イエス様の十字架の出来事や復活されたイエス様にお出会いし、あとになって、その時の出来事の意味やイエス様がどなたであられたかと言った事を悟ることとなっていったのであろう。

その時には分からなくても、あとになってわかることもある。

だから、今は分からないことも、全て理解しなくても、ひとまず心にとめて置き、時が来れば全て理解する時がくるだろうと思っていれば良いのだろう。

神様の時が来れば、全てのことは明らかとなる。

それまでは、語られている御言葉を、そのまま受け止め、心に携えながら歩んで行けば良い。

その時を楽しみに待ち望みつつ、今を生きて行こう。