出エジプト3章13~20節、詩篇17篇1~9節、ルカ20章1~8節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト 3:13 モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」
 3:14 神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
 3:15 神は、更に続けてモーセに命じられた。「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣わされた。これこそ、とこしえにわたしの名 これこそ、世々にわたしの呼び名。
 3:16 さあ、行って、イスラエルの長老たちを集め、言うがよい。『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主がわたしに現れて、こう言われた。わたしはあなたたちを顧み、あなたたちがエジプトで受けてきた仕打ちをつぶさに見た。
 3:17 あなたたちを苦しみのエジプトから、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む乳と蜜の流れる土地へ導き上ろうと決心した』と。
 3:18 彼らはあなたの言葉に従うであろう。あなたはイスラエルの長老たちを伴い、エジプト王のもとに行って彼に言いなさい。『ヘブライ人の神、主がわたしたちに出現されました。どうか、今、三日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。』
 3:19 しかしわたしは、強い手を用いなければ、エジプト王が行かせないことを知っている。
 3:20 わたしは自ら手を下しあらゆる驚くべき業をエジプトの中で行い、これを打つ。その後初めて、王はあなたたちを去らせるであろう。

詩篇 17:1  祈り。ダビデの詩。 主よ、正しい訴えを聞き わたしの叫びに耳を傾け 祈りに耳を向けてください。わたしの唇に欺きはありません。
 17:2 御前からわたしのために裁きを送り出し あなた御自身の目をもって公平に御覧ください。
 17:3 -4あなたはわたしの心を調べ、夜なお尋ね 火をもってわたしを試されますが 汚れた思いは何ひとつ御覧にならないでしょう。わたしの口は人の習いに従うことなく あなたの唇の言葉を守ります。暴力の道を避けて
 17:5 あなたの道をたどり 一歩一歩、揺らぐことなく進みます。
 17:6 あなたを呼び求めます 神よ、わたしに答えてください。わたしに耳を向け、この訴えを聞いてください。
 17:7 慈しみの御業を示してください。あなたを避けどころとする人を 立ち向かう者から 右の御手をもって救ってください。
 17:8 瞳のようにわたしを守り あなたの翼の陰に隠してください。
 17:9 あなたに逆らう者がわたしを虐げ 貪欲な敵がわたしを包囲しています。

ルカ 20:1 ある日、イエスが神殿の境内で民衆に教え、福音を告げ知らせておられると、祭司長や律法学者たちが、長老たちと一緒に近づいて来て、
 20:2 言った。「我々に言いなさい。何の権威でこのようなことをしているのか。その権威を与えたのはだれか。」
 20:3 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねるから、それに答えなさい。
 20:4 ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」
 20:5 彼らは相談した。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と言うだろう。
 20:6 『人からのものだ』と言えば、民衆はこぞって我々を石で殺すだろう。ヨハネを預言者だと信じ込んでいるのだから。」
 20:7 そこで彼らは、「どこからか、分からない」と答えた。
 20:8 すると、イエスは言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」

 

 

イエス様は、神の御心を知らせるために神から遣わされた預言者のようであるが、他の預言者らと違い、自らその命を捧げることによって救いの御業を成し遂げられた救い主メシアでもあられる。

そして、その捧げられた命は、神ご自身の命であるがゆえに、イエス様の成し遂げられた救いの御業は、全ての人を救う事ができる完全なものであり、永遠の救いの約束と言えるのである。

だから、イエス様の持っておられる権威は、他の預言者たちとは全くことなり、唯一の神のみが持っておられる権威であるということである。

そんな偉大で神々しいお方が、なんと、こんなちっぽけな私の救いのために十字架で死んで下さり、よみがえられ、私のような者にも永遠の救いと命の約束を喜んでお与え下さるというのである。

なんとももったいなく、ありがたいことであろう。

こんな素晴らしい救いの約束を受け取らない理由はないし、そうする以外に私を救う事のできるものなど他にはない、

生きていれば、もちろん、いろいろと困難なこともあろう。

けれども、これほどの大きな救いの約束を頂いていれば、どうにかしてでも生きていようと思えるだろう。

イエス様の十字架の贖いと復活による救いの約束を頂いて、み言葉と共に生けるまことの神が共にいて下さることを信じ、今の時を生きていこう。