列王記下 5:15 彼は随員全員を連れて神の人のところに引き返し、その前に来て立った。「イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。今この僕からの贈り物をお受け取りください。」
5:16 神の人は、「わたしの仕えている主は生きておられる。わたしは受け取らない」と辞退した。ナアマンは彼に強いて受け取らせようとしたが、彼は断った。
5:17 ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。
5:18 ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように。」
5:19 エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。
詩篇 61:1 指揮者によって。伴奏付き。ダビデの詩。
61:2 神よ、わたしの叫びを聞き わたしの祈りに耳を傾けてください。
61:3 心が挫けるとき 地の果てからあなたを呼びます。高くそびえる岩山の上に わたしを導いてください。
61:4 あなたは常にわたしの避けどころ 敵に対する力強い塔となってくださいます。
61:5 あなたの幕屋にわたしはとこしえに宿り あなたの翼を避けどころとして隠れます。
61:6 神よ、あなたは必ずわたしの誓願を聞き取り 御名を畏れる人に 継ぐべきものをお与えになります。
61:7 王の日々になお日々を加え その年月を代々に永らえさせてください。
61:8 王が神の前にあってとこしえの王座につき 慈しみとまことに守られますように。
61:9 わたしは永遠にあなたの御名をほめ歌い 日ごとに満願の献げ物をささげます。
使徒 26:24 パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」
26:25 パウロは言った。「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。
26:26 王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。
26:27 アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
26:28 アグリッパはパウロに言った。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」
26:29 パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」
エリシャのもとへ出向き、病気を癒してもらったナアマンは、感謝のしるしとしてエリシャに贈り物を捧げようとしたが断られ、せめてその土地の土だけでも持ち帰りたいと申し出て、ナアマンは土を持ち帰るのである。
まるで試合で負けた高校球児たちが、出場の記念に聖地甲子園の土を持ち帰るかのような記述であるが、おそらく、ナアマンは、この土を自分の家に敷き、そこにひれ伏して真の神を礼拝しようとしたのであろう。
遠く離れていても、心はそこにあることを示すためにも、たとえ母国において偶像の神々を礼拝することを強いられることがあっても、自分の心は常にエリシャのもとにあり、エリシャが信じている真の神に向いていることを示すものであろう。
心の問題なのだから、本来なら、土とか石とか持ち帰らなくてもいいのだけれど、それによって自分の信仰を保とうとしているのなら、それはそれで悪いことではない。
ただ、それが無ければ礼拝ができないとか、信仰を保つことができないというようようでは、それ自体が偶像化しかねないため、ある程度注意は必要であろう。
どこにいても、どんなスタイルであろうと、真の神を真の救い主として礼拝することはできる。
大切なことは、真の神の救いの約束の言葉が語られること。
これからも、聖書のみ言葉だけは大切に携えていきたいものである。
ヤコブ1:21 だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。