民数記12章1~15節、詩篇111篇、ルカ5章12~16節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

民数記 12:1 ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難し、「モーセはクシュの女を妻にしている」と言った。
 12:2 彼らは更に言った。「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか。」主はこれを聞かれた。
 12:3 モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。
 12:4 主は直ちにモーセとアロンとミリアムに言われた。「あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。」彼ら三人はそこに出た。
 12:5 主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、「アロン、ミリアム」と呼ばれた。二人が進み出ると、
 12:6 主はこう言われた。「聞け、わたしの言葉を。あなたたちの間に預言者がいれば 主なるわたしは幻によって自らを示し 夢によって彼に語る。
 12:7 わたしの僕モーセはそうではない。彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。
 12:8 口から口へ、わたしは彼と語り合う あらわに、謎によらずに。主の姿を彼は仰ぎ見る。あなたたちは何故、畏れもせず わたしの僕モーセを非難するのか。」
 12:9 主は、彼らに対して憤り、去って行かれ、
 12:10 雲は幕屋を離れた。そのとき、見よ、ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなっていた。アロンはミリアムの方を振り向いた。見よ、彼女は重い皮膚病にかかっていた。
 12:11 アロンはモーセに言った。「わが主よ。どうか、わたしたちが愚かにも犯した罪の罰をわたしたちに負わせないでください。
 12:12 どうか、彼女を、肉が半ば腐って母の胎から出て来た死者のようにしないでください。」
 12:13 モーセは主に助けを求めて叫んだ。「神よ、どうか彼女をいやしてください。」
 12:14 しかし主は、モーセに言われた。「父親が彼女の顔に唾したとしても、彼女は七日の間恥じて身を慎むではないか。ミリアムを七日の間宿営の外に隔離しなさい。その後、彼女は宿営に戻ることができる。」
 12:15 ミリアムは宿営の外に七日の間隔離された。民は、彼女が戻るまで出発しなかった。

詩篇 111:1 ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる 正しい人々の集い、会衆の中で。
 111:2 主の御業は大きく それを愛する人は皆、それを尋ね求める。
 111:3 主の成し遂げられることは栄え輝き 恵みの御業は永遠に続く。
 111:4 主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み
 111:5 主を畏れる人に糧を与え 契約をとこしえに御心に留め
 111:6 御業の力を御自分の民に示し 諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる。
 111:7 御手の業はまことの裁き 主の命令はすべて真実
 111:8 世々限りなく堅固に まことをもって、まっすぐに行われる。
 111:9 主は御自分の民に贖いを送り 契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。
 111:10 主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。

ルカ 5:12 イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。
 5:13 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。
 5:14 イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」
 5:15 しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。
 5:16 だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。

 

 

 

重い皮膚病に関しては、レビ記14章に細かい規定が記されており、イエス様もその記述に従って、祭司の所に行って見てもらうように命じている。

しかし、レビ記の記述を見ると、祭司はただ皮膚病であるかどうかを判定するだけで、皮膚病でなかった場合は「清い」と宣言するだけで、祭司が病を癒すわけではない。

しかし、ルカの記述では、イエス様が先にこの人の皮膚病を癒し、その後で祭司のところへ行って見てもらい「清い」という判定をしてもらうように命じているのである。

そして、癒してもらった感謝の捧げものを捧げよ、と言われているのである。

この記述を見れば、イエス様が祭司以上のお方であるということが一目瞭然であるし、病を癒すことができるお方は、真の救い主なるイエス様を置いて他にはいない、ということなのだろう。

実は、どんな優れた医者でも、医者自身が病を癒すわけではなく、病気の判断をしたり、対処方法を教えてくれたりするだけであり、いわば、現代の医者も祭司のようなものと言えるだろう。

もちろん、全ての医療行為に意味がない、というわけではないし、素人判断で処置を行ったりすることは危険なことであろう。

ただ、病を癒されるのは神のみであられる、ということは覚えておきたい。

そして、癒された時には、癒し主なる神に感謝をしたい。

ただ、その背後にあって、イエス様が全てを引き受けておられることは忘れないでおきたいものである。

 

イザヤ 53:4 彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。
 53:5 彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。