箴言17章1~5節、詩篇12篇、1コリント9章19~23節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

箴言 17:1 乾いたパンの一片しかなくとも平安があれば いけにえの肉で家を満たして争うよりよい。
 17:2 成功をもたらす僕は恥をもたらす息子を支配し その兄弟と共に嗣業の分配にあずかる。
 17:3 銀にはるつぼ、金には炉、心を試すのは主。
 17:4 悪事をはたらく者は悪の唇に耳を傾け 偽る者は滅亡の舌に耳を向ける。
 17:5 貧しい人を嘲る者は造り主をみくびる者。災いのときに喜ぶ者は赦されない。

詩篇 12:1  指揮者によって。第八調。賛歌。ダビデの詩。
 12:2 主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え 人の子らの中から 信仰のある人は消え去りました。
 12:3 人は友に向かって偽りを言い 滑らかな唇、二心をもって話します。
 12:4 主よ、すべて滅ぼしてください 滑らかな唇と威張って語る舌を。
 12:5 彼らは言います。「舌によって力を振るおう。自分の唇は自分のためだ。わたしたちに主人などはない。」
 12:6 主は言われます。「虐げに苦しむ者と 呻いている貧しい者のために 今、わたしは立ち上がり 彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」
 12:7 主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀。
 12:8 主よ、あなたはその仰せを守り この代からとこしえに至るまで わたしたちを見守ってくださいます。
 12:9 主に逆らう者は勝手にふるまいます 人の子らの中に 卑しむべきことがもてはやされるこのとき。

1コリント 9:19 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。
 9:20 ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。
 9:21 また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。
 9:22 弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。
 9:23 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。

 

 

他人やモノを支配しようとする人は、自分をそれらの王とする者である。

一方、他人やモノに支配される人は、自分をそれらの奴隷とする者である。

どちらも良い面、悪い面があるが、どちらかと言えば、前者よりは後者の方が神の求められる生き方に近いと言えるだろう。

なぜなら、唯一の王なるお方は神のみであり、人は神と隣人に仕えるために生きることが求められているから、である。

もちろん、人は他人の奴隷ではないが、他者を喜ばせるために仕えていくことができれば、それはとても幸いなことである。

誰よりイエス様がそう生きられた。

イエス様は自らの命を全ての人の救いのために犠牲の生贄として十字架に捧げられたのである。

他人を生かすために。

私たち人間には、そこまでの他者への愛を実行することはできないかもしれないが、他者の幸いを願い、そのために何ができるかと考え、行動していくことは尊いことであり、願わくは、そうありたい。

他人やモノに支配されるのは好ましくないかもしれないが、仕える者となることは心がけていきたいものである。