箴言 14:12 人間の前途がまっすぐなようでも 果ては死への道となることがある。
14:13 笑っていても心の痛むことがあり 喜びが悲しみに終ることもある。
14:14 二心ある者は自らの道に 善人は自らの業に飽かされる。
14:15 未熟な者は何事も信じこむ。熟慮ある人は行く道を見分けようとする。
14:16 知恵ある人は畏れによって悪を避け 愚か者は高慢で自信をもつ。
14:17 短気な者は愚かなことをする。陰謀家は憎まれる。
14:18 浅はかな者は無知を嗣業とし 熟慮ある人は知識をその冠とする。
14:19 神に逆らう者は神に従う人の門の前に 悪人は善人の前に、身を低くする。
14:20 貧乏な者は友にさえ嫌われるが 金持ちを愛する者は多い。
14:21 友を侮ることは罪。貧しい人を憐れむことは幸い。
14:22 罪を耕す者は必ず迷う。善を耕す人は慈しみとまことを得る。
14:23 どのような苦労にも利益がある。口先だけの言葉は欠乏をもたらす。
14:24 知恵ある人の冠はその富。愚か者の冠はその無知。
14:25 真実の証人は魂を救い 欺きの発言をする者は裏切る。
14:26 主を畏れれば頼るべき砦を得 子らのためには避けどころを得る。
14:27 主を畏れることは命の源 死の罠を避けさせる。
14:28 国が強大であれば王は栄光を得る。民が絶えれば君主は滅びる。
14:29 忍耐によって英知は加わる。短気な者はますます無知になる。
14:30 穏やかな心は肉体を生かし 激情は骨を腐らせる。
14:31 弱者を虐げる者は造り主を嘲る。造り主を尊ぶ人は乏しい人を憐れむ。
詩篇 12:1 指揮者によって。第八調。賛歌。ダビデの詩。
12:2 主よ、お救いください。主の慈しみに生きる人は絶え 人の子らの中から 信仰のある人は消え去りました。
12:3 人は友に向かって偽りを言い 滑らかな唇、二心をもって話します。
12:4 主よ、すべて滅ぼしてください 滑らかな唇と威張って語る舌を。
12:5 彼らは言います。「舌によって力を振るおう。自分の唇は自分のためだ。わたしたちに主人などはない。」
12:6 主は言われます。「虐げに苦しむ者と 呻いている貧しい者のために 今、わたしは立ち上がり 彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」
12:7 主の仰せは清い。土の炉で七たび練り清めた銀。
12:8 主よ、あなたはその仰せを守り この代からとこしえに至るまで わたしたちを見守ってくださいます。
12:9 主に逆らう者は勝手にふるまいます 人の子らの中に 卑しむべきことがもてはやされるこのとき。
使徒 4:1 ペトロとヨハネが民衆に話をしていると、祭司たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々が近づいて来た。
4:2 二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らはいらだち、
4:3 二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。既に日暮れだったからである。
4:4 しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになった。
4:5 次の日、議員、長老、律法学者たちがエルサレムに集まった。
4:6 大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族が集まった。
4:7 そして、使徒たちを真ん中に立たせて、「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」と尋問した。
4:8 そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、
4:9 今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、
4:10 あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。
4:11 この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。
4:12 ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
ペテロとヨハネたちは、民衆にイエス・キリストによってもたらされた神の救いの御業について、大胆に宣べ伝え、大勢の人々がそれに聞き入り、イエス様を真の救い主として信じる者たちがぞくぞくと起こされていた。
それに対し、祭司や神殿守衛長、サドカイ派の人たちは、彼らを捕らえ、牢にいれてしまうのである。
ペテロやヨハネたちは、何ら悪いことはしていないし、国家を転覆させるような大規模なデモを起こそうとしたわけでもない。
ただ、神の救いについて宣べ伝えていただけである。
祭司らが彼らを捕らえた理由は、単に妬みによるものであったかもしれないし、自分たちよりも、使徒たちのほうに民の人気が集中していくのを嫌っていたのであろう。
そうなる前に、権力を駆使して、そういった芽を摘んでしまおうといったところだったのだろう。
しかし、使徒たちは捕らえられようと、宣べ伝えることを辞めようともせず、まずます大胆に祭司らに対しても語り続けていくのである。
彼らには、もはや恐れるものが何もない状態であったでのあろう。
仮に、命が奪われるようなことになろうと、自分たちが見たこと、聞いたこと、体験したことを宣べ伝えずにはいられなかったのである。
このような記事をよみつつ、果たして私たちにこれほどの信仰があるだろうかと思うこともある。
しかし、案ずることはないのだろう。
一人一人が見聞きしたこと、体験したことは、誰が何と言おうと事実であるならば、捻じ曲げる必要はないし、真実に生きていれば、それで良い。
時が来れば、自ずと我々にも語るべきこと、なすべきことは示されていくものと思う。
弟子たちも最初はイエス様が捕らえられると、命からがら逃げ出してしまうような人たちであった。
人は変えられていくし、主に導かれていく。
そう信じて、今を、これからを生きて行こう。