イザヤ5章8~23節、詩篇113篇、マルコ12章41~44節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

イザヤ 5:8 災いだ、家に家を連ね、畑に畑を加える者は。お前たちは余地を残さぬまでに この地を独り占めにしている。
 5:9 万軍の主はわたしの耳に言われた。この多くの家、大きな美しい家は 必ず荒れ果てて住む者がなくなる。
 5:10 十ツェメドのぶどう畑に一バトの収穫 一ホメルの種に一エファの実りしかない。
 5:11 災いだ、朝早くから濃い酒をあおり 夜更けまで酒に身を焼かれる者は。
 5:12 酒宴には琴と竪琴、太鼓と笛をそろえている。だが、主の働きに目を留めず 御手の業を見ようともしない。
 5:13 それゆえ、わたしの民はなすすべも 知らぬまま捕らわれて行く。貴族らも飢え、群衆は渇きで干上がる。
 5:14 それゆえ、陰府は喉を広げ その口をどこまでも開く。高貴な者も群衆も 騒ぎの音も喜びの声も、そこに落ち込む。
 5:15 人間が卑しめられ、人はだれも低くされる。高ぶる者の目は低くされる。
 5:16 万軍の主は正義のゆえに高くされ 聖なる神は恵みの御業のゆえにあがめられる。
 5:17 小羊は牧場にいるように草をはみ 肥えた家畜は廃虚で餌を得る。
 5:18 災いだ、むなしいものを手綱として、罪を 車の綱として、咎を引き寄せる者は。
 5:19 彼らは言う。「イスラエルの聖なる方を急がせよ 早く事を起こさせよ、それを見せてもらおう。その方の計らいを近づかせ、実現させてみよ。そうすれば納得しよう。」
 5:20 災いだ、悪を善と言い、善を悪と言う者は。彼らは闇を光とし、光を闇とし 苦いものを甘いとし、甘いものを苦いとする。
 5:21 災いだ、自分の目には知者であり うぬぼれて、賢いと思う者は。
 5:22 災いだ、酒を飲むことにかけては勇者 強い酒を調合することにかけては 豪傑である者は。
 5:23 これらの者は賄賂を取って悪人を弁護し 正しい人の正しさを退ける。

詩篇 113:1 ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ 主の御名を賛美せよ。
 113:2 今よりとこしえに 主の御名がたたえられるように。
 113:3 日の昇るところから日の沈むところまで 主の御名が賛美されるように。
 113:4 主はすべての国を超えて高くいまし 主の栄光は天を超えて輝く。
 113:5 わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き
 113:6 なお、低く下って天と地を御覧になる。
 113:7 弱い者を塵の中から起こし 乏しい者を芥の中から高く上げ
 113:8 自由な人々の列に 民の自由な人々の列に返してくださる。
 113:9 子のない女を家に返し 子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。

マルコ 12:41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
 12:42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
 12:43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
 12:44 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」

 

 

 

かつて、一億総中流社会とも言われた日本でも、貧困や格差の問題が取りざたされるようになってきている。

こういった問題は、表だって目立つようなことはないかもしれないが、ひそかに、確実に広がっている。

地方では少子高齢化の影響が目に見えるように現れており、さびれた町を腰をかがめたお年寄りがぽつりぽつりと歩いている。

こういったお年寄りが倒れても、誰も助けてはくれないのだろうと思うと、虚しい気持ちにさせられる。

もっとも、都会でもこういった問題は少しずつ広がっているのだろうし、目に見えないところで、貧困に苦しみながら、ひっそりと息を引き取って行かれる人たちもいるのだろう。

物価もどんどん高くなり、まともな食事にさえありつけない人も大勢いるだろう。

いっとき、こども食堂のような働きももてはやされていたが、物価の高騰や人手不足など、様々な理由で撤退しているところも増えているという。

貧しい人たちがどんどん増え、ますます生き辛い世の中になっているように思う。

こんな時代に、教会が何かできれば一番いいのだろうけれど、教会に集う人たちも似たような人たちで、貧しい人や身寄りのないお年寄りだったり。

それでも、神の憐れみを受けて、心は豊かに生きている。

それが一番。

できるだけ健康的で文化的な暮らしを保って行きたいところではあるが、贅沢はしなくても、神に愛されていることを知り、心豊かに生きていきたいものである。