ヨブ記40章6~14節、42章1~6節、詩篇73篇、ルカ22章31~33,54~62節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨブ記 40:6 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
 40:7 男らしく、腰に帯をせよ。お前に尋ねる。わたしに答えてみよ。
 40:8 お前はわたしが定めたことを否定し 自分を無罪とするために わたしを有罪とさえするのか。
 40:9 お前は神に劣らぬ腕をもち 神のような声をもって雷鳴をとどろかせるのか。
 40:10 威厳と誇りで身を飾り 栄えと輝きで身を装うがよい。
 40:11 怒って猛威を振るい すべて驕り高ぶる者を見れば、これを低くし
 40:12 すべて驕り高ぶる者を見れば、これを挫き 神に逆らう者を打ち倒し
 40:13 ひとり残らず塵に葬り去り 顔を包んで墓穴に置くがよい。
 40:14 そのとき初めて、わたしはお前をたたえよう。お前が自分の右の手で 勝利を得たことになるのだから。

 42:1 ヨブは主に答えて言った。
 42:2 あなたは全能であり 御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
 42:3 「これは何者か。知識もないのに 神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた 驚くべき御業をあげつらっておりました。
 42:4 「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」
 42:5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
 42:6 それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます。

詩篇 73:1  賛歌。アサフの詩。 神はイスラエルに対して 心の清い人に対して、恵み深い。
 73:2 それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ 一歩一歩を踏み誤りそうになっていた。
 73:3 神に逆らう者の安泰を見て わたしは驕る者をうらやんだ。
 73:4 死ぬまで彼らは苦しみを知らず からだも肥えている。
 73:5 だれにもある労苦すら彼らにはない。だれもがかかる病も彼らには触れない。
 73:6 傲慢は首飾りとなり 不法は衣となって彼らを包む。
 73:7 目は脂肪の中から見まわし 心には悪だくみが溢れる。
 73:8 彼らは侮り、災いをもたらそうと定め 高く構え、暴力を振るおうと定める。
 73:9 口を天に置き 舌は地を行く。
 73:10 (民がここに戻っても 水を見つけることはできないであろう。)
 73:11 そして彼らは言う。「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか。」
 73:12 見よ、これが神に逆らう者。とこしえに安穏で、財をなしていく。
 73:13 わたしは心を清く保ち 手を洗って潔白を示したが、むなしかった。
 73:14 日ごと、わたしは病に打たれ 朝ごとに懲らしめを受ける。
 73:15 「彼らのように語ろう」と望んだなら 見よ、あなたの子らの代を 裏切ることになっていたであろう。
 73:16 わたしの目に労苦と映ることの意味を 知りたいと思い計り
 73:17 ついに、わたしは神の聖所を訪れ 彼らの行く末を見分けた
 73:18 あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え 彼らを迷いに落とされるのを
 73:19 彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし 災難によって滅ぼし尽くされるのを
 73:20 わが主よ、あなたが目覚め 眠りから覚めた人が夢を侮るように 彼らの偶像を侮られるのを。
 73:21 わたしは心が騒ぎ はらわたの裂ける思いがする。
 73:22 わたしは愚かで知識がなく あなたに対して獣のようにふるまっていた。
 73:23 あなたがわたしの右の手を取ってくださるので 常にわたしは御もとにとどまることができる。
 73:24 あなたは御計らいに従ってわたしを導き 後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。
 73:25 地上であなたを愛していなければ 天で誰がわたしを助けてくれようか。
 73:26 わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが 神はとこしえにわたしの心の岩 わたしに与えられた分。
 73:27 見よ、あなたを遠ざかる者は滅びる。御もとから迷い去る者をあなたは絶たれる。
 73:28 わたしは、神に近くあることを幸いとし 主なる神に避けどころを置く。わたしは御業をことごとく語り伝えよう。

ルカ 22:31 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。
 22:32 しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
 22:33 するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。

 22:54 人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。
 22:55 人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。
 22:56 するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました」と言った。
 22:57 しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。
 22:58 少したってから、ほかの人がペトロを見て、「お前もあの連中の仲間だ」と言うと、ペトロは、「いや、そうではない」と言った。
 22:59 一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。
 22:60 だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。
 22:61 主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。
 22:62 そして外に出て、激しく泣いた。

 

 

ペテロは、たとえイエス様と一緒に死ななくてはならなくなったとしても、イエス様のことを知らないなどとは決して言わないと言い、最後までイエス様に従う決意を述べていたが、イエス様が捕らえられると、あっさりと裏切ってしまい、他の弟子たちも一目散に逃げ去ってしまうのである。

そして、ニワトリが鳴く前に三度知らないというであろうとのイエス様の予告通り、ペテロは三度イエス様を否定した時、ニワトリが泣いたことで、イエス様の言葉を思い出し、激しく泣いて悔いるのである。

ペテロは、己の罪深さをいやというほど思い知らされたことであろうし、死にたいくらい情けない気持ちになったことであろう。

しかし、それでもペテロは、そこから一歩前に進むことはできなかったのである。

つまり、悔いはしたが、改めるところまでは達していないのである。

聖書において、神の救いにあずかるためには、己の罪を悔い改める必要がある、と語られているように思うが、なかなかそこまで達するのは難しく、どうにか悔いるところまではできても、それを改めるのは非常に難しい。

というより、おそらく人間には不可能なのであろう。

しかし、だからこその神の子の身代わりによる、贖いの御業がなされたということを覚えたい。

 

ルカ18:26 これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、

18:27 イエスは、「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。

 

人が己の罪を悔い改めるということも、本当はできないことなのかもしれない。

しかし、神はそれを可能として下さるし、その先にある救いの御業も成就して下さっている。

なんともありがたいことである。

この神の恵みに信頼し、少しでも己の罪を悔い改められるよう努め、信じて救われる者とならせていただきたいものである。