出エジプト記23章1~9節、詩篇113篇、ローマ3章1~8節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

出エジプト記 23:1 あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはならない。
 23:2 あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。
 23:3 また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。
 23:4 あなたの敵の牛あるいはろばが迷っているのに出会ったならば、必ず彼のもとに連れ戻さなければならない。
 23:5 もし、あなたを憎む者のろばが荷物の下に倒れ伏しているのを見た場合、それを見捨てておいてはならない。必ず彼と共に助け起こさねばならない。
 23:6 あなたは訴訟において乏しい人の判決を曲げてはならない。
 23:7 偽りの発言を避けねばならない。罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない。
 23:8 あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は、目のあいている者の目を見えなくし、正しい人の言い分をゆがめるからである。
 23:9 あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである。

詩篇 113:1 ハレルヤ。主の僕らよ、主を賛美せよ 主の御名を賛美せよ。
 113:2 今よりとこしえに 主の御名がたたえられるように。
 113:3 日の昇るところから日の沈むところまで 主の御名が賛美されるように。
 113:4 主はすべての国を超えて高くいまし 主の栄光は天を超えて輝く。
 113:5 わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き
 113:6 なお、低く下って天と地を御覧になる。
 113:7 弱い者を塵の中から起こし 乏しい者を芥の中から高く上げ
 113:8 自由な人々の列に 民の自由な人々の列に返してくださる。
 113:9 子のない女を家に返し 子を持つ母の喜びを与えてくださる。ハレルヤ。

ローマ 3:1 では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。
 3:2 それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。
 3:3 それはいったいどういうことか。彼らの中に不誠実な者たちがいたにせよ、その不誠実のせいで、神の誠実が無にされるとでもいうのですか。
 3:4 決してそうではない。人はすべて偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。「あなたは、言葉を述べるとき、正しいとされ、裁きを受けるとき、勝利を得られる」と書いてあるとおりです。
 3:5 しかし、わたしたちの不義が神の義を明らかにするとしたら、それに対して何と言うべきでしょう。人間の論法に従って言いますが、怒りを発する神は正しくないのですか。
 3:6 決してそうではない。もしそうだとしたら、どうして神は世をお裁きになることができましょう。
 3:7 またもし、わたしの偽りによって神の真実がいっそう明らかにされて、神の栄光となるのであれば、なぜ、わたしはなおも罪人として裁かれねばならないのでしょう。
 3:8 それに、もしそうであれば、「善が生じるために悪をしよう」とも言えるのではないでしょうか。わたしたちがこう主張していると中傷する人々がいますが、こういう者たちが罰を受けるのは当然です。

 

 

出エジプト記の箇所には、根拠のないうわさを流したり、悪人に加担して不法を引き起こす証人となるな、とか、多数者に追随して悪を行ったり、逆に弱い人に加担して訴訟を曲げてもいけない、といったことが語られている。

牛が迷っていれば、たとえそれが敵の所有であったとしても、持ち主のもとへ返してやるべきであるし、倒れていれば助けてやれとも命じられている。

訴訟において、相手が誰であれ、証言や判決を曲げるべきではないし、ましてや、賄賂をもらうことによって、真実を曲げてしまうようなことがあってはならないと言われている。

どれも当然のことのように思えるし、わざわざ言葉に表して記すほどでもないのかもしれないが、このようなことが人の世の中では起きているから、あえて、このように丁寧に言葉に表しているのであろう。

むしろ、人間とは、こういう罪に生きる存在である、ということなのだろう。

現代では、SNSなどを使って、様々なうわさを流したり、信じたり、他人と中傷したり、面白がって偽りの証言を流したり、あるいはお金を儲けるために派手なデマを吹聴することも行われる。

どんなに社会が発展し、様々な便利な技術が用いられるようになっても、いつの時代でも人の世は変わらない。

真実を見抜くことは、いつの世でも難しいことかもしれないが、命がけで人を愛された神さまの心を思い出すことを心がけていけば、自ずと真実か偽りか見えてくるようになるのではないだろうか。

神と人とを愛す。

難しいようではあるが、意外に心がけるべきことは単純なのかもしれない。