ヨナ2章1~10節、詩篇73篇、2ペテロ3章8~13節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨナ 2:1 さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。
 2:2 ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、
 2:3 言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと 主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると わたしの声を聞いてくださった。
 2:4 あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた。潮の流れがわたしを巻き込み 波また波がわたしの上を越えて行く。
 2:5 わたしは思った あなたの御前から追放されたのだと。生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。
 2:6 大水がわたしを襲って喉に達する。深淵に呑み込まれ、水草が頭に絡みつく。
 2:7 わたしは山々の基まで、地の底まで沈み 地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ あなたは命を 滅びの穴から引き上げてくださった。
 2:8 息絶えようとするとき わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き 聖なる神殿に達した。
 2:9 偽りの神々に従う者たちが 忠節を捨て去ろうとも
 2:10 わたしは感謝の声をあげ いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。

詩篇 73:1  賛歌。アサフの詩。 神はイスラエルに対して 心の清い人に対して、恵み深い。
 73:2 それなのにわたしは、あやうく足を滑らせ 一歩一歩を踏み誤りそうになっていた。
 73:3 神に逆らう者の安泰を見て わたしは驕る者をうらやんだ。
 73:4 死ぬまで彼らは苦しみを知らず からだも肥えている。
 73:5 だれにもある労苦すら彼らにはない。だれもがかかる病も彼らには触れない。
 73:6 傲慢は首飾りとなり 不法は衣となって彼らを包む。
 73:7 目は脂肪の中から見まわし 心には悪だくみが溢れる。
 73:8 彼らは侮り、災いをもたらそうと定め 高く構え、暴力を振るおうと定める。
 73:9 口を天に置き 舌は地を行く。
 73:10 (民がここに戻っても 水を見つけることはできないであろう。)
 73:11 そして彼らは言う。「神が何を知っていようか。いと高き神にどのような知識があろうか。」
 73:12 見よ、これが神に逆らう者。とこしえに安穏で、財をなしていく。
 73:13 わたしは心を清く保ち 手を洗って潔白を示したが、むなしかった。
 73:14 日ごと、わたしは病に打たれ 朝ごとに懲らしめを受ける。
 73:15 「彼らのように語ろう」と望んだなら 見よ、あなたの子らの代を 裏切ることになっていたであろう。
 73:16 わたしの目に労苦と映ることの意味を 知りたいと思い計り
 73:17 ついに、わたしは神の聖所を訪れ 彼らの行く末を見分けた
 73:18 あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え 彼らを迷いに落とされるのを
 73:19 彼らを一瞬のうちに荒廃に落とし 災難によって滅ぼし尽くされるのを
 73:20 わが主よ、あなたが目覚め 眠りから覚めた人が夢を侮るように 彼らの偶像を侮られるのを。
 73:21 わたしは心が騒ぎ はらわたの裂ける思いがする。
 73:22 わたしは愚かで知識がなく あなたに対して獣のようにふるまっていた。
 73:23 あなたがわたしの右の手を取ってくださるので 常にわたしは御もとにとどまることができる。
 73:24 あなたは御計らいに従ってわたしを導き 後には栄光のうちにわたしを取られるであろう。
 73:25 地上であなたを愛していなければ 天で誰がわたしを助けてくれようか。
 73:26 わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが 神はとこしえにわたしの心の岩 わたしに与えられた分。
 73:27 見よ、あなたを遠ざかる者は滅びる。御もとから迷い去る者をあなたは絶たれる。
 73:28 わたしは、神に近くあることを幸いとし 主なる神に避けどころを置く。わたしは御業をことごとく語り伝えよう。

2ペテロ 3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
 3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
 3:10 主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
 3:11 このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。
 3:12 神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。
 3:13 しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。

 

 

 

ヨナ書2章の箇所には、大魚に飲み込まれたヨナが、魚の腹の中で祈った悔い改めの言葉が記されている。

彼のこの悔い改めの祈りは非常に興味深いもので、彼は自分がすでに死んでいる者であるということを悟り、陰府の底から祈っていることが記されている。

一方で、悔い改めの祈りを神に捧げていることで、主なる神様が滅びの穴から引き揚げて、再び命ある者とされていることを述べているのである。

つまり、悔い改めて、神の御手に委ねるならば、すでに滅んでいるはずの自分も、再び命を取り戻し、既に生きている者となっている、というのである。

実際には、ヨナは魚の腹の中で苦しんでいる状態であったのであろうけれど、神のみもとに立ち帰るかどうかで、既に滅んでいるか、既に生きかえっているかが決まっているといったことが祈られており、それは、今の世界に生きる私たちにも当てはまることであろう。

この世界で生きている間は、様々な困難や試練などで苦しんでいるかもしれないが、大切なことは、神を忘れて離れていれば、それはすでに滅んだものでしかないが、どんな状況にあろうと、悔い改めて神のもとに立ち帰るならば、その人は真の命に生きている、と言えるのである。

ヨナの祈りから、悔改めるのに遅すぎるということはない、ということを学び、真の命に生かして下さる神と共に生きる幸いな人生を歩んでいきたいものである。