創世記8章20節~9章7節、詩篇51篇3~12節、ヨハネ10章11~21節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 8:20 ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。
 8:21 主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。
 8:22 地の続くかぎり、種蒔きも刈り入れも 寒さも暑さも、夏も冬も 昼も夜も、やむことはない。」
 9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。
 9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。
 9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。
 9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。
 9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。
 9:6 人の血を流す者は 人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。
 9:7 あなたたちは産めよ、増えよ 地に群がり、地に増えよ。」

詩篇 51:3 神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。
 51:4 わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。
 51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
 51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく あなたの裁きに誤りはありません。
 51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです。
 51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
 51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。
 51:10 喜び祝う声を聞かせてください あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
 51:11 わたしの罪に御顔を向けず 咎をことごとくぬぐってください。
 51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。

ヨハネ 10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
 10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
 10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
 10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
 10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
 10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
 10:17 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。
 10:18 だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」
 10:19 この話をめぐって、ユダヤ人たちの間にまた対立が生じた。
 10:20 多くのユダヤ人は言った。「彼は悪霊に取りつかれて、気が変になっている。なぜ、あなたたちは彼の言うことに耳を貸すのか。」
 10:21 ほかの者たちは言った。「悪霊に取りつかれた者は、こういうことは言えない。悪霊に盲人の目が開けられようか。」

 

 

 

わたしたちは生きている。

それは、生きるために生かされているものであり、死ぬために生きているわけではない。

しかし、人は罪深く、強欲な生き物だから、時には人の命を奪ってでも、自分だけ生きようとする。

そのような生き方は、死と滅びへと通じるだけの、死ぬための人生でしかない。

主なる神様は、私たちに、人が生きていけるような命につながる生き方を歩んで欲しいと願われて、私たちに命を与えられた。

だから、無駄に生きたり、神に背くような生き方をすべきではない。

他人を傷つけづ、他人と殺さずに生きていくのは、難しいことかもしれないが、それができれば、人生は幸いなものとなるだろう。

イエス様、人が本当の人として生きていくことを望まれて、尊い贖いの代価を支払って、私たちを神のものとして買い取って下さっている。

なかなか思うようにはいかないが、神様に愛され、贖われた者として、その喜びの中で、生きるために生きていきたい。