創世記7章6~10節、8章1~5節、詩篇51篇3~12節、2ペテロ2章1~10節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 7:6 ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。
 7:7 ノアは妻子や嫁たちと共に洪水を免れようと箱舟に入った。
 7:8 清い動物も清くない動物も、鳥も地を這うものもすべて、
 7:9 二つずつ箱舟のノアのもとに来た。それは神がノアに命じられたとおりに、雄と雌であった。
 7:10 七日が過ぎて、洪水が地上に起こった。

 8:1 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。
 8:2 また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、
 8:3 水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、
 8:4 第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。
 8:5 水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。

詩篇 51:3 神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。
 51:4 わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。
 51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
 51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく あなたの裁きに誤りはありません。
 51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも わたしは罪のうちにあったのです。
 51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
 51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。
 51:10 喜び祝う声を聞かせてください あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
 51:11 わたしの罪に御顔を向けず 咎をことごとくぬぐってください。
 51:12 神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。

2ペテロ 2:1 かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、
 2:2 しかも、多くの人が彼らのみだらな楽しみを見倣っています。彼らのために真理の道はそしられるのです。
 2:3 彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。このような者たちに対する裁きは、昔から怠りなくなされていて、彼らの滅びも滞ることはありません。
 2:4 神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。
 2:5 また、神は昔の人々を容赦しないで、不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち八人を保護なさったのです。
 2:6 また、神はソドムとゴモラの町を灰にし、滅ぼし尽くして罰し、それから後の不信心な者たちへの見せしめとなさいました。
 2:7 しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされていた正しい人ロトを、助け出されました。
 2:8 なぜなら、この正しい人は、彼らの中で生活していたとき、毎日よこしまな行為を見聞きして正しい心を痛めていたからです。
 2:9 主は、信仰のあつい人を試練から救い出す一方、正しくない者たちを罰し、裁きの日まで閉じ込めておくべきだと考えておられます。
 2:10 特に、汚れた情欲の赴くままに肉に従って歩み、権威を侮る者たちを、そのように扱われるのです。彼らは、厚かましく、わがままで、栄光ある者たちをそしってはばかりません。

 

 

聖書には、主なる神様が、神を信じて従って生きようとする者に祝福を与えようとしている一方で、神を信じようとせず、神の御心に背いている者たちについては、容赦なく厳しい裁きをも辞さないことが述べられている。

同じ神なのに、なぜそこまで厳しく罰せられるのかと思うこともあるが、それは、信じる者たちが救われるためにそうなさるということなのだろう。

厳しい裁きがあるからこそ、救いも確かなものとなるのである。

そのことを端的に現わしているのは、言うまでもなく、イエス様の十字架の出来事であろう。

神様は、救いが確かなものであることを示すために、滅びゆく者たちの受ける裁きをも、きっちりと行われ、その裁きを御子イエス様がしっかりと受け止められた姿が、あの十字架なのである。

滅びなければならなかった私の罪も、イエス様がしっかりと引き受けて下さって、裁きを成し終えて下さったからこそ、もはや私は裁かれることはなくなったのであり、それほどに、私の救いは確かなものと言えるのである。

厳しい裁きと救いの約束は、表裏一体であり、なぜ同じ神様がこうまで厳しいのかというのは、それほどに真実の愛で愛して下さっていることの裏返しでもある。

聖書を読んでいく時、時々厳しい裁きの言葉に出会うことがあるが、そのたびにイエス様の十字架を思い出そう。

どれほど愛されているかが、より思い知らされるだろうから。