エレミヤ25章15~29節、詩篇32篇、使徒7章44~53節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

エレミヤ 25:15 それゆえ、イスラエルの神、主はわたしにこう言われる。「わたしの手から怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々にそれを飲ませよ。
 25:16 彼らは飲んでよろめき、わたしが彼らの中に剣を送るとき、恐怖にもだえる。」
 25:17 わたしは、主の御手から杯を取り、主がわたしを遣わされるすべての国々にその酒を飲ませた。
 25:18 また、エルサレムとユダの町々、その王たちと高官たちに飲ませ、今日のように、そこを廃虚とし、人の驚くところ、嘲るところ、呪うところとした。
 25:19 更に、エジプトの王ファラオとその家臣、高官たちとその民のすべて、
 25:20 入り交じった民のすべて、ウツの地のすべての王、ペリシテ人の地のすべての王、すなわちアシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドドに残った者、
 25:21 エドム、モアブ、アンモンの人々、
 25:22 ティルスのすべての王、シドンのすべての王、海の向こうの島々の王たち、
 25:23 デダンとテマとブズと、もみ上げの毛を切っているすべての人、
 25:24 荒れ野に住むアラビアのすべての王と、入り交じった民のすべての王、
 25:25 ジムリのすべての王、エラムのすべての王、メディアのすべての王、
 25:26 北のすべての王で、近くにいる者にも遠くにいる者にもそれぞれ、すなわち、地上のすべての王国に飲ませ、最後にシェシャク(バビロン)の王が飲む。
 25:27 あなたは彼らに言うがよい。「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。飲んで酔い、おう吐し、倒れて起き上がるな、わたしがお前たちの中に送る剣のゆえに。
 25:28 彼らがあなたの手から杯を受けず、飲むことを拒むなら、あなたは彼らに言うがよい。万軍の主はこう言われる。お前たちは必ず飲むことになる。
 25:29 見よ、わたしの名によって呼ばれるこの都にも、わたしは災いをくだし始めた。お前たちが罰を免れようとしても、決して免れることはない。わたしはこの地のすべての住民に対して、剣を呼び寄せた」と万軍の主は言われる。

詩篇 32:1  ダビデの詩。マスキール。 いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
 32:2 いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
 32:3 わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
 32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てました。
 32:5 わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。わたしは言いました 「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを 赦してくださいました。
 32:6 あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。
 32:7 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。
 32:8 わたしはあなたを目覚めさせ 行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
 32:9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。
 32:10 神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
 32:11 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。

使徒 7:44 わたしたちの先祖には、荒れ野に証しの幕屋がありました。これは、見たままの形に造るようにとモーセに言われた方のお命じになったとおりのものでした。
 7:45 この幕屋は、それを受け継いだ先祖たちが、ヨシュアに導かれ、目の前から神が追い払ってくださった異邦人の土地を占領するとき、運び込んだもので、ダビデの時代までそこにありました。
 7:46 ダビデは神の御心に適い、ヤコブの家のために神の住まいが欲しいと願っていましたが、
 7:47 神のために家を建てたのはソロモンでした。
 7:48 けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。これは、預言者も言っているとおりです。
 7:49 『主は言われる。「天はわたしの王座、地はわたしの足台。お前たちは、わたしにどんな家を建ててくれると言うのか。わたしの憩う場所はどこにあるのか。
 7:50 これらはすべて、わたしの手が造ったものではないか。」』
 7:51 かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
 7:52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。
 7:53 天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」

 

 

 

神がいるのなら、なぜ様々な争いや戦争が起きるのかと問う人はいる。

あるいは、キリスト教国なのに、なぜ戦争をするのかと不思議に思う人もいるだろう。

しかし、キリスト教の国などというのは実際には存在しないし、しえない。

あるのは、人間の国だけであろう。

人間が自分たちの都合や欲望を満たすために、時には神の御名をも用いて横暴に振舞っているのが実態であろう。

口では神を敬い、神を信じ、従っているように言っても、実態が伴っていないなら、空しいだけである。

けれど、それが人間なのだ。

口先では神を敬い、心は遠く離れている。

自分はどうなのか。

同じである。

偽善者と呼ばれても仕方がない。

それでも神がこんな愚かな者を救おうと、御子イエス様の命を捧げられたことを思い起こす。

イエス様が十字架で死なれたのは事実である。

イエス様はこの世界に人として来られ、救いの御業を実現して下さった。

あとは、この事実の前に、私たち一人一人がどう向き合っていくかであろう。

救いの事実を無視し、これまで通り横暴に振舞い続けていくのか、それとも、己の罪のためにイエス様が死なれたことを覚えて、少しでも神の御心に沿う生き方へ変えられたいと願うか。

たとえどんなにわずかな心の動きでもいい。

主にあって変えられた人生を歩んでいきたいものである。