エレミヤ 23:30 それゆえ、見よ、わたしは仲間どうしでわたしの言葉を盗み合う預言者たちに立ち向かう、と主は言われる。
23:31 見よ、わたしは自分の舌先だけで、その言葉を「託宣」と称する預言者たちに立ち向かう、と主は言われる。
23:32 見よ、わたしは偽りの夢を預言する者たちに立ち向かう、と主は言われる。彼らは、それを解き明かして、偽りと気まぐれをもってわが民を迷わせた。わたしは、彼らを遣わしたことも、彼らに命じたこともない。彼らはこの民に何の益ももたらさない、と主は言われる。
23:33 もし、この民が――預言者であれ祭司であれ――あなたに、「主の託宣(マッサ)とは何か」と問うならば、彼らに、「お前たちこそ重荷(マッサ)だ。わたしはお前たちを投げ捨てる、と主は言われる」と答えるがよい。
23:34 預言者にせよ、祭司にせよ、民にせよ、「主の託宣だ」と言う者があれば、わたしはその人とその家を罰する。
23:35 お前たちは、ただ隣人や兄弟の間で互いに、「主は何とお答えになりましたか。主は何とお語りになりましたか」とだけ言うがよい。
23:36 「主の託宣だ」という言い方を二度としてはならない。なぜなら、お前たちは勝手に自分の言葉を託宣とし、生ける神である我らの神、万軍の主の言葉を曲げたからだ。
23:37 預言者にはただ、「主は何とお答えになりましたか。主は何とお語りになりましたか」と言うがよい。
23:38 もし、お前たちが、「主の託宣だ」と言うなら、主はこう言われる。「お前たちは、『主の託宣だ』と言ってはならないと命じておいたのに、『主の託宣だ』というこの言葉を語ったので、
23:39 見よ、わたしはお前たちを全く退け、お前たちと父祖たちに与えたこの都と共に、お前たちをわたしの前から捨て去る。
23:40 そしてお前たちに、決して忘れえない永久の恥と永久の辱めを与える。」
詩篇 32:1 ダビデの詩。マスキール。 いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
32:2 いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。
32:3 わたしは黙し続けて 絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。
32:4 御手は昼も夜もわたしの上に重く わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てました。
32:5 わたしは罪をあなたに示し 咎を隠しませんでした。わたしは言いました 「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを 赦してくださいました。
32:6 あなたの慈しみに生きる人は皆 あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも その人に及ぶことは決してありません。
32:7 あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方。
32:8 わたしはあなたを目覚めさせ 行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。
32:9 分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな。
32:10 神に逆らう者は悩みが多く 主に信頼する者は慈しみに囲まれる。
32:11 神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ。
1ヨハネ 4:1 愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。
4:2 イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。
4:3 イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。
4:4 子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。
4:5 偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。
4:6 わたしたちは神に属する者です。神を知る人は、わたしたちに耳を傾けますが、神に属していない者は、わたしたちに耳を傾けません。これによって、真理の霊と人を惑わす霊とを見分けることができます。
終わりの時代が近づくと、偽預言者やメシアを名乗る者は大勢現れるだろうと語られている。
異端と呼ばれるグループも多数存在するが、それらを見分けるカギは、イエス様のことをどう捉えているか、あるいは、イエス様がいつ来られるかとか、既に来られたとか、聖書に反することを述べているかどうかというところにあるだろう。
イエス様のことを真の神であり、まことの人であると言わず、天使であるとか、単なる人間の一人であるかのように教えるものは、イエス様が救い主ではなくなってしまうため、もはやそれはキリスト教とは言えない。
あるいは、自分こそ再臨のメシアであると言って、あたかも聖書の正しい解釈を知っていると説いているようなものは、もはや論外であろう。
もし、イエス様が再臨されたなら、誰の目にもそれが再臨のキリストであると分かるはずであり、一部の人だけに現わされ、多くの人に隠されているような仕方で再臨されるなら、もはやそれは再臨ではない。
しかも、そういった異端のグループの目的は、人々をまどわし、従えて、お金を巻き上げることにあり、本当に人々の幸いや救いを考えているとは言えない。
もちろん、教会も人やお金を集めていることには変わりはないかもしれないが、人々に本当の幸いと救いをお伝えすることを目的としている限り、それは主の働きと言えるだろう。
だから、私たちも目的を見誤らないように、誤解もされないように、心の帯を引き締めて、主の御心に忠実に生きてくことが大切であろう。
私自身も人々の重荷とならないよう、人々の幸いと救いのやめに主の救いのみ言葉を宣べ伝えていく働きに忠実にお仕えしていきたい。