ヨシュア記7章1,10~26節、詩篇82篇、ヘブル10章26~31節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨシュア記 7:1 イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実であった。ユダ族に属し、彼の父はカルミ、祖父はザブディ、更にゼラへとさかのぼるアカンは、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取った。主はそこで、イスラエルの人々に対して激しく憤られた。

 7:10 主はヨシュアに言われた。「立ちなさい。なぜ、そのようにひれ伏しているのか。
 7:11 イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。
 7:12 だから、イスラエルの人々は、敵に立ち向かうことができず、敵に背を向けて逃げ、滅ぼし尽くされるべきものとなってしまった。もし、あなたたちの間から滅ぼし尽くすべきものを一掃しないなら、わたしは、もはやあなたたちと共にいない。
 7:13 立って民を清め、『明日に備えて自分を聖別せよ』と命じなさい。イスラエルの神、主が、『イスラエルよ、あなたたちの中に滅ぼし尽くすべきものが残っている。それを除き去るまでは敵に立ち向かうことはできない』と言われるからである。
 7:14 明日の朝、あなたたちは部族ごとに進み出なさい。主の指摘を受けた部族は、氏族ごとに進み出なさい。主の指摘を受けた氏族は、家族ごとに進み出なさい。主の指摘を受けた家族の男子は、一人ずつ進み出なさい。
 7:15 滅ぼし尽くすべきものを持つ者がこうして、指摘されたなら、その人は財産もろとも火で焼き尽くされねばならない。彼は主の契約を破り、イスラエルにおいては愚かなことをしたからである。」
 7:16 翌朝、ヨシュアは早く起き、イスラエルを部族ごとに進み出させると、ユダ族が指摘を受けた。
 7:17 ユダの諸氏族を進み出させると、ゼラの氏族が指摘を受けた。ゼラの氏族の男子を一人ずつ進み出させると、ザブディ家が指摘を受けた。
 7:18 ザブディ家の男子を一人ずつ進み出させると、ユダ族のゼラ氏族に属するザブディ家のカルミの子アカンが指摘を受けた。
 7:19 ヨシュアがアカンに、「わたしの子よ。イスラエルの神、主に栄光を帰し、主をほめたたえ、あなたが何をしたのか包み隠さずわたしに告げなさい」と言うと、
 7:20 アカンはヨシュアに答えた。「わたしは、確かにイスラエルの神、主に罪を犯しました。わたしがしたことはこうです。
 7:21 分捕り物の中に一枚の美しいシンアルの上着、銀二百シェケル、重さ五十シェケルの金の延べ板があるのを見て、欲しくなって取りました。今それらは、わたしの天幕の地下に銀を下に敷いて埋めてあります。」
 7:22 ヨシュアの出した使いたちがアカンの天幕に走って行って見ると、果たして彼の天幕の中に、銀を下に敷いて地下に埋めてあった。
 7:23 彼らはそれを天幕から取り出して、ヨシュアとイスラエルのすべての人々のもとに運び、主の前にひろげた。
 7:24 ヨシュアはゼラの子アカンはもとより、銀、上着、金の延べ板、更に息子、娘、牛、ろば、羊、天幕、彼の全財産を取り押さえ、全イスラエルを率いてアコルの谷にそれらを運び、
 7:25 こう宣言した。「お前は何という災いを我々にもたらしたことか。今日は、主がお前に災いをもたらされる(アカル)。」全イスラエルはアカンに石を激しく投げつけ、彼のものを火に焼き、家族を石で打ち殺した。
 7:26 彼らは、アカンの上に大きな石塚を積み上げたが、それは今日まで残っている。主の激しい怒りはこうしてやんだ。このようなわけで、その場所の名はアコルの谷と呼ばれ、今日に至っている。

詩篇 82:1  賛歌。アサフの詩。 神は神聖な会議の中に立ち 神々の間で裁きを行われる。
 82:2 「いつまであなたたちは不正に裁き 神に逆らう者の味方をするのか。
 82:3 弱者や孤児のために裁きを行い 苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。
 82:4 弱い人、貧しい人を救い 神に逆らう者の手から助け出せ。」
 82:5 彼らは知ろうとせず、理解せず 闇の中を行き来する。地の基はことごとく揺らぐ。
 82:6 わたしは言った 「あなたたちは神々なのか 皆、いと高き方の子らなのか」と。
 82:7 しかし、あなたたちも人間として死ぬ。君侯のように、いっせいに没落する。
 82:8 神よ、立ち上がり、地を裁いてください。あなたはすべての民を嗣業とされるでしょう。

ヘブル 10:26 もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。
 10:27 ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。
 10:28 モーセの律法を破る者は、二、三人の証言に基づいて、情け容赦なく死刑に処せられます。
 10:29 まして、神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値すると思いますか。
 10:30 「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」と言い、また、「主はその民を裁かれる」と言われた方を、わたしたちは知っています。
 10:31 生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです。

 

 

 

イスラエルの民がエリコの町に攻めいった時、手を付けてはならないと言われていた町の富をアカンがかすめ取っていた。

そのため、エリコに続いてアイの町に攻め入ろうとしたものの、イスラエルは苦戦することになってしまうのである。

これらの記述は、特殊な出来事であるため、全ての戦争などに当てはまるものではないと思われるが、そもそも人類が戦争を引き起こす理由は、他の民族が所有している土地や財産を奪い取る事が目的であろう。

あらゆる戦争がそういったよこしまな目的で行われていて、基本的に戦争に大義などない。

人は欲に囚われ、他者の命をも奪い去っていく愚かな生き物である。

それは、戦争に限らず、日常における人と人との関係においても、程度の差こそあれ、本質的には似たようなことをしているのではないだろうか。

自分の利益のためならば、人間は、平気で他者を攻撃もするし、時には命をも奪ってしまうこともある。

自分勝手で、強欲で、傲慢で、そして、凶悪である。

もし、そのことに気づき、悔い改めて神の願われた本来の人として生きようと思うなら、それはとても尊いことではある。

しかし、なかなか人間の性質というのは変わらないし、生きている間、常に、自分の内にある罪の性質と戦い続けていかねばならないだろう。

それでも、イエス様を信じるならば、罪のゆえに裁かれ、滅ぼされることからは解放される。

イエス様の統治犠牲のゆえに罪赦され、生かされていることの意味を覚えつつ、御心にかなう歩みを選んでいけるものでありたい。