創世記24章34~41、50~67節、詩篇140篇、1ヨハネ2章7~11節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

創世記 24:34 その人は語り始めた。「わたしはアブラハムの僕でございます。
 24:35 主がわたしの主人を大層祝福され、羊や牛の群れ、金銀、男女の奴隷、らくだやろばなどをお与えになったので、主人は裕福になりました。
 24:36 奥様のサラは、年をとっていましたのに、わたしの主人との間に男の子を産みました。その子にわたしの主人は全財産をお譲りになったのです。
 24:37 主人はわたしに誓いを立てさせ、『あなたはわたしの息子の嫁を、わたしが今住んでいるカナンの土地の娘から選び取るな。
 24:38 わたしの父の家、わたしの親族のところへ行って、息子の嫁を連れて来るように』と命じました。
 24:39 わたしが主人に、『もしかすると、相手の女がわたしに従って来たくないと言うかもしれません』と申しますと、
 24:40 主人は、『わたしは今まで主の導きに従って歩んできた。主は御使いを遣わしてお前に伴わせ、旅の目的をかなえてくださる。お前は、わたしの親族、父の家から息子のために嫁を連れて来ることができよう。
 24:41 そのとき初めて、お前はわたしに対する誓いを解かれる。またもし、わたしの親族のところに行っても、娘をもらえない場合には、お前はこの誓いを解かれる』と言いました。

 24:50 ラバンとベトエルは答えた。「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。
 24:51 リベカはここにおります。どうぞお連れください。主がお決めになったとおり、御主人の御子息の妻になさってください。」
 24:52 アブラハムの僕はこの言葉を聞くと、地に伏して主を拝した。
 24:53 そして、金銀の装身具や衣装を取り出してリベカに贈り、その兄と母にも高価な品物を贈った。
 24:54 僕と従者たちは酒食のもてなしを受け、そこに泊まった。次の朝、皆が起きたとき、僕が、「主人のところへ帰らせてください」と言うと、
 24:55 リベカの兄と母は、「娘をもうしばらく、十日ほど、わたしたちの手もとに置いて、それから行かせるようにしたいのです」と頼んだ。
 24:56 しかし僕は言った。「わたしを、お引き止めにならないでください。この旅の目的をかなえさせてくださったのは主なのですから。わたしを帰らせてください。主人のところへ参ります。」
 24:57 「娘を呼んで、その口から聞いてみましょう」と彼らは言い、
 24:58 リベカを呼んで、「お前はこの人と一緒に行きますか」と尋ねた。「はい、参ります」と彼女は答えた。
 24:59 彼らは妹であるリベカとその乳母、アブラハムの僕とその従者たちを一緒に出立させることにし、
 24:60 リベカを祝福して言った。「わたしたちの妹よ あなたが幾千万の民となるように。あなたの子孫が敵の門を勝ち取るように。」
 24:61 リベカは、侍女たちと共に立ち上がり、らくだに乗り、その人の後ろに従った。僕はリベカを連れて行った。
 24:62 イサクはネゲブ地方に住んでいた。そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。
 24:63 夕方暗くなるころ、野原を散策していた。目を上げて眺めると、らくだがやって来るのが見えた。
 24:64 リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。リベカはらくだから下り、
 24:65 「野原を歩いて、わたしたちを迎えに来るあの人は誰ですか」と僕に尋ねた。「あの方がわたしの主人です」と僕が答えると、リベカはベールを取り出してかぶった。
 24:66 僕は、自分が成し遂げたことをすべてイサクに報告した。
 24:67 イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。彼はリベカを迎えて妻とした。イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。

詩篇 140:1  指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。
 140:2 主よ、さいなむ者からわたしを助け出し 不法の者から救い出してください。
 140:3 彼らは心に悪事を謀り 絶え間なく戦いを挑んできます。
 140:4 舌を蛇のように鋭くし 蝮の毒を唇に含んでいます。
 140:5 主よ、主に逆らう者の手からわたしを守り 不法の者から救い出してください わたしの歩みを突き落とそうと謀っている者から。
 140:6 傲慢な者がわたしに罠を仕掛け 綱や網を張りめぐらし わたしの行く道に落とし穴を掘っています。
 140:7 主にわたしは申します 「あなたはわたしの神」と。主よ、嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
 140:8 主よ、わたしの神よ、救いの力よ わたしが武器を執る日 先頭に立ってわたしを守ってください。
 140:9 主よ 主に逆らう者に欲望を満たすことを許さず たくらみを遂げさせず 誇ることを許さないでください。
 140:10 わたしを包囲する者は 自分の唇の毒を頭にかぶるがよい。
 140:11 火の雨がその上に降り注ぎ 泥沼に沈められ 再び立ち上がることのないように。
 140:12 舌を操る者はこの地に固く立つことなく 不法の者は災いに捕えられ 追い立てられるがよい。
 140:13 わたしは知っています 主は必ず、貧しい人の訴えを取り上げ 乏しい人のために裁きをしてくださることを。
 140:14 主に従う人は御名に感謝をささげ 正しい人は 御前に座ることができるでしょう。

Ⅰヨハネ 2:7 愛する者たち、わたしがあなたがたに書いているのは、新しい掟ではなく、あなたがたが初めから受けていた古い掟です。この古い掟とは、あなたがたが既に聞いたことのある言葉です。
 2:8 しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です。闇が去って、既にまことの光が輝いているからです。
 2:9 「光の中にいる」と言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。
 2:10 兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。
 2:11 しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです。

 

 

 

世の中には様々なルールがある。

しかし、それらのルールのほとんどは、人間が考え出したものであり、人が生きていく中で、守った方がいい決まり事として培われてきたものであろう。

教会の中にもこういったルールはたくさんある。

まことしやかに、あたかもこれこそが真実であるかのごとく雄弁と語られる方もおられるが、そうしたルールのほとんどは、聖書のどこにも記されていないことが多い。

もちろん、聖書に記された事を良いように発展させて解釈し、ルールを定めていくことは悪いことではない。

ただ、それが守れなかったからと言って、守れない人を批判したり、教育が足りないなどと言って裁いたりしてしまうのは、残念なことである。

人が安心して憩えるところこそが真の神の国と言えるだろう。

良きものを求めることは悪いことではないが、忍耐や寛容といった大らかな心を忘れないようにしたいものである。

 

ガラテヤ5:19 肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、
5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、
5:21 ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
5:22 これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、
5:23 柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
5:24 キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
5:25 わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。