申命記 32:15 エシュルンはしかし、肥えると足でけった。お前は肥え太ると、かたくなになり 造り主なる神を捨て、救いの岩を侮った。
32:16 彼らは他の神々に心を寄せ 主にねたみを起こさせ いとうべきことを行って、主を怒らせた。
32:17 彼らは神ならぬ悪霊に犠牲をささげ 新しく現れ、先祖も知らなかった 無縁の神々に犠牲をささげた。
32:39 しかし見よ、わたしこそ、わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、またいやす。わが手を逃れうる者は、一人もない。
32:40 わたしは手を天に上げて誓う。『わたしの永遠の命にかけて
32:41 きらめく剣を研ぎ、手に裁きを握るとき わたしは苦しめる者に報復し わたしを憎む者に報いる。
32:42 わたしの矢を血に酔わせ わたしの剣に肉を食らわせる。殺された者と捕らえられた者の血を飲ませ 髪を伸ばした敵の首領の肉を食らわせる。』」
32:43 国々よ、主の民に喜びの声をあげよ。主はその僕らの血に報復し 苦しめる者に報復して、その民の土地を贖われる。
詩篇 16:1 ミクタム。ダビデの詩。 神よ、守ってください あなたを避けどころとするわたしを。
16:2 主に申します。「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません。」
16:3 この地の聖なる人々 わたしの愛する尊い人々に申します。
16:4 「ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。わたしは血を注ぐ彼らの祭りを行わず 彼らの神の名を唇に上らせません。」
16:5 主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。
16:6 測り縄は麗しい地を示し わたしは輝かしい嗣業を受けました。
16:7 わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし わたしの心を夜ごと諭してくださいます。
16:8 わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。
16:9 わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。
16:10 あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
16:11 命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い 右の御手から永遠の喜びをいただきます。
ルカ 9:21 イエスは弟子たちを戒め、このことをだれにも話さないように命じて、
9:22 次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」
9:23 それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
9:24 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。
9:25 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。
9:26 わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。
9:27 確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」
多くの人が、まことの神ではないものを神としてあがめ、信奉して生きている。
いや、神ではないものを神として認識しているかどうかも怪しい。
ただ、己の欲望を満たすものを追い求めているだけなのかもしれない。
そして、神のようなものなど存在しないのに、それを満たすものを神のごとく定めているだけなのではないだろうか。
そういう場合、己の欲望こそ、偶像そのものである、ということであろう。
ローマ8:5 肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
8:6 肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
8:7 なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。
8:8 肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。
8:9 神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。
8:10 キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、"霊"は義によって命となっています。
8:11 もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
己の欲に支配されているものは、神の求める律法を満たすことはできず、結果、滅びるしかない。
しかし、そんな愚かな人間のために、神ご自身が自らの命を犠牲にして救いの御業を実現して下さった。
これこそが真の神なのだ。
そして、この真の神のみが、唯一私たちに真の命を与え、生かして下さるお方であるということを覚えたいものである。