ヨブ記14章1~14節 詩篇31篇2~5、16~17節 ヨハネ19章38~42節 | 聖書日課 デボーションノート

聖書日課 デボーションノート

聖書日課に従って、日々聖書を読んで思わされたことを書き留めています。


聖書本文は日本聖書協会発行の新共同訳聖書を引用しています。

ヨブ記 14:1 人は女から生まれ、人生は短く 苦しみは絶えない。
 14:2 花のように咲き出ては、しおれ 影のように移ろい、永らえることはない。
 14:3 あなたが御目を開いて見ておられるのは このような者なのです。このようなわたしをあなたに対して 裁きの座に引き出されるのですか。
 14:4 汚れたものから清いものを 引き出すことができましょうか。だれひとりできないのです。
 14:5 人生はあなたが定められたとおり 月日の数もあなた次第。あなたの決定されたことを人は侵せない。
 14:6 御目をこのような人間からそらせてください。彼の命は絶え 傭兵のようにその日を喜ぶでしょう。
 14:7 木には希望がある、というように 木は切られても、また新芽を吹き 若枝の絶えることはない。
 14:8 地におろしたその根が老い 幹が朽ちて、塵に返ろうとも
 14:9 水気にあえば、また芽を吹き 苗木のように枝を張る。
 14:10 だが、人間は死んで横たわる。息絶えれば、人はどこに行ってしまうのか。
 14:11 海の水が涸れ 川の流れが尽きて干上がることもあろう。
 14:12 だが、倒れ伏した人間は 再び立ち上がることなく 天の続くかぎりは その眠りから覚めることがない。
 14:13 どうか、わたしを陰府に隠してください。あなたの怒りがやむときまで わたしを覆い隠してください。しかし、時を定めてください わたしを思い起こす時を。
 14:14 人は死んでしまえば もう生きなくてもよいのです。苦役のようなわたしの人生ですから 交替の時が来るのをわたしは待ち望んでいます。

 

詩篇 31:2 主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく 恵みの御業によってわたしを助けてください。
 31:3 あなたの耳をわたしに傾け 急いでわたしを救い出してください。砦の岩、城塞となってお救いください。
 31:4 あなたはわたしの大岩、わたしの砦。御名にふさわしく、わたしを守り導き
 31:5 隠された網に落ちたわたしを引き出してください。あなたはわたしの砦。

 31:16 わたしにふさわしいときに、御手をもって 追い迫る者、敵の手から助け出してください。
 31:17 あなたの僕に御顔の光を注ぎ 慈しみ深く、わたしをお救いください。

 

ヨハネ 19:38 その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
 19:39 そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
 19:40 彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。
 19:41 イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。
 19:42 その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

 

 

 

人はだれも、どのような生き方をしていたとしても、いつかは死を迎える。

人の生涯が、死をもって終わるのならば、この世でどんな人生を送ろうとも、それに意味は無くなってしまい、これほど空しいことはない。

 

イエス様が語られた金持ちとラザロのたとえでも、それぞれ両極端な人生を過ごしていたが、二人とも死を迎えた。

ただ、その後の行先は全く違っている。

生前、彼らがどう生きたかということもあろうけれど、いちばんの違いは、神の憐れみを受ける者であったかどうか、であろう。

この地上で裕福な生活を送り、困っている人が近くにいても見向きもしなかった金持ちは、神の憐れみを受けることにはならず、病や貧困に苦しみ、誰からも見向きもされなかったようなラザロは、神の憐れみを大いに受けた、ということであろう。

人生における苦しみに、どんな意味があるのか、本当のところは分からない。

けれど、神様の憐れみを受けていることは確かなことであろう。

神は慈愛と恵みに満ちたお方だから。

 

今、絶望的な気持ちの中に生きている方いらしたら、どうか、主なる神様があなたのことを憐れんで下さっていることを覚えて欲しい。

あなたの身代わりとなって神に見捨てられ、滅ぼされる裁きを引き取って下さり、もはやあなたが神に見捨てられることはなく、永遠に滅ぼされることもない。

それほどに神はあなたが救われることを切に望んでいる。

 

死は終わりではない。

なぜなら、イエス様が私たちの身代わりとなって、終わりのような死を引き受けてくださったことで、終わりゆく人生が終わったのだから。